エッセイ テントを持って旅行すること2024年9月12日
いホテルに泊まると部屋が狭く、あまり居心地が良くない。もちろん、自然を感じる雰囲気ではない。ゲストハウスは旅行者との交流が楽しみだが、やはり自然との親和性は高くない。それに比べると、テント泊はそもそも街中から離れているし、部屋の中でじっとしているわけにもいかないので外に出ざるを得ない。おのずと自然に触れることになる。
しかし、テント泊の困ったところはどこにでもテントを張れるわけではないことだ。その点キャンプ場での宿泊はとても快適である。人目を気にせずテントを張れ、洗濯物も干せる。道の駅や公園ではこのようにはいかない。
朝起きたらテントもたたまずコーヒーを入れて夜明けを眺める。夕方にはテントを張って寝る準備を終え、夕焼けをぼんやり眺めることができる。江戸時代以前にこのようなことをしていた人たちはいたのだろうか。
遊行僧は中世から近世にかけて各地を転々としながら民間に仏教を伝道していた人たちだが、特定の宗派に属さない者もおり、かなり自由度が高かったと思う。托鉢や乞食で飢えをしのぎ、お堂で夜を明かしながら自由を感じ、自然を愛したかもしれない。もちろん、遊行僧の本来の目的は布教と修行であり、その自由度は人によって違っただろう。
公営のキャンプ場は料金も安く全国に散在しているので、ここを渡り歩きながら旅行をすれば楽しいだろう。しかし、一泊で移動すると、その場所の夜明けや夕焼けや静けさや美しさを実感する心の余裕を持ちづらいと思う。連泊することが大切だ。
テント泊の困ったところは、雨が降った時の時間の使い方と室内の湿気が強いことだ。細かいことを言うと、スマホの電源確保や水浴びの方法も工夫が必要だろう。
今思いついたが、平安時代の貴族の中には、心のままに自然を楽しんだ人たちがいたかもしれない。そもそも、食い扶持の心配をする必要がなかったのだから。だとしたら、今の私は平安貴族に近いのかもしれない。着ている物はかなりみすぼらしいが。
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