縄文土器の装飾文様 2024年10月3日
先日御所野縄文博物館で蒔前遺跡を含む縄文時代中期の土器を見てきた。土器の口や 首、胴の周囲に飾り付けがしてあった。
これらの飾りを見ていて思ったのだが、縄文人が土器を作るに際して、思いつきで作ったのではなく、もともとあった文様を土器で再表現したのではないかと思う。
もともとあったけど今残っていないものとはつまり植物繊維で編んだもののことだ。
植物繊維をマクラメ のように複雑に編み込んで時間をかけて祝祭用に作ったものがあったと思う。
植物繊維で作った糸や縄は柔らかいので思った形を作りやすい。
他の素材としては木材や粘土やそれらに石をはめ込むなどだが、どれも加工しづらい。ましてや青銅器や鉄器がなかった時には木工や石工で複雑な装飾は難しかっただろう。
つまり 複雑な装飾はまず 植物繊維やボディペインティングや砂絵の曼荼羅 の ようなものから始まったと思う。
そこでまず 複雑な装飾が発展して、それが 順次技術の発達に伴って加工の難しい素材に下りて行ったのだと思う。
つまり今私たちが縄文土器に見ている装飾文様は植物繊維の文様を模倣しただけだと思う。
さらに言えば縄文土器の胴体にヘラでつけられた抽象文様も、もともと色の違った植物繊維で編んだ布が先に存在していたのだと思う。
ただ出発は植物繊維の装飾文様の模倣から始まったが、植物繊維では柔らかくて作れないような突起など立体的な装飾を土器は独自に発展させていったと思う。