エッセイ DEETの思い出 ペルー イキトス 2024年6月21日
この6月で仕事を辞めて、夏の間、2ヶ月ほどをかけて東北地方にテントを持って自転車で旅行する予定だ。集落を避けて、つまり野原や山裾でテントを張ることになるので、厳重な蚊対策が必要である。私は神経質なので、蚊がいると気になってゆっくり過ごせない。強力な忌避剤がないかな、と思ってネットで調べると、アースが出しているサラテクト30がDEET成分を30%含有していて最高濃度であった。
2015年3月、ペルーを旅行していた。2014年3月にメキシコに入国してからゆっくりと南下してきた。メキシコからペルーまで、先住民とスペイン人の混血メスティソが育んだ文化が続く。言語はスペイン語で、都市部での建築様式は、コロニアル建築である。食文化も先住民が食べるトウモロコシのトルティーヤとスペイン料理が混合している。同じような風景と、同じような食事が1年続いた。人々の暮らしを見る、という目的で旅行していた私は、ワクワク感を失っていた。これではとても好奇心がもたない、と思った。
全く違うところに行ってみよう。
さいわいペルーの首都リマからアンデス山脈を越えてアマゾン流域に入ると全く違う風景、食事、人達になる。
アマゾン流域の町イキトスは、人口で世界最大の陸の孤島、と言われていて、当時、あと数年で外部と道路でつながる、と言う話であったが、いま確認してみるとまだまだつながっていない。人口約50万人。当時は確か30万人ほどだったと思う。
車に比べて単車の割合が異常に高かった。車は、部品を船で運んでイキトスで組み立てるか、フェリーで完成車を運ぶかだが、フェリーが接岸できるような大きな埠頭は見当たらなかった。
私が行ったときは乾期で、河の水位が低かった。雨季には100メートル程増水するという。ある記事によると、数年前に増水して洪水になったようだ。船乗り場は、水位の変動に対応できるように、階段状になっていた。足腰の弱い人は上陸できない。
食習慣はスペインのスの字もなかった。市場に行くと、見たこともないアマゾンの魚だらけだった。ピラニアも他の魚と一緒に並べられていた。ワニやカピバラの塊肉が普通に売られていた。市場の食堂では、ピラルクーの塩焼きがよく売られていて、川魚とは思えないほど脂がのっておいしかった。どれも調理法は至ってシンプルであった。毎日ワクワクしぱなしであった。
宿は、カサ デ ラ フランセスという安宿のドミトリーに泊まった。アマゾンはマラリア汚染地域だが、この宿には蚊帳がなく、広い部屋に扇風機が3つあり、古株が優先的に使っていた。アマゾン、少なくともイキトスのハマダラカは日本のハマダラカと生態が違っていて、地面ぎりぎりのところを飛んで近づいてくるので、非常に気付きにくかった。蚊自体は北海道の蚊みたいに、弱々しく、柔らかかった。ただヤブカは巨大で、力強かった。
宿の同室に上半身裸で寝ている男がいた。暑くて蒸し蒸ししているので、みんな裸で寝たいが、マラリアが怖くてシーツを被ったり、長袖服を着ていた。全く無防備で寝ているのは彼だけだった。
日中は宿の目立たない階段に座ってマリファナを吸っていた。話しかけると、チェコ人で、プラハ大学と地元の大学の共同研究で、アマゾンの村に数ヶ月滞在していた、と言う。蚊対策はどうしていたんだ、と反射的に聞くと、良いことを教えてやろう、と言ってこんな話をした。
DEET50以上の忌避剤を使え、それ以下ではダメだ、そしてそれだけで十分だ、と。
今回、モスキート リペラントを探しているとき、そんなことを思い出した。
もしイキトスに行くのなら、町の中心道路を北に2キロほど行ったどん詰まりの港 bella vista nanayの青空市場が圧倒的に面白い。
イキトスには2週間滞在した。