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ヤジ礼賛: 「東京新聞の望月です」を待ちながら
1月28日の未明まで続いた、10時間超金網デスマッチ「フジテレビの仕切り直し会見」をネット観戦した。結果、一部の記者たちが制御不能的に浴びせる「不規則発言」やヤジを、SNS上にヤブ蚊のように大量発生した「お行儀の良いネット民」が激しくディスるのを苦々しく思う。ディスるべきは記者たちのヤジではない。港浩一フジテレビ社長(会見冒頭辞任を表明)ら、フジテレビおよびその親会社であるフジメディアHDの幹部役員らが息をするようにつくウソの方なのだ。
名うてのヤジ職人の一人・東京新聞の望月衣塑子記者は、発言を許されると、ヤジり過ぎて痺れた喉をいったん整えるかのように小さく咳払いしてから、被害者女性に対する慎重な配慮(=「刺激しない」)を金科玉条のように繰り返す港社長に対し、
「中居氏に対する怒りはないのか!」
とヤジ……ではなく、マジで詰め寄った。まったくその通りだ、と我が内なるヤジを代弁して貰えたようで胸の空く思いがした。
組織の長たる者、まず一番に守るべきは構成員である若い女性社員(当時)の尊厳と未来であるのが当たり前で、旗艦番組の継続・延命ではないハズ。百歩譲ってそれも大事だったのなら、
「視聴率に目が眩み、一人の社員が直面した困難に正面から向き合えなかった」
となぜ正直に言えぬ。それができていたら、あのとぼけた風貌と相まって、世論はいくらか彼と彼の組織に同情を寄せたやもしれない。
もっとも、ヤジりにヤジったご当人・望月衣塑子さんも、今回ばかりはSNS上の誹謗中傷が堪えた様子で、自身のYouTubeチャンネル(Arc Times)のなかで、
「会社(東京新聞)でインターンをやってくれている6人の学生たちが口々に、とても良かったと声をかけてくれたのがなによりも嬉しかった」
と吐露されておられた。いまどき、就職先として新聞社に白羽の矢を立てる学生もどうかとは思うが、期せずして職場の未来の先輩が戦場で匍匐前進しながら、着実に真実に迫らんとする姿に感動を覚えたのならインターンシップ先に東京新聞を選んだ甲斐があったというもの。
そもそも新聞もテレビも、マスメディア関係者はだいたいが行儀が悪い、と相場が決まっていたではないか。いまは、YouTubeなど、ネット系のプラットフォームを主戦場とするフリーランスのジャーナリストらにすっかりお株を奪われた観があるが、フジテレビの「やり直し会見」は、会社や与党・自民党にだいぶ飼い慣らされてしまったオールドメディアの人々をも覚醒させる良い機会になったかと思う。
もう故人であるが、かつて「芸能レポーター」の草分け的な存在であった梨元勝さんの口癖は、開口一番の、
「恐縮ですが」
であった。これから切り込まんとする質問の趣旨・内容が相当に厳しくも、失礼でもあり、相手を必ずや怒らせるであろうことを確信しながらも、「恐縮ですが」と先に非礼を詫びたが最後、後は徹頭徹尾、相手を質問攻めにするぞ、という覚悟ののろしでもあった。
かたや、イソコ節は、
「東京新聞の望月です」
といささか早口でぶっきらぼうに口火を切るのがデフォルト。そこには、梨元さんの「恐縮ですが」に通じる、これからちと傲慢かますけど何分、望月の例のお約束なんで御免、のお詫びと気概が凝縮されているようで、(少なくとも僕には)小気味良い。
そもそも、ヤジは効果的であればあるほど揶揄的ではなく、隠喩的、暗喩的である。なので、
「フジは女衒(ぜげん)の巣窟みたいなもんじゃないか!」
と直喩的にヤジるより、
「TBSは死んだ」
と看板ニュース番組のアンカーマンたる自分をも含めて切り捨てた、オウム事件のときの筑紫哲也の言い切りがより響くのだ。
「フジは詰んだ。さりとて、元の三流テレビ局からいま一度やり直すだけ」
と関係者に知人も少なくない同局にヤジを……あ、いや、ゲキを飛ばしたい。