女性のべしゃりが世界を変える
ミソジニーの嫌疑を恐れずに書けば、男性に比して女性とはとりわけ3べる領域に秀でた生き物と心得る。「3べる領域」とは、すなわち、しゃべる、食べる、とらべる(旅行)。なかでも、「しゃべる」については、言語中枢を司る、大脳皮質の言語野のつくりや働きそのものからして男とは違う、ということが学問的にも確かめられているが、これまでの人生、その傍証には枚挙にいとまがない。
例えば、80年代の終わり、第一子の誕生を待ちわびるニューヨークのアパートで、我々夫婦は、すぐ上の階が原因のかなり大規模な水漏れ事故に見舞われた。すでに買ってあったクリブ(ベビーベッド)に漏水が滝のように降り注ぎ、肝を冷やしたことをいまも忘れない。数週間遅かったなら赤子の顔にかかっていてもなんらおかしくなかったからだ。
アイダホから一昼夜かけて、自家用車を運転してやってきた——そのこと自体もびっくり!——上階のオーナーの老夫妻はアジア系で、なんでも何十年も前に日本に暮らしたこともある、という。澱みない日本語で謝るべきは謝り、主張すべきは主張する奥さんに対し、ご主人はもうすっかり日本語は忘れてしもうた、とばかり、奥さんの陰に隠れて縮こまっておられた。事の重大さそっちのけで、その男女の言語能力のコントラストにいたく感心したことを昨日のことのように覚えている。
かくして、命拾いした長男がやっとよちよち歩きを始めたころ、ハドソン河を隔ててマンハッタンの対岸となる、ニュージャージー州エッジウォーターの、いまはなきヤオハンでのこと。買い物を済ませ、フードコートでうどんなんぞを食べながら僕ら夫婦は周りを多くのアジア人に囲まれた気やすさにすっかり弛緩しきっていたのだと思う。マンハッタン内なら絶対にやらない、息子の手を離してその辺を好き勝手歩かせてしまっていたのだ。案の定、通りがかりの白人紳士の足下でよろけて、倒れてしまった長男。彼が立ちあがろうとするのを、優しい笑顔で助けようと手を差し伸べたその男性に、慌てて駆け寄った妻が、
Sorry! It’s your fault!(ごめんなさい! あなたが悪いのよ)
と、咄嗟に詫びた(?)ではないか、完璧な発音で。
言うまでもなく、ここは、it’s my fault=(ちゃんと見てなかった)私が悪いんです、というべきところだった。ただ、そんなことはこの際、どうでも良い。アメリカに渡って以来、長男(その後、次男も)の出産、子育てに翻弄されていた妻は、ろくに英語の勉強をやる時間も気力もなかったはず。確かに、結果的に、白人男性はすっかり当惑ぎみで目を白黒させてはいた。しかしながら、彼を芯から困らせるほどに妻の英語は当意即妙の英語だったということだ。
断っておくが、アメリカに渡った当初から、男の僕も書かせればちょっとしたものだったのだ。こんなこともあった。
ニューヨーク上陸当初、妻はすでに妊娠4ケ月だか5ケ月だった。郊外のモールで一式揃えた食卓やベッドだったが、一向に配達される気配がない。領収書の番号に電話をかけても、あろうことか、自分は売った人間で配達のことは関知しない、としゃーしゃーと曰うではないか。ハードフロアは文字通りハードなフロアで、直に我慢強い妻も、
「腰が痛ーい」
と弱音を吐き始めた。これは、もう、最終手段とばかり、
Dear manager,
から始まる手紙をしたためたのであった。曰く、家具一式を買ったにも関わらず、うんともすんとも言ってこない。マットレスなしに寝ることで、よもや妻が流産するようなことでもあれば、
I will definitely sue you.(必ずや、あなたを訴えます)
それから僅か数日後、むくつけき男たちが縦にも横にも寝られそうなキングサイズのベッドを運び込んでくれたのは痛快だった。
もっとも、この話には後日談がある。それからほぼ1ヶ月近く経ってから、同じ品番、同じサイズのベッドがもう1台届いたのである。想像するに、I will sue you の効果は絶大で、いわば超法規的措置としてベッドが1台配達のルートに載ったのだが、そこは連絡・調整がぐだぐだなものだから、元々のオーダーはオーダーで活きていて、「本来あるべき速度」で配達がなったものと思われる。
結局、バルキーでなにかと手狭なものだから、「余分の1台」を回収してもらうのに、さらに英会話を一段上達させざるを得なかったような次第。遅ればせながら、さまざまなトラブルに襲われるごとに僕もなんとか英会話力を向上できたのである。
ふとテレビを見やると、語るべき言葉を飲み込みがちな、男の、ジョー・バイデン米大統領が、自分の代わりに、民主党の大統領候補にカマラ・ハリス副大統領を指名したという。言語野に優れた、女の、カマラならべしゃりもバッチリだ。
思い起こせば4年前、あらゆるマイノリティを代表して、彼女が副大統領の指名を受けた際のスピーチはとても味わい深かった。
「私は副大統領となる最初の女性かもしれませんが、最後ではありません。なぜならこれを見ている全ての少女たちが、アメリカは可能性に満ちた国だと確信するからです」(Vogue Japan
2020/11/20)
確かに。女性は、しゃべる、食べる、とらべる、そして、歴史から多くを学べる。