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御茶ノ水の喫茶穂高は「ほたか」と濁らない_φ(・_・

午後、初めてお会いする出版社の編集者とJR御茶ノ水駅近くの喫茶店で待ち合わせ。

先方から予め提示されたお店の候補は、

①喫茶穂高
②星乃珈琲店

の二択だったのだが、僕は脊髄反射的に、

「では、喫茶穂高でお会いしましょう」

と即メールにお返事した。星乃珈琲店は同じ系列の別の店なら何度か客となったことがあるし、何より「喫茶穂高」の語感が醸し出す、えも言えない懐古趣味に強く惹かれたのだった。

しかして、喫茶穂高は懐古趣味……ならぬ山岳趣味? 創業者が根っからの山好き、(飛驒山脈の)穂高岳好きだったりするのだろう。店内のどこをどう切り取っても山小屋風なのであった。

これはきっと開業以来、内装を一切イジらずに来たに違いないと踏んだのだが、後でググってみれば、昭和30年創業の同店は、10数年前に建物そのものが建て替えられているではないか。ご主人の思いとご常連の願いが「テーマは山小屋のままで」で折り合ったということのよう。

喫茶 穂高(ほたか)

それにしても、こんな隠れ家喫茶店をまちが受容して来たこと自体、学生街・神田の懐は深い。常連と思しきお客さんたちも、スマホのカメラを向けるのが憚られるくらい燻し銀の年配者が目につく。窓際の白髪の老紳士などは、猫背でコーヒーを啜りながら、そのまま静かに白骨化が進行中かと見まごうばかりであった。

いつものことだが、約束の時間より30分は先に着くのが僕の流儀(とかカッコつけながら、目が悪いので、Google Mapが上手く機能しなかった場合に備えて、早めはやめの行動を励行しているだけ)。独りミルクティーなど飲みながら、この先の、僕と穂高との距離感、関係性を想像してみる。

いつの日か、誰かとまた御茶ノ水で落ち合うとしよう。その際は、もう僕の頭の中のリストの筆頭に「喫茶穂高」はあるので、十中八九お相手をここに連れ込むことになるだろう。店に足を踏み入れた瞬間の、相手の反応(驚く顔、感嘆の声……)がいまから楽しみで仕方ない。

なら、僕自身、いつの日か穂高の「常連さん」の高みに上る日が来るのかと言えば、それはまた別の話。

思い返せば、博多で高校生だった頃も、東京で大学生になって後も、大なり小なり喫茶穂高的な店ばかりを無駄にハシゴしながら、多くの時間を無為に過ごしていたような。

いや、厳密に言えば、山小屋風のみならず、穴蔵風も、図書室風も、地下倉庫風も……色々あった。でも、昭和の喫茶店は喫茶穂高の系譜を遡れば大きくは一分類かと。

そんな穂高なる店の客として僕は、結局は好きになれなかった苦いにがいコーヒーを舐めながら、小説家や映画監督になる思いを抱きつつ、本を読み散らかし、駄文を書き殴っていた。結局のところ、いずれも生業にはできずに今日の僕がある。

いままた喫茶穂高の常連になるということは、もう一回振り出しに戻って、未だナニモノでもないが、いつの日かナニモノにでもなれたあそこから始めるということ? いや、もはやそんな熱量は僕のどこを探してもないのだが、少なくともそんな心持ちに引き戻されるのは難儀だなあ、と思う。

「いやいや、いまのうちのお馴染みさんにそんな人いませんて。イマドキそんなのはみーんなスタバかコメダに行きますもん」

とカウンターの向こうのマスターの声が聞こえたような気がしたのは気のせいか。

「マスター、でもね、スタバかコメダかホタカかはこの際重要ではなくて、その実、もう一回、あそこから始めてみたいと思わないでもない、往生際の悪い自分をときどき自分でも持て余すんスよ」

お店のスイングドアが内側に開いて、街の喧騒がいっとき店内に雪崩れ込んだ。自信なさげにこちらに小さく手を振る男性こそは、編集者のNさんに違いない。お顔を見るなり、ここにもまた、穂高なる過去を引きずるお仲間が一人?

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