無駄なこと 温泉を2往復 2024年10月3日
今日六戸温泉にお湯を浴びに行った。浴場に行ってから 石鹸とシャンプーがないことに気づいた。
番台に断って、キャンプサイトまで5分の距離を自転車で往復した。
テントに戻ってから、必要なものと 不必要なものを 選り分けて カバンを軽くして温泉に行った。
30分 近く かかってバンダイに戻ると男の受付が笑顔で、いらっしゃいませ、 対応してくれた。
私はこの時30分 時間 無駄にしてしまったと思った。
しかし よく考えると人生とは こんなことの連続ではないのか。ただ自分では気づいていないだけなのではないか。
例えば私は今サイクリング旅行をしているが、それは回り道なのかもしれない。私は今後西アフリカ旅行を予定しているが、それも後から振り返れば回り道なのかもしれない。
今回の場合は明確な目標があってその目標まで一直線で線が描ける。だからそれを繰り返すと 無駄なことと自覚できる。
しかし 人生には意識に上らない希望があったり、漠然とした目標があったり、意識はしていてもその方法がわからず右往左往したり、そういうことが重複、連続しているのだけれど、一直線で見通すことができないので、自分がたどってきた経緯を無駄なことと自覚できないのだ。
このようなことの重複、連続で人生が成り立っているとしたら、そもそもそれを無駄と考えると 人生の多くの部分が無駄になってしまう。
だとしたら今日シャンプーと石鹸を忘れて取りに戻ったことは無駄ではなく別の意味づけが必要になるのではないかと思う。
例えば 目標を達成する過程が大切であるとか、そもそも目標の有無を問わずその瞬間瞬間を楽しむことが大切であるとか、逆に人生とは無駄の堆積物であるとして無駄を受容するとか。
今日 温泉を2往復してそんなことを考えた。