お下がりのシャンデリア
三鷹市役所で確定申告に必要な証明書を貰い受けたその足で、小金井の妻の実家に立ち寄る。「実家」には両親亡きあと妻の妹が一人で暮らしてきたが、つい先日、遅い結婚を果たしたお相手と二人してこの土地にこの先も住み続けることを決意。いささか旧くなったうわものを完全に取り壊し、一度更地にしてから、新しいのを建てることにしたのだった。
「新しいの」はいま流行りの平屋で、窓を開放すればリビングと一続きになる広いデッキも備えられる予定だ(以上は、義妹が我が家の食卓で嬉しそうに広げてくれたパース情報)。
めでたいことこの上ないが、こうして妻の実家の前に立ち、改めてその山荘風の二階建てを見上げてみれば、住んだことはおろか、泊まったこととてないのに、なぜか無性に懐かしさが込み上げてくる。
結婚目前で浮かれ気分だったあの日、深夜1時過ぎにクルマで(いまだ)妻(未満)を自宅に送り届けてみれば、そっと開けた玄関ドアの正面に義父(未満)がもの凄い形相で仁王立ちになっているではないか。安眠を妨げてはマズい、とばかり電話の一本入れなかったのが裏目に出た恰好だ。一事が万事、細心の目配せをしながらこの自慢の注文住宅で二人の娘を大切に育て上げた義父のこと、一睡もできなかっただろうことに不覚にも想像力が及ばなかった。
他方、生まれてからほぼ成人になるまでを、上海の日本租界の、裕福な医者の娘として過ごした義母は、基本、その家の設計を馴染みの建築家と夫(義父)とに丸っと委ねたものの、総煉瓦造りの上海の生家を懐かしんでか、家の内装や外構に煉瓦タイルをふんだんに使うことを求めて譲らなかった。当時としては珍しく蛍光灯をいっさい排除した室内には、そこここに赤い布やガラスのシェードのランプがぽつんぽつんと灯るのだった。
このたびは、義妹の格別のはからいで、取り壊し目前のその家の「掘り出し物市」に妻と参加させてもらったのだが、数ある掘り出し物のなかでも、夫婦ともにたっての希望だった、玄関の——そう、あの義父仁王立ちの玄関の——天井に長く吊るされてきた小ぶりのシャンデリアを我が家にお迎えすることが叶ったのがなによりも嬉しい。
義母が義父との欧州旅行の際に、フランス・リヨンの旧市街かどこかの店先で見初めたものだそうで、義父の必死の制止を振り切ってお買い上げ。義母自ら後生大事に抱きかかえながら持ち帰ってきた、とは家内談。大ぶりと小ぶりとを問わず、そもそもはシャンデリアなるものが好きで、実際、自身もリヨンの旧市街のシャンゼリゼ通り……ならぬ、「シャンデリア通り」でよほどひとつ買い上げてしまおうか、と悩んだ過去もある。それが、こうしていまやリヨン名物(?)シャンデリアのひとつが母のお下がりとして自分たちのものになって、実際に手にしてみて思うのは、このずしりと重い鉄の塊をよくぞ日本に持ち帰ってきたものだ、ということ。華奢でふだんなにかと控えめな義母も、こと美しいもの、一期一会的なものとなると話は別で、所有欲の強さでは僕なんぞとてもとても足下にも及ばない。
人は死をもって実に多くのモノを家族に遺すが、たいがいはガラクタ……とまではいわないが、すでに役目や効能が切れかかったものが大半。実際、義母のリヨンのシャンデリアとて、5灯分のシャンデリア球を取り寄せて旧いのとすべて交換してはみたものの、実際に明かりが灯ったのは2灯のみ。他は断線しているのやら、はたまた口金のネジ山自体がひしゃげて通電がきちんと確保できていないのやら……素人仕事ながら、なんとか天井に吊るして配線まで終えたものの、スイッチを入れても点灯が2/5だけと分かったときの落胆たるやなかった。
ただ、振り向けばそこに機能不全のシャンデリアを見上げる妻がいて、
「わあ、点いたねえ。きれい……」
と思いのほか喜んでいるではないか。実際、「掘り出し物市」で妹に両親の位牌を押しつけられ、困惑気味だった彼女には、むしろ「リヨンのシャンデリア」の方が素直に亡き父母に思いを馳せられる表象なのだろう。
遺されて嬉しいものは——この際、お金を別にして——やはり、趣味や嗜好に心通うものが一番なのだ。義母のシャンデリア相続起点ではないが、近頃、高齢者の仲間入りを自覚しつつある過程にある僕が、モノの所有を巡って指針としている態度が大きくはふたつある。
ひとつは、この先、スペアはもはや無用と心得る、という態度。
ここまでの人生、大切なモノ、希少なモノの多くは、ほぼ必ずといって良いほどひとつ、ふたつ、スペアの部品や本体そのものを余計に買ってきたが、もはや人生のスペアの方が有限であるし、そもそもうんと若い頃買って大切にしまってあるスペアからしてなかなか出番を迎えないまま死蔵されているではないか。ましてや、いまやAmazonはある、メルカリはある……たいがいのものは、ウェブ上の引き出しに格納され、いつでも取り出し可能なのだ。
いまひとつは、死して遺さない、手渡しでどんどん譲る、という態度。
もちろん、玄関の天井にしかと吊るされていて、妻の実家の第一印象を強く規定してきたシャンデリアを無理矢理引っ剥がさんばかりに貰い受ける、というのではない。モノ自体の「賞味期限」と贈り手・受け手双方の「適齢期」に即して生前贈与すべき、と考える。もちろん、喜ぶ顔が見たい、感謝されたい、というスケベ心もないではない。が、一番の効用は、モノと一緒にストーリー、すなわちモノ語りもあげられること。
リヨンのシャンデリア入手にどんな困難や達成があったのか、小金井のシャンデリアの下でいかなる出会いや別れ(や仁王立ちも)があったのか、いまは知る由もない。