自分も得をするから まあいいか 覇権国と周辺国 2024年12月13日

覇権国とは同盟国に対して経済や文化といったソフトパワーで支配する国のことである。アメリカは間違いなく覇権国であろう。そして同盟国の外に対しては武力で現状を変更するという帝国としての性格も持ち合わせている。


アメリカは民主主義国家である。しかしその民主主義は国内に対してしか働かない。

例えばアメリカは他国を空爆して要人を殺害するが、被害国がアメリカのその政策を変更させることはできない。他国には参政権がないからである。


だとしても アメリカは民主主義国家である。“民主主義を世界に広める”とも言っている。“民主主義の擁護者だ”とも言っていた。その“民主主義”は他国を都合よく扱っていいということを含んでいないだろう。



アメリカ人 一人一人はそのことをどう思っているのだろう。

互恵性は民主政の市民感覚の前提の1つだと思うが、互恵性を前提にすれば、他国がアメリカの要人をアメリカで空爆で殺害することを認めるということになる。

もちろんそんなことをアメリカ人は認めないだろう。


これはどう考えれば 辻褄が合うのだろう。


自分も得をするから まあいいか、と“小さな”不条理を見逃すのだ、と私は思う。


これはアメリカ人だけの特性ではない。1つ前の大英帝国では、インドの植民地支配が不条理であるということを教育を受けたイギリス人は知りながら反対することができなかった。都合の良い就職先だったのである。


自分も得をするから まあいいか、が集積して巨大な悲劇を生んでしまう。


小は趣味の会の本部と支部の間で、大は覇権国と周辺国との間で同じ力学が働く。


この感覚をなくすことは難しい、というか不可能だろう。


私はキノコ採りで山の斜面を踏み荒らしてしまうが、まあいいか、と思ってしまう。


とういうことは、今後も強大国の変遷はあろうが、強大国は覇権国にならざるを得ないということだろう。

それを前提に国際政治を考えていかなければならないと思う。