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フランク・ロイド・ライト3世の未完の邸宅

スマホのGoogleスケジュールを高速スクロールすると、ちょうど10年前の今日、米国カリフォルニア州サンタモニカで開催された、とある会議の空き時間を縫って、高級住宅地として名高いマリブに、建築界の巨匠フランク・ロイド・ライト(1867-1959)のお孫さんを訪ねたことが記されている。で、同じスマホで、今度は写真アプリを立ち上げて、同日の記録を確認すれば、確かに、そのときのライト夫妻や、自身も建築家であるライトさん自らが手がけたご自宅の写真などが次から次へと湧き出てくるではないか。

マリブの丘の上に建つその家は未完で、家の骨格をコンクリートで打ったところで打ち捨てられた恰好である。細かい造作はおろか、曲がりなりにも「住める」という段階にも到底達していないのである(その実、ライト夫妻は「作品」に隣接するも、作品とは較ぶべくもないほど小ぶりで質素な住宅で静謐な生活を送っておられた)。DNAは抗えないとはこのことで、その圧巻のフォルムは心から完成が望まれる。

丘の上に、そんな未完の要塞があることをメディアが嗅ぎつけないはずもなく、例えば、ファッション誌などは、(文字通り)打ちっぱなしのコンクリートのテラスに、ポージングするモデルさんを配しては、ここが地球上かどうかでさえ定かでない雰囲気を醸し出しているのだった。


それにしても、未完のままで放置されている理由を問われ、フランク・ロイド・ライト3世が、

「完成した途端に、ここら辺りのバカ高い不動産税が課金されはじめるからね」

といって、いたずらっこのようにウインクして見せたのは可愛い過ぎた。そういわれて、改めてご夫妻を眺めてみれば、燻し銀のヒッピー・ライクな雰囲気は、その身なりからのみならず、「友人の、そのまた友人」というだけの僕らを百%歓待してくださったその博愛主義ぶりからも窺い知れるというものである。

ライト夫妻


ならば、なんのために着工するだけはしたのか、とまでは訊けなかったのだが、たぶん、途中で資金が尽きたか、途中で完成そのものへの興味が尽きたか、あるいはその両方ではなかったか。サグラダファミリアの建立は、スペイン内戦で設計図までもが消失するなどして途中頓挫しかけたが、日本人建築家・外尾悦郎を含む多くの後継者の想像力によって「ガウディのスケッチ」が2026年には一応の完成をみるという。

マリブの未完のライト邸が、あるいはその施主で設計者のフランク・ロイド・ライト3世がどうしておられるのか……残念ながらあれから10年を経たいまでは知るすべもない。

ところで、「未完好きの3世」と言えば、我が家にも真っ先に思い当たるのが一人。次男の長男であることからすると、こちらも「3世」と呼んで呼べないこともないが、そもそも「1世」にさしたる業績が思い当たらないので、こちらは「未完好きの3歳」と呼びたい。

「子供は遊びの発明家」といったりするが、我が家の場合、「遊びの発明家」の面では、僕もまだまだ人後に落ちないを自負している。

つい先日も、「3歳」がサインペンでテーブルの白い天板やアイロン台にいたずら書きをしてばかりなものだから、気を逸らす意味でも、「サインペンの井桁積みでタワーをつくろう!」という遊びを思いついた。で、即「3歳」と遊んでみたら、これが彼のなかなかの好評を博したではないか。

サインペンを縦に2本並べたら、次に横に2本積む。これを「3歳」と交互にやる。この繰り返しでサインペンタワーをどれだけ高く積めるかが勝負の共同作業……のはずが、まだサインペンを10本以上余して「3歳」、

「もういい? もういい?」

と、しつこくせがんでくるのである。そう、彼が心待ちにしているのはタワーの完成などではない。

「よし!」

「1世」の許しを得るが早いか、タワーをぐちゃぐちゃにする破壊行為に恍惚としている。「未完好きの3歳」の所以である。

先日、東京・白金台の新設ギャラリーで開催された安田侃展を訪問した際、安田さんご自身の口から、

「札幌駅のJRタワーはコンクリ造りだから百年なりなんなりすれば朽ち果てるのが定め。でも、「妙夢(みょうむ)」は場所を違えてでもずっと遺りつづける」

と、同駅の西側コンコースに設置された自身の作品が大理石であることの意味を説いておられた。

札幌駅の安田侃「妙夢」


もっとも、マリブの「3世」の未完の邸宅も、札幌駅の安田侃も、「3歳」の井桁のサインペンタワーも——僕が生きている限りは、という限定はつくが——ずっと心に刻まれ続けるという意味においてはまったくの等価値ではあるなあ、と思うのである。







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