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慰霊の日、三線、そしてトレジョアイスバー

1945年6月23日。第二次大戦で沖縄で組織的な戦闘が終結したとされる日。77年前、この国の人々と自分の生まれた国の人々が殺し合い、戦争に関係ない一般人や子供まで多くの方々が犠牲になった。日本の日付では今日はもう24日か。

77年たった今、私は殺しあわず、憎みあわず、この国に暮らし、この国の人たちと仕事をしている。もちろん職場では価値観や方針の違いで折り合わないことなどしょっちゅうだが、それも平和だからこそできること。

三線の名手、登川誠仁さんは、かつてその演奏技術の技巧から”沖縄のジミヘン”と呼ばれたそうだ。子供の頃、米軍キャンプでオールディーズソングさえ琉球音階にアレンジして三線で演奏し、日銭を稼いだ。かつて敵国とされた国の文化を、自分の中に取り込み、音に昇華させ、憎しみではなく、人々に熱狂を与えた。人懐っこく柔和な氏の雰囲気とは裏腹に、沖縄民謡のレジェンドとして、怪物ぶりを感じずにはいられない。

登川誠仁さんの戦後当時の雰囲気は、『ハウリングウルフ』という渋すぎるアルバムに収められている、「ペストパーキンママ」という曲で垣間見ることができる。Bing Closbyの”Pistol Packin' Mama”という原曲で、キャンプで音を聴き取って覚えて歌ったそうだ。多くの方が家を焼かれ、亡くなった。哀しみ、悔しさ、怒り、入り混じる感情を想像し、この曲の持つ明るさに触れると、込み上げてくるものがある。戦後77年経った今でも続く、基地負担や本土との格差。爆弾は今でも地中に眠っている。

今夜は登川誠仁さんの曲を聴こう。命を落とされた方々、戦後を生き抜いてこられた方々の感情を、私が領有するなことなど、決してできないから、せめて思いを馳せよう。昨晩トレジョで買った、狂ったようにアイスバーをほおばり、平和と哀しみの味を、嚙みしめて、噛みしめて、噛みしめよう。憎しみではなく、平和を保つことの尊さを自分なりに考えながら。

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