大学教授と定年制
先の金曜の午後は北大の大学院で久々の2コマ続き=3時間の授業でした。喋るだけならもう、あと1コマでも2コマでもイケるのですが、今年度の履修生6名にほぼ均等に視線をくれながら、一人ひとりに目でも語りかけるという、ついこないだまでは意識するでもなく普通にできていたことがなかなか難儀です。他でもない、緑内障由来の視力低下は如何ともし難く、最後の方は眼球丸ごとが悲鳴を上げているような感じでした。
それでも、本務校(北海学園大学)を2年前に「早期定年退職」し、こうして北大や北海学園大の大学院の授業だけ非常勤で受け持つようになってみると、改めて教えるということの面白さや深淵を垣間見る思いです。
日本の場合、大学教員の定年は、大学によってまちまちであるものの、だいたい65歳から70歳の間の年齢に設定されているように思います。最近は、企業も定年延長の議論がかまびすしいですが、それでもだいたいは60歳から65歳のレンジに収まるかと。大学教員になるには、通常、最低でも修士課程に2年、博士課程に3年を要することを考えると、大学・企業間の年齢格差はむべなるかな。むしろ、日本の大学は、アメリカやカナダの大学に言うテニュア、すなわち終身在職権を検討すべき時期に来ているように思います。
北米の「テニュア」は、年齢差別撤廃の観点から文字通りの終身雇用を意味するケースが珍しくなく、すなわち退職年齢は教員の自己申告に拠っていることが多いわけです。そこが、定年のある、日本の「終身雇用」とは全然違っています。
ただ、この強制的に退職年齢を区切られるのではない、辞めたいときが辞めるときというテニュア制度にも難点はあるのでして。
例えば、僕のアメリカ留学時代の指導教授は、35年前の留学時点ですでにかなりのご高齢でしたが、その後、さらに10年、15年勤め続けた挙句に勤務先大学を訴えることに。曰く、授業の持ちコマ数で年齢差別を受けている、と。すなわち、高齢であることを理由に少ない授業機会しか与えられないのはおかしい、というわけです(授業数と給料が正の相関にあるようです)。
ただ、このケース、最終的にはそもそも原告(僕の先生)の認知症に配慮したため、という被告(大学)の言い分が認められて、先生の完全敗訴となり、結局大学を追われてしまうことに。しかも、同先生は長年、キャンパス内に大学が所有する教員住宅を住まいとしていたものですから、この公宅からも追い出されてしまうという悲劇的な結末を迎えました。——定年制がない、つまりは勤務の強制終了がない、というのも良し悪しだなと考えるに至った大きな出来事の一つでした。
もっとも、僕が早期退職によってフルタイムの大学教員であることに区切りをつけたのは緑内障だけが理由ではありません。有り体に言えば、「学生を教える」「学生の人生と関わる」を楽しめなくなっている自分がいたのでありました。もちろん、漫然と続けても良かったわけですが、やはりたった一度の人生、大学に専任の研究職を得た四半世紀前のあのワクワクを、もう一度なにか別のかたちで得たい、といつもの思い切りの良い(良過ぎる)癖がついつい出てしまいました。
他方で、しかし、欧米のテニュアの導入には至っていなものの、テニュアトラックに準じる、任期制を採る日本の大学は少なくありません。「テニュアトラック」とは、若手研究者に期間限定ながら研究環境を与え、最終的にテニュアを授けて専任採用するか、それとも雇い止めかは最終審査の結果次第とするひとつのキャリアパス制度です。
この良い面は、とにもかくにもアカデミックな門戸がパッと開けること。反対に、悪い面は、その「門戸」が時間が来るとパッと閉じかねないこと。もちろん、5年間なり10年間なりの研鑽の結果が最終審査で評価される、と考えれば、悲観し過ぎる必要はなにもないのです。しかし、往々にして「最終審査」の審査基準は明示されてはおらず、どこに照準を合わせて研究業績や教育歴を積み上げれば良いのかが悩ましいところです。
アメリカの大学でも「最終審査」でネガティブな評価を貰った研究者が、教授会の会場に乱入して銃を乱射するという痛ましい事件が時々発生するのも、この納得感の欠如がひとつの誘因と思われます。
ならば、僕はいわば日本版のテニュアトラック制として「ピックアップトラック制」を提唱したいのであります(前者は「道筋」のtrack、後者は「クルマ」のtruck。ゆめゆめお間違いなく)。
そもそもピックアップトラックは、車体の前方がキャビン、後方が(屋根のない)開放式の荷台となった小型トラックのことですが、近年の傾向としては「キャビン」部分に各メーカー、贅を尽くしたヤングエグゼクティブ仕様を競っています。
欧米のテニュアトラック制が研究者としてのキャリアパスを追い続けられるか否かが究極には最終審査に拠っているのに対して、日本型のピックアップトラック制では、「キャビン」=研究者の椅子そのものには座らせてあげよう、ただ、5年なり10年の間に、「荷台」=研究・教育のショーケースに積み上がった研究業績や教育歴、学内業務の実績が日常的に大学内外に開示され、交換されることで、プロ野球で言う「交換トレード」が大学間で不断に行われるというもの。5年なり10年なりが経っていよいよ売れ残っている研究者はよほどデキるか、よほどポンコツかのいずれかでしょうから、前者なら「テニュア」(=文字通りの終身在職権)を無条件に与えることになりましょうし、後者なら、やはりそこは市場主義原理で「戦力外通告」を下すより他はないかもしれません。
米国のピックアップトラック市場でトヨタのタコマとタンドラは常に人気上位の車種ですが、日本の研究者も国内のみならず海外をも含めたキャリアパスを思い描くべき時代がとっくに来ているのだと思います。
※本note上、「大学教授と——」シリーズの既存の記事には以下もあります。よろしければ。
大学教授と就活
大学教授と旧姓使用
大学教授と結婚
大学教授と内職
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