Zoom会議疲れによく効く処方箋
ジャルジャルが好きだ。
もっとも2003年のコンビ結成以来、破竹の勢いで活躍の場を舞台、テレビ、YouTubeと広げてきたお二人(後藤淳平・福徳秀介)には失礼ながら、つい最近までお笑いコンビとしてはほぼノーマークであった。それが証拠に、それぞれの下の名前もいまさっきググって知ったような次第。
それが、2020年、あるいは21年のコロナの巣篭もり生活の中、ひょんなことから二人のYouTubeチャンネルをうっかり視聴してしまったのが運の尽き。いっとき僕のスマホのYouTubeはジャルジャルのコントと、瑛人の「香水」のカバー楽曲で埋め尽くされていた。
もともと活動の場としてYouTubeにいち早く着目していた彼ら。ライブ活動がままならないコロナ禍の時代、二人だけで、あるいは、明らかに素人と分かる多くのワカモノ、年配者、果ては謎の外国人まで引っ張り込んでYouTube版「リモートコント」のある種、フォーマット化に成功。その中毒性ゆえにあの頃の僕のような急性の中毒患者がいまこのときも世界中で静かに増殖し続けているかと思う。
さて、少し前置きが長くなったが、ジャルジャルのリモートコントの「フォーマット化」成功の要諦は2つ、と心得る。
ひとつは、出たとこ勝負の擬似ライブ感。すなわち、相対(あいたい)での綿密なネタ合わせなしで、大まかな方向性、粗いプロットだけ決めたら即収録の出たとこ勝負。学生時代から一緒にやってきた二人はもちろん阿吽の呼吸でイケるのだろうし、素人さんが入ったら入ったで思わぬハプニングやコントの破綻そのものがおいしい、と大らかに構えているのだろう。
いまひとつは、リモートコントのプラットフォームとして他でもないZoomを採用したこと。コロナで簡単には客前に立てない現実を逆手にとって、Zoomにできること、できないこと自体をコントの枠組みとしたからこそ生きるキャラや構成が面白い。
例えば、就活の「リモート面接」シリーズは、これなら無限に焼き直し可能な目からウロコのフォーマットと思えるほど。なかでも、ボケ担当の後藤が就活大学生に扮しつつ、面接担当者役の福徳の質問に生真面目に答えていると見せかけて、その実、リクルートスーツ姿のまま仰向けに寝てるんじゃないか疑惑がふつふつと湧き起こる。まさにZoom利用ならではのシチュエーションの妙。その不条理はジャルジャルの真骨頂である。
さて、Zoom使い名人=ジャルジャルを横目に見ながら、振り返って僕らの日常の仕事や生活の中にすっかり埋め込まれたZoom会議なるものについてもいま一度、あの初体験のわくわく感を取り戻せるのではないか、という思いが本稿を書かせた。例えば、それは、世のオジサンたちに、
「やっぱ会議は対面に限るわな」
などとしたり顔の紋切り口調を許さないためにも、いわばZoom会議疲れを吹っ飛ばす、あらゆる種類の栄養ドリンク剤を手当たり次第試してみるような作業と思っていただきたい。
もっとも、自分自身、Zoomの達人を名乗るほどには機能や運用に精通しているわけではないことを予め自己申告しておく。なので、以下は若干、付け焼き刃的な、小手先の提案じみていると自分でも認める。そのまま実践するもよし、これらをヒントにさらなる「秘伝のユンケル黄帝液」を自家調合するもよし。
トーキングヘッズ回帰! あるいは、デキルダケ画面共有禁止令のススメ
「トーキングヘッズ」とは、僕のなかで一義的には70年代から80年代にかけて活躍した、デヴィッド・バーン率いるアメリカの伝説のロックバンドTalking Headsのこと。しかしながら、字面通りに読めば「しゃべる雁首(がんくび)」とでも訳すことができようか。ここから転じて、「テレビ画面に映し出される、バストショットの論客たち」といったほどの意味になるという。
