家族の存在(Part2)

無礼な野球小僧

小学3年生からスポーツ少年団に入り野球を始めた私は、歳上や大人を舐め腐り、よく保護者に怒られていた。野球嫌いで、礼儀正しい母親には、帰りの車で毎週のように説教をくらっていたが、野球は楽しかった。その後も野球を続けていると、あっという間に小学6年生になったが、体のケアを知らなかった私は投げすぎにより肘の骨が変形するほどになっていた。しかし、騙し騙し野球を続け、中学では軟式野球部に入った。中学3年生の先輩が抜けると、私だけが先輩の試合にでるようになったことから、少し天狗になってしまい、兄ともうまくいかなくなり、先輩にもぶん殴られたこともあった。

無意味な時間

色んなことがありながらも、中学3年間の野球生活はあっという間で、適当に過ごしてしまった記憶しかない。そんな中で、母親や兄との関係はますます悪くなり、兄とは口を聞かない関係になっていた。今思うとお互い思春期ってやつだったんだと思う。
なんだかんだで、高校受験を控えた俺は、頭はどちらかといえば、いいほうだったので、地元の進学校を受験した。余裕をぶっこいていた俺は、受験の時に名前を書き忘れた教科があり、見事に落ちた。
笑って母親に伝えたらぶん殴られた。しかし、後期の試験は無事に合格し、高校への進学が決まった。
進学校への進学で私に2回目の転機が起きようとしていた。しかし当時の私は、そんなことが起きるなんてしるよしもなかった、、、

最後まで読んでくれてありがとうございます。
書きたいこと多すぎて、はしょりすぎちゃったなー。
次の記事は私の人生を変えてくれた人達に出会うよ。
𝐧𝐞𝐱𝐭…🧸𓈒 𓏸

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