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このオンボロの目で視る新しい世界

緑内障を進ませてしまって、眼圧を安定させるのに外科手術を受けたのが3年前の、ちょうどいま頃(2020年2月)です。朝晩の目薬だけでは眼圧をコントロールしきれなくなっていました。

巷間よく知られているように緑内障は「悪くしない」がすべて。一度死んでしまった視神経は再生不可だからです、いまのところは(…と希望を捨てない)。

結果、手術は上手くいったものの、視力はだいぶ落ちています。映画監督が夢だった高校生の頃は、8ミリフィルムでせっせと「作品」を撮り溜めていましたが、例えていえば、商業用35ミリ映画とお手軽8ミリムービーの違い、といったら僕の現在の視力を少しはイメージしていただけるか。全体的に粒子が粗い上に、被写体や文字の輪郭がはっきりくっきりとはいきません。

「なーんだ、見えるんじゃん」

と言う口さがない向きもおいでかと。あ、そうそう。8ミリ画質に加えて、視野欠損があることを忘れてました。

例えば、朝食にパンケーキのイチゴ載せが食卓に供せられた、とします(好物です)。

「いやー、美味しかった。ご馳走さま」

と言うと、家内に、

「どうしたの? まだイチゴ2、3個残ってるし」

と指摘されるようなことがしょっちゅうです。それが視野欠損。自分ではハッキリそうだと自覚しているわけではないのですが、両目で担う視界の、下の方の一角がすっぽりと欠けています。

「どうしたの? サラダ、まだカブだけ残ってるし」

これも視野欠損……ではなくて、タダの好き嫌い。カブとナスとパクチー、一般的に女性と男性、意見が大きく対立する食材と心得ます。

あ、8ミリ画質、視野欠損に加えることのまぶしさ。僕の場合、実は、この「まぶしさ」が一番の難儀です。日中の太陽、煌々とオフィスを照らす蛍光灯、あるいはLED、これらがなんといっても目に、気持ちに負荷をかけます。反対に、どんよりとした曇天下の風景、仄暗いカフェやレストランの控えめで上品な照明(すなわち白熱球光)、あるいは電球色を忠実に再現した一群のハイスペックLED、これらは大歓迎。「中二病」ではないですが、我ながらなかなか難しいお年頃です。

さて、以上で現在の僕が抱える問題はだいたい要約できたとは思うものの、よく晴れた日曜の遅い朝、例えば今朝、寝室の窓から見える樹齢云十年の大木に燦々と注ぐ日差しが心から気持ち良い、と感じられるのはなぜか。その体調や心情は——イレギュラー過ぎて——上手く自己分析できません。

その大木の幹と葉むらは直射日光の大方を遮ってはくれていますが、さりとて何股にも分かれた幹の表皮まできらきらと光らせてから、太陽光は僕の網膜に痛みとして飛び込んでくる……はずなのが全然痛くない。いや、むしろそのハレーション気味の光景は正常な視力を持つ人の誰も感じられないのではないか、と優越感さえ覚えます。

クルマの運転、コンタクトレンズ、ハワイとか沖縄とかの強い日差しと切っても切れない場所……ギブアップした事、モノ、場所はいくつかあれど、どっこいこの新しい視野、視力で、未だ見たこと、感じたことのない世界との付き合いをはじめています。



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