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公務員試験上級の現実

こんにちは。ここでは公務員試験の勉強を開始した大学3年の12月~大学4年の6月までの出来事を書いていきたいと思います。

まず、私の志望先を以下に挙げる。
第1志望:特別区
第2志望:千葉市役所
第3志望:習志野市役所、成田市役所
その他:国税専門官、市原市役所など

上の志望先に受かるために勉強を開始したが、大学の講座には頼らず、独学で公務員試験の勉強しようと決めた。おなじみのテキストである、数的は畑中先生のもの、専門科目はスーパー過去問を買い漁ったが、参考書の分厚さ、科目数の多さに挫折しそうになった。

しかし、スタートダッシュに失敗したからには
人一倍勉強するしかなく、大学の講義のある1月までは、1日6時間、それ以降は1日8時間~11時間机に向かった。息抜きの遊びは必要という人はいるが、そんな余裕はなく、ご飯の時間だけが息抜きだった。

第1志望の特別区は5月1日に筆記の試験があるため、特別区の対策のみを行っていた。特別区は、教養試験17科目(48問中40問選択)、専門科目11科目(55問中40問選択)、論文2テーマ中1テーマを1000文字~1500文字で書くというものであった。そのため、教養は出題数の多い科目や大学受験で利用した科目を選択しながら勉強した。専門科目は、経営学と社会学以外は全て勉強し、膨大な科目を毎日こなしながら、論文も1テーマ1000文字以上ある模範解答を25テーマほど覚えた。

毎日廃人のようになりながら勉強していたが、特別区の試験前日までは病むことはなく、特別区の試験を受ける野球部の友達と一緒に最終確認を俺ん家で行い試験に備えた。

当日、青山学院大学で試験だったが受験者の多さに緊張し、自信がなくなった。
最初は教養試験だったが、手応え的にはいつも通りだったが、凡ミスを2.3問したことにより不安が増した。午後の専門試験でも凡ミスを連発したことにより、さらに不安に襲われた。最後は、論文試験だったが、たまたま準備していた、お題がでたこともあり完璧に書けた。特別区は、論文の配点が大きかったことから少し安心したが、帰りの電車で野球部の友達と答え合わせしてたら自分のできて無さに自信喪失してしまった。

自宅に帰り、自信のなさから民間企業1社の応募と
筆記が受かっていた時の為に公務員面接の講座をお金をかけて受講することを決めた。次の試験まで1ヶ月もあった事から、民間企業で内定を得ることを優先して動いていた。しかし、私の中では両立するのがすごいしんどかった。また、特別区の筆記の合格発表が6月下旬ということもあり受かっているかどうかの不安に襲われながら、面接対策をしていたので正直メンタルボロボロだった。

リアルに首吊りやカフェインの錠剤を大量摂取して自殺しそうになるほど追い込まれていた。しかし、なんだかんだ踏みとどまったのは同じ公務員試験を受けている仲間や民間企業の面接対策を手伝ってくれていた友達の影響が大きかった。

5月もあっという間にすぎ、6月5日に国税専門官試験があったが、病みすぎて自宅から出れなかった。試験を受けるのが怖かった。しかし、6月の上旬に証券会社に内定をもらえたことによりメンタルは少し回復した。その後12日には市原市役所、18日には千葉市役所と試験を受けた。

そして待ちに待った特別区の筆記合格発表の日が来た。ネットでの開示だったが、自分の番号があることに鳥肌が止まらなかった。合格発表と共にハガキで第2次試験の面接の場所や日程が送られてきて、7月8日にロイヤルパークホテルで面接と決まった。日程的には早い方で、2週間で面接を仕上げることとなった。

今回は公務員試験の勉強開始から特別区の筆記合格発表までを書きました。書きながら、その場面場面が浮かんできた。次の記事では7月から最後の合格発表までを書いていきたいと思います。





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