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非常勤の人
自民党総裁選にラスボス風にイキって出馬表明した小泉進次郎が、またとんでもないことを言い出した。解雇規制の見直し? 撤廃? すなわち、企業側の一方的な事情、裁量で従業員をばんばんクビにできるようにしようというもの。小泉パパに始まる、悪夢の新自由主義劇場の第二幕かよ……である、まったく。
アメリカ映画——とりわけコメディ——でお馴染みの、ある朝出社したら、上司に開口一番、
"You’re fired. "
(「お前はクビだ」)
と切り出され、抗議するでもなく、そそくさと私物をまとめた段ボール箱を両手で抱えてオフィスを後にする主人公のなんともトホホなシーン。下手すると、2年や3年でここ日本でも珍しくない光景となるやもしれない。
背後には、労働市場の流動性や国際競争力の低下が著しいことなど色々とあろうかとは思う。ただ、腹立たしいのはオマユウ。お前にだけは言われたくなかった。政治家4世として343光り(「七光り」の3乗)のあなたに、タダの一度も正門から就職を果たしたことのないあなたに、新しい仕事と出会う面白さ、解雇の悲哀、転職の厳しさ……一体なにが分かるというのだ。こればかりは、同じ次郎は次郎でも車寅次郎の名ゼリフ、
「それを言っちゃあ、お終いよ」
こそをシン・次郎に百倍返ししたい。
閑話休題。まさに「解雇規制」の恩恵もあって、ここまでの人生、好き勝手やったり、発言したりしてきたわりには、安定雇用の、完全給与所得者生活を30年以上享受してきた。お蔭で、結婚も、子育ても人並みにはやれたし、家やクルマのローンもなんとか払い終えた……と思った矢先のドクターストップ。持病の緑内障を悪くして、定職を若干早めに切り上げた。あれからもうじき2年になろうとしている。
現在は、いくつかの非常勤仕事(大学講師や会社役員、NPO理事など)をかき寄せ、かき寄せすれば、現役!な時代の1/3くらいの忙しさで1/2ほどの実入りといったところか。こんなジャグリングな塩梅がいつまで続けられるかは保証の限りではないが、もはや進次郎さんにとやかく言われる筋合いはないし、第一、こうして昼間っから呑気にnoteできるというのもしばらくはなかったこと。有り難い。
例えば、昨日の午後などは、芝公園のとある財団での会議に出席。この際、出席者の一人で、長年の研究仲間でもある女性研究者から興味深い話を聞いた。
実は彼女も、フルタイムの教授として務めていた京都の大学を前年度でいったん退職し、この4月からは大学院のみ非常勤で教えているのだが、研究の一環として同大で数年前に始めた「都市養蜂」の実践を現在も続けているのだとか。
都市養蜂としては、なんといっても「銀座ミツバチ」プロジェクトの試みがつとに有名であるが、在任中、彼女が勤務先大学で始めた養蜂も一時は大きな評判を呼び、その美貌もあいまって「養蜂家教授」として学内外のプレスに大きく採り上げられたりした。
いまも京都のキャンパス内に巣箱を残しているのだとか。大学が夏休みのこの期間も、例年になくクソ暑いこの夏をミツバチたちが無事に乗り越えられるように、また、スズメバチや特定種のダニにやられないように、ときどきは新幹線で東京・京都間を往復しているという、もっぱらミツバチたちのために!
大学から旅費は出てるの、と訊けば、
「そんなん出たらえーな。ぜーんぶ自腹よお」
と彼女。責任感の強さに常勤も非常勤もないのだな、とつくづく感心したつい昨日の昼下がりである。
ところで、こっちこそ「解雇規制の見直し」の検討が急がれるのが、兵庫県の斎藤元彦知事。百条委員会で吊し上げられようとも、維新の先輩・吉村大阪府知事に直接説得されようとも微動だにしない。自らの正当性に微塵もの疑いがない、という見方がある一方、当分は再就職に困難が予想される40代知事が、
「1期はやり遂げて知事退職金の4千万余を貰いたいはず」
「役所を去るのは、せめて12月のボーナスの権利を得てから」
などなど、色んな憶測がYouTube上を賑わせている。案外、フルタイムの政治家を辞めたあとの「非常勤な日々」のイメージが描けずにいるのかもしれない。
記者たちからのどんな意地悪な質問にも決して動じない鉄面皮な対応は、例えば、コールセンター(カスタマーセンター?)の電話オペレータに向いているのでは? いかなる辛辣な苦情にも動じない点はぴったりと思いつつも、お客への共感力がなさ過ぎて、すなわち、「非常勤の人」というよりは「非情の人」過ぎて、シフト表の登板が週4日から3日に、3日から2日に……みるみる減らされてしまいはしまいか。早晩、「斎藤元知事」の方がカスタマーセンターに電凸する「セルフ・クレイマー化」辺りがオチかもしれない。
もっとも、斎藤知事の就労態度に共感の余地がまったくないかといえば、そうでもない。
例えば、知事は側近の県幹部にチャットでのやり取りを「強要」。5000件に近い知事からの送信チャットのうち2000件近くが深夜・休日などの「時間外」送信であったとのこと。返事を強要されているようで気が休まらなかった等の声が上がっているというが、実はこれ、僕もよくやるので知事の気持ちはなんとなく分かる。
斎藤知事は「備忘録のつもりもあって……」と述懐しているが、確かに、チャットやメールにはそういった面も多分にあるし、そもそもチャットやメールは「送信!」とやるだけで、一つ仕事が手離れするわけだ。もちろん、非常識な時間に受け取った側のプレッシャーたるや想像にかたくないが、送った本人は案外、送った事実さえケロッと忘れていたりする。
「非常勤」とは、「常勤」の勤務時間を9時-5時とか、月-金とか予め厳密に規定した上で、その範囲内での「常勤」になんら縛られない(=常勤に非ず)ということ。「非常勤」と表現するが、その実、そもそもがアドホックな行動や労働を常に強いられる政治家やフリーランスの人々のような場合、むしろ年がら年中仕事に思いを馳せるのが当たり前で、常時仕事しているようでもあり、常時遊んでいるようでもある「超常勤」なる、混沌とした時間が脈々と流れることを意味する。
そこに、「常勤は常に働くことを良しとしない」と「非常勤は常に働くことを厭わない」との間で、あたかも意味内容の交錯や逆転現象が起きる。
いっそのこと、「常勤」=「常識すぎる勤務形態」、「非常勤」=「ときに非常識をも甘受する勤務形態」とすればより深い理解も進むような気もするし、非常勤な毎日がより愛おしく思えて来る不思議。
もちろん、人によって向き、不向きはある。そもそもはフリーランスの文筆家として社会に出た僕は、ときに非常識、非日常を甘受する「非常勤なる人」の日々の営みにより強く魅せられるのだろう(もちろん、相手の迷惑を顧みない、非常識な時間のチャットは、この機会に厳に慎む)。