ガッキー御用達の1人掛けソファ
ここ何年も絶賛断捨離中であることは、これまでも何度か書きました。
年齢的なもの? 確かに、もう若いとは言い切れませんから、それも少しあります。が、目下一番の関心事は、持ち家の資産としての流動性をいくらかでも上げておくこと。つまりは、いつなんどき経済的な困難に直面しようとも、持てる不動産をできるだけ即座に市場に放り出すことで、身軽になる準備を万端整えておこうというもの。ここから先の人生、肝はいかに所有や専有から自由でいられるかに尽きると信じて疑いません。
例えば、長年袖を通していないジャケットやコートなどは——大好きなPaul Smithであっても——すべからくコンマリ理論に則って、もはやときめかないなら即断捨離。クローゼットに掛かっている衣類の絶対量を減らし、結果として、服と服の間に十分な空間を創出することを旨としています。
例えば、テーブルやソファなどの家具類は、常に近親者の手が挙がれば惜しみなく譲り、次善の策として、その寄贈ネットワークの範囲を知人・友人にまで広げる努力を不断に怠りません。
もちろん、いまはメルカリやヤフオクといった個人間売買のツールも整ってはいますが、事前の掃除や入念な梱包に神経を使うのが億劫ですし、第一、一つひとつに買った当時の思い入れや使い込むほどに深まる愛着もあるというもの。できるならば、それぞれに込められた思い出やエピソードも一緒に身近な人に渡し切りたいものだ、と願うのでした。
結果、ほぼ20年前に買った、真っ赤でモダンな総革張りの3人掛けソファは、練馬の次男夫婦の家で「第2の人生」のスタートを切っていますが、やがて3歳になる孫息子の面倒を看るべく、折に触れヘルプに駆り出される、お嫁さんのお母さまのちょうど良い仮眠ベッドとして重宝されているのだとか。
思い返せば、なるほど、肘掛けのカーブがなだらかで、「枕」にちょうど良い高さと硬さなものですから、僕も子どもたちも、座るというよりは、寝そべるために長年愛用してきたような。身を横たえたときのあの脱力感たるや他ではなかなか味わえません。
過去に頭を強くぶつけて慢性硬膜下血腫になったときなどは——そんな病気に罹ったとはつゆとも知らず——謎の睡魔に襲われるたびに件のソファで居眠りすることに。妻がどうにもおかしい、と異変に気づいてくれなければ、寸でのところで「永遠の眠り」につくところでした。
さて、「赤い3人掛け」とは別に、若干のカントリー調がほどよくおダサい、それでいてオイルド・レザーの色合いも肌触りもなんとも心地よい1人掛けソファも、現在、新たな引き受け手を探しています。
この「1人掛け」が我が家にやって来たのは10年ほど前。当時、まだ吉祥寺に実店舗があったHouse Styling の展示品を現品処分特価で手に入れたのですが、値頃感もさることながら、その一風変わった出自もお気に入りでした。店の若い男性店員さん曰く、
「実はこのソファ、一度ドラマの中で、とある女優さんが座っただけの新古品でして。もっとも、撮影現場での少々手荒い扱いのせいで本革表面のところどころに細かいスリ傷があるもんですから、そこをあまり気にしないお方にぜひとも……」
俄然興味が湧いてきた僕は、一体全体何のドラマで、どこの誰が座ったのか、となおも問い詰めたのでした。すると、小声でその店員さん、
「あの(弁護士ドラマの)「リーガルハイ」がそれでして……。ヒロインの新垣結衣さんが腰掛けるシーンがバッチリ出てくると聞いてます。知らんけど」
とのこと。リーガルハイはフジテレビ系列。そのお店House Stylingもフジサンケイグループの一員であることからすれば、さもありなんです。最終的に購入を決めたのは純粋に値段ですが、新垣さんの付加価値もあるとなれば、買わない選択肢はありませんでした。
すっかり余談ですが、このリーガルハイ、放送当時は高視聴率を誇る人気ドラマでしたが、いまやちょっとやそっとでは観ることができません。主演の堺雅人さんの所属事務所移転に絡むいざこざで番組の権利関係に問題が生じたからとか、準主演の若手俳優が薬物関係で罪に問われたからとか、原因は色々言われていますが、再放送は当面見込めず、DVDもすでに廃盤になっている以上、新垣結衣さんが実際に腰掛けたか否かは簡単には尻得ない……あ、いや、知り得ないのであります。
さりとて、我が家ではこの10年、「ガッキー御用達カウチ」で通っていますから、事実関係に頓着する者は一人とていません。
ここで、一番重要なのは、我が家の「一人掛け」にまつわるバックストーリーの信憑性そのものではありません。「あのガッキーも座った」との物語性にベットした馬鹿なオヤジがいて、そのことをまずは同時代的に家族全員が許容もし、一緒に面白がりもした。その家族の物語こそが、やがて現物とともに場所を違え、持ち主を違えしながら伝搬していくということ。その、究極にはどうでもいいことが、身内に閉じているならば折々で僕の耳に届くこともあるかな、という実に儚い楽しみなのであります。
実際、新垣結衣よりはむしろ星野源のファンの僕には、コロナ下の名曲「おうちで踊ろう」ならぬ、「おうちで回そう」のささやかな実践者でいたい、それだけのことです。
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