神よ、今半のすき焼き弁当を与えたまえ
先の土曜日、東京・品川で開催された、とある医療系の講習会で講師を務めた。有り難いことに、毎年出番を設けていただいている。
僕の担当は公共経営の研究者の立場から病院経営の諸課題を扱うこと。僕以外の講師陣はほぼ病院のドクターたちであるから、多少のアウェイ感は否めない。しかしながら、僕は、この講習会を大切な年中行事のひとつと位置づけ、毎年この日の出講を心待ちにしているのであった。
なんだかんだと10年以上同じメンバーでやってきたので、「ドクターたち」ともすっかり気心が知れているということもある。ただ、一番の「心待ち」は昼食。毎年、判を押したように供される今半のすき焼き弁当、これがなんとも旨いのである。
講習会で僕が受け持つのはどちらかというと周縁的なテーマなので、たいがい出番は午後の部。しかも、後半の方と相場が決まっている。ゆえに、午前中は会場の最後方に陣取っては、目はスクリーンのスライドを漫然と眺めつつ、心は「今半のすき焼き弁当」に恋焦がれているのだった。
さて、終わってみれば、今年の講習会、お昼は「今半のすき焼き弁当」ではなかった。それもそのはず、今回の講習会は、今半は昼の部ではなく、夜の部に「格上げ」となったのであった。「弁当の今半」は出ない代わりに「銀座の今半」に行けるとなれば、自ずと士気も上がる。クレームをつけようなどという者は一人もいない。
もちろん、夜の部=銀座今半のことは講師陣には事前に知らされていたのだが、それはそれとして、少なくとも僕は、お昼の弁当が今半でなかったことに、いまも若干の喪失感を禁じ得ないでいる。
サシは控えめながら、「さすが今半!」とうならせる柔らかくも味わい深いお肉。これを、出汁の効いた絶妙な卵のタレにからめていただく至福の時間。——若い人ならボリューム的にイマイチ物足りないかもしれない(=イマ半?)が、僕らにはちょうど良いサイズのあのお弁当は、日本人として生まれ育った者には何物にも勝る究極の贅沢弁当かと思う。18歳で父の反対に抗いながらも東京に出てきて本当に良かった。
ということで、講習会が無事に終わり、タクシー3台に分乗して銀座今半に出向いたときの高揚感たるや、これはこれで別物ではあった。お昼に今半……を我慢している分、期待はなおさらである。
今回、今半の実店舗に足を踏み入れたからこそ分かったこともいくつかあった。
例えば、銀座6丁目の今半銀座店の前でタクシーを降りてみれば、そのビルの名前が「交詢ビル」というではないか。若い頃から何度か仰ぎ見たことのある、あの歴史的結社「交詢社」の正面玄関部分など、文化遺産的意匠の一部を残しながら、すっかり新しい複合型商業施設に生まれ変わっているのだった。
「交詢社」と言えば、1880年(明治13年)に福沢諭吉が始めたとされる日本最古の社交クラブである。同団体が1889年より刊行してきた「日本紳士録」は、これまた日本初のWho’s Whoとしてつとに有名であるが、「個人情報保護法」施行(2005年)の影響もあって、採録者などからの削除依頼が相次ぎ、2007年に休刊(廃刊?)している。
ちなみに、「休刊」に至る最後の10年間〜15年間の同紳士録には、なぜか僕の名前も載っている。他に優先すべき人々が五万といたであろうに……「日本最古の社交クラブ」の情報収集力が地に落ちたことも休刊の遠因か? なんらかの名簿から無作為に、あるいは網羅的に候補者を抽出しては「載せませんか?」のDMを送りつけたものと推察される。洒落で「趣味はピアノ演奏」などと回答した、「紳士」とは無縁の僕のデータもスルッと採録されてしまった恰好だ。後で届いた掲載紳士録の「注文書」を見て少し納得がいった。多くの人たちにとっての「紳士録に載ったら記念に一冊買う」そのものが一つのビジネスモデルなのであろう。誰が買うか、とは思うものの、メルカリに格安で載っていれば我が家にも一冊、常備しないでもない、紳士のたしなみとして。
さて、懇親会開催の今半——正確には、「人形町今半」——は、交詢ビルの5階にあった。いくらのコースだったかは与り知らないこととは言え、数種の前菜から、メインのすき焼きから、最後の「卵ふわふわおじや」、加えてのデザート2種と、1人1万円は下らなかったかと思う。和装の女性スタッフがテーブルにつきっきりで調理してくれる黒毛和牛は、焦げつくことなどあろうはずもなく、絶妙の食べ頃である。これが外国なら20%、30%のチップくらいでは許しては貰えまい。
しかし、である。満腹で帰りの電車に揺られながらも、やはり、「今半のすき焼き弁当が食べたかったな……」と思う自分がいたのであった。過ぎたるは及ばざるがごとし、と言ってしまえばそれまでだが、銀座今半のリアルすき焼きは自分には贅沢が過ぎた。アタマにも胃袋にもどこかすとんと落ち切らない感じ? 第一、あれでは健康にもだいぶ負荷をかけてしまったのではないか。
贅沢にはやはり身の丈というものがあるのだろう。しかも、その「身の丈」とは生来のもので、年齢や収入によって簡単に伸び縮みすることはないに違いない。
今半銀座最高! 交詢ビルも歴史・ロケーションともに文句なし! しかも、お代はロハ万歳!
ただ、願わくば、来年はまた昼の部の、しかもお弁当バージョンの今半に戻らせてください。いえいえ、それとて身の丈知らずは自明だが、年に一回の「今半のすき焼き弁当」ならバチも当たるまい。もちろん、神様、また次の一年、それに見合う研鑽を惜しみません。
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