考えてみれば、コロナ禍を経て、Zoom上の4分割や16分割画面で一斉に議論を始めた僕たちこそは、「現代のトーキングヘッズ」に他ならない。
もちろん、Zoomには分割画面主体の「ギャラリー」モードの他に、喋り手中心の「スピーカー」モードがあって、喋り手と自分とは常に視線を合わせて対峙しているかの仮想1on1(ワン・オン・ワン)の関係にある。そこに、とかく個が埋没しがちなリアル会議にはない、Zoom会議ならではの圧倒的な魅力、優位性があると考える。
トーキングヘッズこそがZoomの強みならば、これを弱めてしまう個々の参加者の恣意性に任された「画面オフ」参加などは可能な限りご遠慮願いたい、とまずは釘を刺そう。
また、もう一つのZoomの強みとして喧伝されてきた「画面共有」機能による、参考資料などの晒しっぱなしなどは、これも極力避けるべきである。どうしても資料の共有が必要なときは、これをできるだけ短い時間にとどめよう。「画面共有」によって主役であるハズのトーキングヘッズをフレームの端に追いやりっぱなしとするのではなんとももったいない。
例えて言えば、それはお見合いの席で互いの釣書(身上書)ばかりに目をやって、お互いがお互いの目を見て話すことを忌避するような愚行だから。
Zoom画面は、もっぱらライブのトーキングヘッズのためにあり、その他、余計な情報で長時間画面を汚すのは厳に慎もう。——この単純な工夫だけで、Zoom会場が見違えるようにスッキリして、結果、断然活性化するからあら不思議。
小さなお約束のススメ
加えて、せっかく時空を越えてZoomに参集する者同士が繋がるのである。この「奇跡」に先んじて、参加者全員が事前に小さな約束を契った上で画面に居並ぶのもまた一興。「お約束」は、例えば、
◆全員が、お気に入りのマグカップをカメラ前に置いて参加
◆全員が、バーチャル背景を南国のビーチにして、(リアルな)アロハシャツ着用で参加
◆全員が、バーチャル背景を雪景色にして、可能な限り「着太り」して参加
◆全員が、「鼻メガネ」着用で参加
など他愛もないものが良い。もちろん、準備には多少なりとも面倒を要するが、予め「小さなお約束」を果たして参加している者同士、心なしか自然のうちに連帯が生まれ、結果、議論もいつも以上に弾むし、深まること請け合い。
良い議論ができたあとは、「ギャラリー」モードで漏れなく全員を入れ込んで、「はい、チーズ!」で破顔の笑顔のスクショを撮ることも忘れずに。
時間厳守! 定刻でカットアウトのススメ
Zoom会議が陥りがちなワナは、在宅リモートの気安さから、会議開始時間はともかく、終了時間がとかくルーズになりがちなこと。下手をすると、途中からアルコールに手を出す輩まで現れてズルズルダラダラモードに突入しがちである。
そこで、「トーキングヘッズ回帰」、「小さなお約束」に加えて、「定刻でカットアウト原則」を予め周知徹底しておこう。実践は簡単。Zoom会議の主催者が、時計の秒針と睨めっこしながら、時間で機械的に会議室をシャットダウンするだけ。
もちろん、当初は混乱や不満も多いことかと思う。曰く、
「あと3分あれば、結論が導き出せたのにい」
「結果、もう一回会議をやるくらいなら、30分延長すれば良かったのにい」
などなど。でも、それはあくまでもトラタヌの話。徐々に慣れてくれば、「最後の3分」で結論に至れたりの奇跡は起こるのが、これまた不思議である。
ケツカッチンがデフォルトとなれば、参加者それぞれの心のハードルもぐっと下がり、結果、参加への意欲も魅力も湧いてこようというもの。会議後も議場に居残ってダラダラやれない分、「定刻でカットアウト」はZoom会議ならではのお家芸とも言えよう。
来月にも、札幌、京都、ニューヨークを結んでのかなり大事なリモート会議を控えている「主催者」としての僕は、「小さなお約束」として、「今回は、全員が正装で寝転んでの参加」を切り出そうかどうしようか……いまも考えあぐねている。