時計台病院愛情綿物語
札幌の時計台記念病院で緑内障の手術をしたのは2020年2月。人々が未知のコロナウィルスにまだまだ震え上がっていた頃のことでした。
なにぶんドクターの「手術しよっか」から実際の入院までたった中1日だったものですから、個人的な入院準備にというよりは、留守中の仕事の段取りにバタつき、入院の朝はあっという間にやってきました。それでも、入院初日は、なにやかやと「お泊まりセット」を整えてくれた妻も病室まで入れたのですが、その後、彼女が再び病室まで上がって来られたのは2週間後の退院の日のことでした。当時、札幌と東京の2地域生活ではありましたが、「2週間会わない」と「2週間会えない」とでは心持ちがだいぶ違っていました。
明日、目が覚めるといよいよ手術……という晩に、病室から札幌テレビ塔の明かりが滲んで見えました。不安の涙で? いえいえ、緑内障の影響でもうだいぶ前から夜景はロマンチックモードにぼやけて見えます。これでも昼間の眩しさに較べれば、ずっとずっと心地良いのですが。
さて、今回の手術は朝晩の目薬だけでは調整が効かなくなった眼圧をコントロールするため。要は、眼圧調整用のドレイン(排水孔)を眼球の、白目の部分に造成するという簡単な(?)ものでした。眼圧が上がると、そこから内液が排出されて一定程度以上には眼圧が上がらない、という仕組みです。
入院が2週間にも及ぶのは、日々眼圧の変化を観察して、「ドレイン」の大きさをちょっとずつ調整するからでして、毎朝眼圧を測る以外は基本ヒマなのです。で、人間ヒマだと色々と些末なこと、余計なことに意識が向かうものであります。
例えば、割り当てられた病室のすぐお隣りが電話コーナーとなっていまして、電話をかける他の患者さんの声についつい耳をそば立ててしまいます。中年男性の声、
「利用者さんが暴れてさ、なんとか宥めにかかったんだけど、顔面にパンチを喰らっちゃって。前に入れた白内障治療用のレンズが斜めっちゃった(笑)」
笑ってる場合じゃないぞ! 大変なことだぞ! ——それにしても、プロ意識が高いのか、ただ愚鈍なだけか、目の中でレンズがズレているにも拘らず、笑っていられるその神経は大いに見習いたいものです。
また、例えば、1日に4回、目薬の時間が巡ってくるのですが、ここ病院では目薬を点すのは看護師さんの専管事項。患者としての僕がやることといったらただ天を仰ぐだけなのですが、この時の看護師さんの所作、物言いの一つひとつがなんとも素敵です。
「はーい、両目とも上手くさせました!」
注射とは違って一切怖くはないし、そもそも目薬そのものが冷たくて気持ち良いのなんの。続く、
「はーい、目は閉じたまま。次、愛情綿いきまーす」
が聞こえると、看護師さんがそれ専用の濡れたカット綿で目蓋辺りを優しくのの字、のの字に拭ってくれるのが、これがまた至福の時間でして。この時間が永遠に続けば良いのに、とさえ思えるのでした。
それにしても、「愛情綿」とは少しだけおダサいですが、ド直球の、秀逸なネーミングだと思います。一枚、一枚、アルミでラミネートされた小袋に入っていて、デザイン性を極力排した、いかにもプロ仕様。あまりの気持ち良さに、
「スミマセン、目やにを拭くのに少し、分けて貰ってもいいですか?」
と3回に1回はおねだりして、密かにストックしたりもしました(退院後しばらくは、Amazonでも買いました)。
一連2枚の愛情綿を頭痛薬やコロンの小分けスプレー瓶を入れた化粧ポーチにしのばせて、折に触れ今度は自分でのの字、のの字やったことが、コロナ下の入院生活、続く自宅療養生活の懐かしい思い出です。
あ、これは書こうか書くまいか一瞬迷いますが、「愛情綿」が僕の聞き違い、思い違いであることは、もちろん早々に気づきはしました(正式な商標は「アイ浄綿」)。でも、あのコロナ下の、厳戒態勢の病院で、優しい妻の、頼りになるドクターの、そして、点眼百発百中の看護師さんたちの献身に支えられて少しずつ恢復に向かう日々、僕を優しく、ひんやりと癒し、早く良くなーれ、早く良くなーれと呪文をかけ続けてくれたのは愛情綿以外の何物でもなかったのだ、と振り返りながら、今朝も家内のつくった、出汁味最高の鶏そばを美味しくいただいたのでした(愛情麺?)。
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