臭いは旨いと同根?
昨晩から熱を出した次男の長男(世間でいう「孫」?)のユウリが朝から我が家にやってきた。練馬の次男宅までクルマで出迎えに行った妻によると、吉祥寺駅前でパパがクルマを降りるときも、ユウリは力なく手を振るだけ。特段泣きわめくこともなかったのだとか。もっとも、生まれて半年から平日の日中は保育園での生活だから、パパとママと半日くらい離れていても全然平気なのだろう。
我が家では、ファイヤースティックの音声入力でYouTubeの好きな動画を呼び出したり、僕のメガネコレクションからお気に入りの一本を抜き取っては掛けてみたり、あるいは、ぶん投げてみたり……と、次々とルーティンをこなしていく。勝手知ったるなんとかで、僕と妻の逆鱗に触れないギリギリの線を攻めてくる。ジジバカながら、頭の良い子なのだなあ、と感心させられる。
もっとも、37度ほどではあるが、まだ熱はあるにはあるようで、心なしか、いたずらにいつもの粘りと破壊力がない。そして、
「スイカまだある?」
しきりと妻にスイカをおねだりする。身体が自然と水分を欲するのだろう。
「ごめんね。さっきので最後。もうないのよ」
と妻。僕は、37度(こちらは屋外の気温)をものともせず、すぐに近所のコンビニを2軒ハシゴするも、残念ながらスイカ丸ごともカットスイカもストックなし。とはいえ、手ぶらで帰るわけにもいかず、2軒目にして大ぶりの白桃の2ケパックをゲット。喜び勇んで家に帰ったら、
「コウスケかマナミちゃんに訊いてみないとね……」
と、さっそく息子夫婦それぞれにLINEする妻。3歳児としてのユウリが何を口にして良くて、何はダメなのか、決定権は僕らの手中にはないのだ。
そんな、息子夫婦への配慮や遠慮を見せたかと思えば、しかし、ふと見ると、妻が文字通り禁忌臭プンプンのチーズをユウリに、いままさに食べさせようとしている。しかも、なにそれ、と訊けば、
「グリュイエールチーズ。クサい、クサいって鼻つまみながら、美味しそうに食べるのよ」
と妻。
「そんなん大丈夫? 跳び箱1段、2段すっ飛ばして、いきなり6段から始めるようなものじゃない?」
と僕。
「私もそう思って、こっちのプロセスチーズあげたら、いやだ、こっちはバーバ食べてって。一度口つけたのイヤだったけど、捨てるのもったいないからぺろっと食べたわよ」
「それにしても、いきなりグリュイエールって……血は争えないってヤツか?」
そう、我が家では肉や魚などの食材は切り詰めても、チーズだけはカネに糸目はつけない、の信条(?)でやってきたのだ。それが証拠に、よそん家でのチーズフォンデュパーティーにお呼ばれした、当時、中学生だった長男が肩を落として帰宅するなり、
「あれ、チーズフォンデュとは名ばかりで、似て非なるもんだった」
というと、自分の部屋に籠ったことがある。僕ら夫婦は顔を見合わせながら、声には出さずにくくっと笑ったものだ。そう、我が家のように、家族4人でのチーズフォンデュに2種類のチーズ——エメンタールとグリュイエール——をブロックで買い込むのに、締めて1万円超を支出するのは、むしろ例外なのだ。「1万円」出すなら、いい具合に霜降りの牛肉を買って贅沢すき焼きでいくか、あるいは、子どもたちには内緒で老舗の鰻屋で夫婦で鰻重といくかのいずれかが一般的ではないか。それが我が家では、2種類チーズに白ワインを絡めた本格レシピに蕩尽する代わりに、他は極力切り詰めるをならわしとして子どもたちを育ててきた。そのまた子どもが発した、
「クサーい。(でも)おいちー」
は、まさにグリュイエールチーズの本質を言い当てているのだ(もっとも、「桃」はLINEでお伺いを立てるのに、「グリュイエール」はお伺いなしはイマイチ解せないが……)。
もっとも、「臭いは旨い」で、いつもいつも家族の意見が一致するわけではない。例えば、パクチー、またの名を香菜(シャンツァイ)。僕は長くこの香草を、「女が好みて、男が忌み嫌いしもの」とばかり思い込んでいた。あるとき、長男夫婦と食卓を囲み、妻の作ったジャージャー麺を食していたら、僕のために(?)器を分けて供された山盛りのパクチーを、妻や長男のお嫁さんが大掴みにつまんで振りかけるのは当然のこととして、長男も極々当然のことのように割と大胆に振りかけるのには驚いた。
「これ、好きなん?」
と訊けば、
「なんで? 嫌いなん? 旨いじゃん」
と息子。臭いは旨いは、どうやら血筋やDNAでは説明し切れないものらしい。
どうも僕はパクチーは六一〇ハップ(ムトウハップ)の匂いを想起してダメだ、と喉もとまで出かかったが、説明が長くなるし、長々と説明したところでホンモノの六一〇ハップ体験がない以上、真の理解は至難の業とばかり、美味しかったジャージャー麺の最後の一口と一緒に言葉を飲み込んだのだった。
それにしても、山崎貴監督作品としては「ゴジラ-1.0」と同じか、それ以上に大好きな映画「ALWAYS 三丁目の夕日」になぜ六一〇ハップの入浴シーンが採用されなかったのか、返す返す残念でならない。六一〇ハップといえば昭和、昭和といえば六一〇ハップといっても過言ではないが、僕はあの臭いとともに、どこぞの実験室からくすねてきたような、あのおどろおどろしい茶色のガラス瓶を子どもながらに嫌悪した。
それにしても、あの硫黄臭い……というか、まさにパクチー臭いあの入浴剤を昭和な人々はなぜにああも熱烈に受け容れたのだろう。肩こりやあせもなどを筆頭に、ありとあらゆる効能が謳われているが、多過ぎる効能とはすなわち効果の決め手がないことと裏腹ではないのか。
ところで、かくも国民的人気を博した入浴剤・六一〇ハップが2008年、忽然と世の中から消える事態に。そう、いっとき流行った硫化水素ガス自殺の「ガス」を発生させるに容易な、市販の2液混合のうちの1液として、他ならぬ六一〇ハップがアンダーグラウンドな脚光を浴びることに。ドラッグストア業界での「不売」運動のあおりを受けて、製造会社の武藤鉦製薬も静かに企業そのものを畳んでいる。
「ピーマンはピッピッピッ……カボチャはチャチャチャ……ニンジンはニンニンニン……白菜はクサいクサいクサーい」
ユウリがYouTubeで「やさいのうた」を繰り返し聴きながら、なぜか「白菜はクサいクサいクサい」のところだけ和しながら大ウケしている。違うよ、ユウリ、そこは、
「パクチーはクサいクサいクサい」
と歌おうよ。実際、パクチーやグリュイエールチーズや六一〇ハップの臭さに比べたら、「白菜」なんか無味無臭みたいなものなのだから。