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新卒1年目日記 ~信頼と信用~

はじめに

10月に起きた大事件(前回の記事を参照)からもう早1ヶ月。
気づけば、もう今年も最後の1月を迎えようとしている。
相変わらずモヤモヤしながらも、少し記事を書く余裕が出てきたので
久しぶりに記事を書いてみようと思う。

そんな今回のテーマは「信頼と信用」。
社会人になって半年以上経って、やっと大きな気づきがあったので、それを今回は記事にしていこうと思う。

1.自分の信条

まずは本題に入る前に、少し自分のことについて語る。

僕がこれまで生きてきた中で非常に大切にしていることがある。
それは「他人に期待をしない」ということだ。
一見、すごくドライな主張のようにも思えるが、社会の中でたくさんの人たちと生きていく中で、思い通りに行かないことがほとんどだ。
いちいち、他人に期待してばかりだと、思い通りに行かなかった際にすごく自分の精神面に負担が来る。しかし、その負担は、自分が思い通りに行くように勝手に期待した結果であって、他人は悪くないのだ。
自分の考え方を変えるだけで、物事に対する対処の仕方がすごく楽になる。
自分を変えることはできても、他人を操ることは本当に難しいからだ。
だから、僕はできるだけ他人に期待をしない。

つい最近、「他人に興味はあるか?」と先輩に核をついた質問をされたのだが、僕は「他人に興味はあまりない」と答えた。
他人ではなく、常に自分にベクトルを向けているからだと。
それが故に、自己中心的な考えばかりして、
周りが見えなくなることも僕の悪い部分として表れてしまうこともあるのだが。笑

結局、人に期待をしない方が自分にとっては楽で済む。

2.「信頼と信用」

日本語には似ているけれども意味が異なる単語がたくさん存在する。
一方で、意味は異なるけれども、似ている単語もたくさん存在する。

この、「わずかな違いに目を向け、理解をすることの大切さ」は大学時代での僕の一番大きな学びであった。

社会人になった今、そんな違いに目を向けることも意識をすることも少なくなっていたのだが、久しぶりにこういう観点で物事を考える機会があった。

その単語は何かというと、本タイトルにもある「信頼と信用」なのだ。

他人に期待をしない僕の哲学は、
まさに「信頼」に当たると考える。

他人に期待をしないということは見方を変えれば、「他人に見返りを求めない」ということになる。良くも悪くも自業自得ということだ。
他人の行いが自分に返ってくるのではなく、
自らの行いこそが自らに返ってくる。

では僕が社会人になってから、なぜこうも苦しんだのか。
それはこの資本主義社会は常に「信用」で成り立っているからだ。
つまり、自らの働きかけによる他人からの見返りで自らが成り立つ社会であるということだ。

例えば、銀行の融資イメージしてみる。
融資の審査を行う際に、銀行は様々な審査を行い、融資を受ける人間がきちんと「信用」できる人間かどうかを判断する。
これがもし「信頼」であったとしたら、仮に融資を受ける人間が破産でもすれば、たちまち銀行に損害が及ぶ。
信用できる人間であるからこそ、きちんと返済能力を有する人間であるからこそ、融資を行えるのであり、それが銀行の利益へとつながる。
これが成り立たないと会社も成立しないし、資本主義も成り立たない。

ただ、これはあくまでもこの資本主義社会で生きていくうえでの鉄則なだけであって、自分の人生においては何ら関係のないことだ。

よく考えてみてほしい。
多くの自分の周りの友人や家族は「信用」ではなく、「信頼」の関係で成り立っているはずだ。そういう人たちに見返りを求めてしまっているようでは、そもそも関係性が成り立っていない。

一方で、ビジネスの世界においては逆で、先ほどの銀行の例のように、「信頼」だけではなかなかうまくいくことは少ないだろう。

つまり、この棲み分けを理解できておらず、自分の信条を貫いて生きてきたのが、これまでの社会人生活であり、信頼を大切にする自分にとっては完全にアウェーのフィールドであったからこそ、こうも苦しんだと言うわけだ。

3.スパイ

では、この苦しんだ半年間は不要だったのかといえば、そうではない。
必ず僕にとって必要な壁だったのだと振り返って思う。

信頼関係で成り立っているとこちら側は思っていても、相手側は信用関係で成り立っていると思っていた場合、ダメージを食らうのはもちろんこの自分だ。

もちろん自分の信条には合わない。
ただ、自分の信条を貫き通して、生きていくことができるほど、どうやらこの社会は甘くないようだ。

この社会の環から外れて、信頼関係で成り立つコミュニティに属して生きていく選択もある。

しかし、あえてこの社会に飛び込むと決めて、
社会のことを学ぶと決めた以上は、信用関係で成り立つ社会に溶け込む必要がある。

そう、今の僕に課せられている最大の課題は
「信用関係で成り立つ社会にスパイとして生きていくこと」なのだ。

信頼関係も信用関係も知ったうえで、
自分の信条を見つめ直す時期が必ずやってくるだろう。

社会の人間は信用関係で繋がることを求めてくる人間も多い。
そんな人たちを信頼側に持ってくるには、信用側に扮装することは不可欠だ。

信用で成り立つような冷たい社会ではなく、
信頼で成り立つ暖かいコミュニティがこの社会には必要だ。
僕の大きな夢が少し具体化されたような気もする。

だから、僕は頑張れるだけ続けてやる。
信用人間というスパイとして。

最後に

これまで「信用」を悪者のような内容で書き上げてしまったが、僕は否定はしているわけではない。

どちらかが良い悪いではなく、両者のバランスが大切なのだ。

少し範囲を広げて、国家に当てはめて考えてみる。
殊、日本においてはおそらく、国家に対する信頼はほとんど皆無に等しいと僕は思う。かといって信用があるかと言えば、それも疑問だが。

大学時代に研究していた、「幸福度」の高い国。
これらの国には国家に対する「信用」もあれば、「信頼」もあるのではないかと思う。
何かあったときには国が助けてくれる。
これは「信用」だ。
また、それを越えて、政治家を選ぶのはあくまでも自分達であり、これは国家を運営する政治家に対する「信頼」である。

もう少し、日本においても「信頼」が重要視されてもいいと思う。
なぜなら「信頼」には赦すという意味合いがあるからだ。見返りがなくとも、受け入れる関係だ。
だからこそ、僕は「信頼」で成り立つコミュニティというところに意識が働くのだろうか。

自分自身を、社会を、国家を、世界を信用側のスパイとして、
もう少し眺めてみたいと思う。


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