助手席の人
緑内障を悪くして、クルマの運転をやめたのが2019年の暮れ。
当時の僕はと言えば、それはそれはクルマにだらしなくて……。北海道に2台、東京に1台の計3台を同時に所有しては、冗費をだらだらと垂れ流し続けていたのだった。
左目の眼圧が下がりきらなくなり、いよいよ手術が不可避、と北大病院の眼科のドクターに宣告されたのを機に、慌てて「北海道の2台」を断捨離……ならぬ、「断車輪」した恰好だ。
結果、ビッグモーターでこそなかったが、中古車買取業者にかなり買い叩かれたように思う。それでも、自分ではガレージからクルマを出せなくなる前に持ち去ってもらえるだけ「助かった……」というのが正直な気持ちだった。
2020年の2月に受けた左目の手術は上手くいったが、それは視力の急速な低下をなんとか食い止められたまでのこと。すでに失くした分の視神経が蘇ったわけではなかった。結果として、中学以来のコンタクトレンズをやめ、趣味のカメラ集めをやめ、ついにはクルマの運転をやめたのだった。
もっとも、「コンタクトレンズ」の代わりにJINSのあちこちの実店舗やオンラインストアで狂ったようにメガネの爆買いにいっときハマったのは、あれはあれで楽しかったなあ。
「カメラ集め」の代わりは手持ちのiPhone。これ1台でなんの不自由もなし。iPhoneのカメラ機能なら、なんとなく被写体の方向にレンズを向けて、焦点を合わすべきポイントを1回、人差し指でポチったら、あとは仮想シャッターを切るだけ。構図も被写界深度もこの際どうでも良くなっていた。
「クルマの運転」のことを言えば、そもそも僕は自動車の運転に不向きな人間であることは、自分でも薄々気づいていたのだ。
ときどきテレビのワイドショーなどで、車載カメラが捉えたとんでも事故や事件の映像をフラッシュで流したりするが、けっこうな頻度で「これ、僕もやりかねないな」と、思い当たるフシ大ありである。他人様を1人も轢くことなしにほぼ40年の運転席の人生活にピリオドが打てて本当に良かった。
考えてみれば、そもそも僕は生来、助手席の人かな、と思う。助手席好きの人? 助手席が似合う人? 助手席に1人は置いておきたい人? ——どれでもあるような、どれでもないような……。
メグ・ライアンの古い映画 When Harry Met Sally(邦題「恋人たちの予感」)は、シカゴ大学を一緒に卒業した2人が、ひょんなことから出会ったその日に、クルマの相乗りで新天地ニューヨーク/マンハッタンを目指す車中での、延々と続く会話から始まるのだが、運転手は常に女性のサリー(メグ・ライアン)で、ハリー(ビリー・クリスタル)はひたすら助手席の人。この設定が封切り当時からなぜかなんともお気に入りだった。
そもそもクルマを持ち出したのはサリーで、ハリーはガソリン代の割り勘要員ということなのだろう。ただでさえサリーに長距離運転の負荷をかけているのに、ドグマぎみのマシンガントークで彼女を辟易とさせるばかりのハリー。
そして、ついには、「助手席の人」ハリーをして、本ドラマの主旋律たる、あの名台詞が語られるのだ。以下は大胆な意訳です。
「男と女の間に友情は成り立ち得ない。お互いが魅力的であればあるほど、結局は例の問題(=sex)抜きには済まなくなるから。となると、例の問題抜きに友情が成り立つのは相手がよほどのブスかブ男で魅力ゼロの場合に限られる。ほら、並の男と女の間に友情なんか成り立ち得ないということ」
足をダッシュボードに投げ出し、グレープをムシャクシャ頬張りながら言いたい放題のハリーの長台詞のなんと饒舌で魅惑的なことか(脚本=ノーラ・エフロン)。——僕の「助手席の人」指向の原点……とまでは思わないが、少なくとも我が内なる助手席の人願望を見事に体現してみせた映画の一シーンではあったかな、と思う。
東京のマンションの駐車場代は月2万円だ。管理費や修繕積立金と一緒に引き落とされるので、これまではさほど負担とは感じなかったが、助手席専門の人になってみれば、高いには高いなあ、と思う。それは、保険料やガソリン代とて同じで、いっそ「東京の1台」も断車輪して、完璧なクルマフリーな生活を運転席の人(=妻)にパワポのスライド10枚にまとめてプレゼンしてみようかとも思う。
だけど、待てまて。反対に「助手席の人が享受する特権」についての講釈を正座して聞かされそう。
例えば、それは、運転席専用の人であったときは気がつきもしなかった「車窓の景色の僅かな変化にも季節の移ろいを感じることができること」、さらには「ときに運転席の人に気づかれないように歩道の女性をチラ見しようと思えばできること(でも、実はしっかり気づかれていたりすること)」などなど。
仕事で遅くなる次男夫婦の長男を練馬の保育所でピックアップした帰り、吉祥寺通を我が家に向け(妻が)クルマを走らせていたら、井の頭動物園にさしかかった辺りで、突然、クリス・レアのDriving for Christmas のイントロが流れてきたではないか。
旧いクルマのこと、音楽はiPhoneのBluetooth接続ではなくて、iPod(!)のケーブル接続だ。曲もおそらく最後の更新から5年や6年は経っている。
その野太い歌声を聴きながら、ふと心が遊んだのは、何百周したか分からない、北海道・洞爺湖畔のあの小径。いつかまた、もう一度自分の手でステアリングを握って周ってみたいものだ、と一瞬思った、というのが正直なところ。
え、助手席に可愛いお孫さんを乗せて? いえいえ、その2度とない奇跡の瞬間には、でき得るならばあの周回道路があんなにも大好きだった僕自身を助手席に乗せて運転したいものだ、Driving for Christmasを聴きながら、この僕の手で。
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