吉田キミコ画のある風景④: 赤帽さんの助手席に乗って
青梅の個展では、その絵は「非売」となっていました。何年も前から、何点かある近い将来の購入希望リスト中の一枚として、キミコさんのご好意で額縁の上辺に小さな予約済の紙片を貼っていただいていたのです。
人形を抱く少女はキミコ画に独特の朱赤の服が印象的です。その、いわばキミコ・バーミリオンにも増して、絵を収めるケーシング自体がレリーフとしての高い完成度を誇り、しかも、絵そのものと一体化しているのがなんとも素敵。
ただ、キミコさん自身、大きな油絵を描くことに情熱を傾けておられた一時期の思い入れの強い一作のようで、この絵はやっぱり手許に残すことにしました、とは件の個展終了後に告げられたこと。内心、もっと早くに購入を決断・実行していれば……。後悔先に立たず、とはこのことです。ただ僕には、
「もし(売却に)気持ちが変わったら真っ先に教えてくださいね」
と伝えるのが精一杯だったわけです。
なので、「やはりこの絵は教授のもとに行くべきだったのかも」といっていただけたのがただただ嬉しくて……。と同時に、また、いつなんどきキミコさんの気持ちが変わらないとも限らないと思ったものですから、今回ばかりは購入を即断。その日のうちに受け渡し日を決めたのでした。
いよいよ搬出の水曜日、その日は朝から天気も上々で、井の頭公園のお池のほとりのキミコさんの「屋根裏部屋」にも、天窓から陽光が燦々と降り注ぐ、まさにお迎え日和でした。寒い冬と暑い夏との間隙を縫うようにして、キミコ画をいただくにはこの日より他にはあり得ないといった塩梅でした。
約束の午前11時前、ノックするまでもなく、その扉は開け放たれていました。ただ、惜しむらくは、そこにキミコさんご自身もいていただけたならどんなにか良かったか。首の違和感が悩ましいというキミコさんからは、前の晩のうちに、「明日、私は立ち会えません。作品のやり取りはアシスタントのCちゃんとよろしくお願いします」とのメッセージをいただいていたのでした。
しかして、先に待機しておられたCさんとの確認がつつがなく終わり、そうこうするうちにキミコさんに手配していただいた赤帽さんも時間ぴったりに到着。マスクで顔の半分が隠れて見えませんが、何年か前に一度、キミコさんのやはり大型の作品を運んでいただいた方と同じ赤帽さんです。
「じゃ、よろしくお願いします。後ほど自宅にて」
と赤帽さんに僕。
「え、先生も一緒に乗ってかれたらいいじゃないですか。ね、大丈夫ですよね?」
と赤帽さんの同意を取りつけようとするアシスタントのCさん。
あ、どうぞどうぞ、と快諾しながらも、キミコ画を未梱包のまま両手でひょいと持ち上げた赤帽さんは、その屋根裏部屋の急な階段もなんのその。勝手知ったるという感じに駆け降りると、僕の緑内障の目にはすっかり露出過多気味の森の中にあっという間に消えていくではないですか。
どうもどうも、とCさんへの挨拶もぞんざいに、僕は慌てて赤帽さんを追い掛けましたよ、もちろん。これは「不思議の国のアリス」だわ、まったく……と思いつつも、井の頭公園バージョンは「白うさぎ」も「アリス」も配役はオジサンです(もっとも、「アリス」はともかく、「白うさぎ」は若くあろうはずもなく)。
ほどなくして、森の小径で赤帽さんの軽トラ発見。荷台の方に回り込んでみれば、キミコ・バーミリオンの少女は、幌を嵩上げしたその荷台に、すでにすっぽりと収まったところでした。可愛いキミコ作品と可愛い赤帽さんの軽トラ。これなら、未梱包も納得ですし、ヘタな宅配業者の家財便なんかより同梱もなくて安心かも、と大いに納得したのでありました。
ところで、赤帽さんは法律上、正式には「貨物軽自動車運送事業者」と呼ばれ、客の求めに応じて有償で自動車(三輪以上の軽自動車及び二輪の自動車に限る)を使用して貨物を運送する事業を営む人々のことです。すなわち、赤帽さんが本来的に運ぶのは「貨物(モノ)」であって「客(ヒト)」ではないのです。それでも、少なくない赤帽さんがその軽トラの助手席に依頼人たるヒトを乗せることがあるのは、依頼人自身による運搬依頼品の監視、または見守りの要請に応えているのだ、といいます。
とはいえ、乗せてもらえるのは(キミコ画と一緒の)後ろの荷台ではなく、あくまでも運転席横の助手席です。「監視」はおろか「見守り」にも無理があろうかと。できることといえば、輸送中、後ろを振り向き振り向き「心配」することくらいでしょうか。
もっとも、隣りでハンドルを握る赤帽のコバヤシさんは、長年、吉田キミコさん御用達の熟練絵画運搬請負人といっても過言ではなく、「心配」というよりは、キミコ画をお迎えする今日の日を共感もし、(言葉にはされないのですが)祝福もしてくださっているようで、井の頭公園の森から我が家まで僅か5分のドライブでしたが、軽トラに相乗りさせていただいたことがなんとも至福の時間でありました。
かくして、我が家マンションの駐車場でそろりそろりと作品を荷解きしてくださったコバヤシさんをたずさえて、エレベータホールまで来てみれば、よりによって、「定期点検中。階段をお使いください」の札が。気持ちを立て直すようにして、一心不乱に我が家のある5階まで階段を駆け上がってくださったコバヤシさんには申し訳ないことこの上ありませんでした。
我が家の玄関前で、コバヤシさんから改めてキミコ画を受け取り、運送代金をお支払いしてのちは、また階段方向に去っていくコバヤシさんの後ろ姿が見えなくなるまで一心に手を振ったのはいうまでもありません。
いま一度、作品のバランスを考慮しつつ両手で持ち直すと、インターフォンのボタンをいままさに押さんとしたそのとき、隣りの表札に違和感を覚えたのでした。
あれほど「我が家は5階です」といったのに、コバヤシさん、勢い余って6階まで駆け上がられたのでありました。
赤帽のコバヤシさん、次のキミコ画もまたよろしく願います。
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