家族の存在(Part1)

都内の大学生になるとともに一人暮らしを始め、そのまま都内に就職をし、現在も一人暮らしを続けているが、一人暮らし、そして社会人半年を経験したからこそ、家族に対して思うことが溢れ出す。

田舎

私は、千葉県の田舎に産まれ、母親の両親(祖父母)の家で育った。2つ上の兄と4つ下の妹の3人兄弟である。私の家は母親が厳しく、小さい頃から習い事であったり、礼儀など厳しく指導されていた。
2歳から水泳を始め、兄がバスケを始めたタイミングで、私もバスケをやらされた。当時から運動が好きだった私にとっては楽しかった。
小学生にあがると、私自身がヤンチャだったのもあって、母親の厳しさは増していき手を挙げられることが日常茶飯事で、母親のことは大嫌いだった。
母親とは反対に父親は無口だが、怒られたことはダル絡みした時くらいで、基本優しかったため、父親が好きだった。

転機

水泳とバスケを小学2年生まで続けていた私に、早めの転機が訪れた。休み時間に鬼ごっこをしていたのだが、転んで足を骨折をしたのだ。2.3ヶ月は運動ができず、運動が好きな私にとっては苦痛だった。
水泳もバスケも全く出来ずにいたため、飽きてしまい、怪我が治ったことをきっかけに仲のいい友達がやっていた野球を始めた。野球をやることは、母親には大反対されたが、元から投げることが大好きで、ドッジボールがかなり得意だった私にとっては、野球は最高のスポーツだった。
高校3年生まで10年間野球を続けていくことになるが、これが悪夢の始まりだったのかもしれない。

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𝐧𝐞𝐱𝐭…🧸𓈒 𓏸

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