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タイムマシンで「昭和」に帰省した夏

今年は諸事情で名古屋に帰省するのはやめた。
代わりに、近所を散歩して、写真をたくさん撮った。

なぜ「代わり」かと言うと、今住んでいる町の雰囲気が名古屋の生まれ育った町に似ているのだ。
私が生まれ育った時代、昭和で時が止まったような風景があちこちに残っている、と言ったほうが正確かもしれない。

錦糸町の北寄りから、押上、業平、京島、曳舟あたりで見つけた「昭和の缶詰」を共有します。
相棒はこのnoteで書いた一眼レフ。

私は昭和47年生まれだ。1970年代から80年代ごろ、名古屋の西区で育った。
東京で言うと江戸川区、江東区、足立区あたりに近い「お土地柄」で、当時はヤンチャな子供(と大人)の濃度が高かった。今は小綺麗になっている。

我が家を含め、周囲は「昭和な家屋」ばかりだった。
最近、近所を歩いていると、そのころにタイムスリップした気持ちになる。

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長屋や、軒を連ねてお互いに寄りかかるようにして建つ木造家屋。

小さな私が自転車で走り回ったのは、確かにこんな町だった。

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どんな狭い路地でも、それは缶蹴りや「ドロジュン(泥棒と巡査。集団鬼ごっこ)」の主戦場だった。
未舗装の道で、アリの巣を見つけて、水を流し込んだ。
穴を掘って古いパターとボールでミニゴルフをやった。

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高い塔が見えるし、今は昭和ではなく、ここは名古屋でもない。
でも、しばらく歩けば、そこはまた「故郷」に戻る。

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あの頃、世界は「トタンの波板」であふれていた。

カンカンと鳴る鉄製の階段を、足音を殺してアパートの二階にあがり、廊下に寝そべって身を隠すのは、都会の隠れん坊の基本技だった。

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アパートに住んでいる友達は、いつの間にか引っ越してしまうことが多かった。
ゴキブリが平気と言う変わった女の子は、便所掃除の最中、モップ伝いに手に這い上がった大きなゴキブリと「かわいい、かわいい」と遊んでいた。

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また高い塔が見えた。やはりここは私が育った町ではない。

でも、シャッターを切りながら、耳にはこんな言葉が響く。

(私は確かにここからやって来た)

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あの頃の私は、小さな電化製品店をテレビコマーシャルで見る松下電器やソニーの「本社」だと思っていたし、「信用金庫」はビル丸ごとが大きな金庫なんだと思い込んでいた。

手が届く範囲、近所のお店と工場が「経済」の全てだった。

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私はこれらの扉を開けたことがある。
その感触と軋みを知っている。

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小さな屋根の上の小さなベランダ。
二階の窓の手すりから、友達と足を出してブラブラさせた。

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公園の電話ボックスはドラマを生む空間だった。
友達を閉じ込めて爆竹を放り込む、馬鹿なガキのいたずらを含めて。

なぜか、どの公園にもおなじゾウがいた。

水飲み場では、水風船を膨らませ、「全開」で周りを水浸しにしては大人に叱られ、そしてもちろん、ガブガブと生水を飲んだ。

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私の育った町には、線路も、踏切もなかった。
2階の窓からお城は見えたけれど、高い塔はなかった。
するとやはり、ここは私の故郷ではない。

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でも、ここには確かに私が育った時代がある。

これらの風景は、ギリギリの生き残りたちだ。
私の故郷と同じように、新陳代謝で、この町からも昭和は消えつつある。

失われる前に、「それ」を残しておきたい。
これが一眼レフを買った動機の一つだった。

カメラは「今」を写す機械だ。
だが、ファインダーが切り取った風景に意識が吸い込まれ、タイムマシンのように機能することがある。

今年は、新幹線ではなく、タイムマシンに乗って帰省したのだな、と昭和なオジサンは思うのであった。

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高井宏章
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