続・おカネの教室①&連載のお知らせ(無料で全文読めます)
機体が左に傾き、2度目の旋回に入った。滑走路が空かず、着陸許可が出ないというアナウンスが英語と日本語で流れた。最近けっこう頑張っているのに、半分くらいしか英語が聞き取れなくて凹む。
スマホを取り出し、スクショしておいた「同窓会のご案内」というメールを読み返した。
畏まった文面にほおが緩む。短い本文より長い「追伸」が続く。
メールを受け取った翌々日、往復には十分すぎる金額の旅行券と「支援物資」が届いた。段ボールいっぱいの「それ」を見て、お母さんが「やばいブツね」と笑った。
着陸態勢を告げる機内アナウンスが流れ、高度が下がった。妙に不規則に並んだ赤茶色の低い屋根が近づいてきたかと思うと、軽い衝撃が腰に伝わった。
ついに、来てしまった。
入国審査の長蛇の列に一瞬ひるんだが、「日本人は空いてるゲートの方ですぐ通れるよ」というビャッコさんの情報を思い出す。ガラガラのセルフサービスのゲートに向かい、パスポートをスキャンしたら、あっさり通過できた。
スーツケースをコロコロ転がしてしばらく進み、税関を抜けたら、懐かしい声がした。
「サッチョウさん!」
見落としようのない巨体の隣に、ビャッコさんが立っていた。
「ウェルカム・トゥ・ロンドン!」
カイシュウ先生が右手を差し出す。2年ぶりの握手だ。手、でかすぎる。
「ちょっと!サッチョウさん!ホンモノ!?」
「伸びましたねぇ」
「この1年だけで11センチくらいは」
この前の身体測定で180センチをギリギリ超えた。それでもまだカイシュウ先生の肩の高さくらいか。相変わらず、でかすぎ。
「なんか、悔しい」
ビャッコさんも160センチを少し超えているっぽい。高校のクラスメートよりずっと大人びて見える。
「男子三日遭わざれば、と言いますからね。」
まだ悔しそうなビャッコさんを見てカイシュウ先生がニヤニヤしている。
ベンツが3車線の自動車道を進む。3年前、中学2年の夏に何度か乗ったのとは違うベンツだな。
「ラッシュに突っ込んじゃいますね。1時間くらいは覚悟してください」
「飛行機、混んでた? プレミアムエコノミーでも14時間はキツいよね」
「ほぼ満席だったよ。ほぼ寝てた。ちょっと腰痛いくらい」
中2の夏に「そろばん勘定クラブ」が終わった後、僕らの学校生活はほとんど交わることがなかった。そして3年生の秋、ビャッコさんは卒業を待たずにイギリスに留学した。ロンドンのインターナショナルスクールを選んだのは、カイシュウ先生が保護者役を引き受けたかららしい。カイシュウ先生はその時にはもうロンドンで新しい会社を始めていた。
「あ! サッチョウさん、ヒゲがある!」
回想がビャッコさんの声に破られた。
「ヒゲぐらい伸びますよねえ、もう17歳でしょ、おふたり」
バタバタしてて出がけに剃り損ねたから、2日分伸びていた。シェーバーを借りるとき、お父さんはきまって「隼人のヒゲなんて、消しゴムで消しておけばいいよ」と笑う。
「サッチョウさんがヒゲ面かぁ」
道路はいつの間にか市街地の高架に入っていた。古い家並みにビルが混じる。車の時計をみると19時を過ぎているけど、夕焼けの気配すらない。
「まだこんな明るいんだ」
「今の季節は9時過ぎまでこんな感じ。でも冬は4時には暗くなっちゃう。春がくると、ほんと、生きてて良かったーって思うよ」
留学してすぐの冬に届いたクリスマスカードに「毎日天気悪すぎてちょっとウツ気味です」とあったのを思い出す。
「今夜の宿にはもうちょっとで着きます」
市街地に入り、古そうな、でも綺麗な街並みが窓を流れていく。スマホで現在地を見ると、ケンジントンという地名が目に入った。ロンドン中心部の南西部に当たるようだ。
ベンツが白い石造りの高い建物の前で止まった。
7階建てマンションの6階と7階がつながった部屋はバカ広く、真ん中にらせん階段がある変わったつくりだった。福島さんのお屋敷ほどじゃないけれど、内装や家具はかなりリッチで、かなりの豪邸だ。
「下の階がリビング兼ダイニングキッチン、上がベッドルームとバスルームです。サッチョウさんの部屋は階段を上って右手の奥です。部屋の向かいのトイレ兼シャワールームを自由に使って下さい。ビャッコさんと私の寝室は振り分けの反対側で、それぞれシャワーが部屋にあるので、遠慮なくどうぞ」
僕はリビングのソファに座って部屋を見回した。海外の映画を見ているみたいで現実感がない。
「さてさて。到着早々ですが、まずは支援物資の受け渡しといたしましょうか」
促されてスーツケースを開く。3分の1ほどのスペースを大量のサランラップが占拠している。
「わ!」
ビャッコさんが歓声をあげた。
「サッチョウさん、笑ってますけど、これ、ほんとに貴重ですから。こっちのラップ、日本なら大炎上するレベルの品質です」
「ミッションコンプリート、ですね」
「イエス。おつかれさまでした」
サッチョウさんとハイファイブを決めている間に、キッチンの棚にサランラップを喜々として詰め込むビャッコさんの姿にまた笑ってしまう。
「残りの荷物、部屋に放り込んできてください。軽食を用意しておきます」
部屋にはシングルベッドに机と椅子、小さなクローゼットがあった。中庭に面した窓から空が見える。水に絵の具を流したような、日本の夕焼けとは違う不思議な色にしばし見入った。スーツケースの整理は後回しにして、シャワールームの洗面台で顔を洗ってから下の階に戻った。
「あらためて、ようこそロンドンへ」
カイシュウ先生がシャンパングラスを僕らに手渡した。
「これ、お酒ですよね?」
「イギリスは自宅ならティーンエイジャーでも飲酒OKという寛容な国です。そんなにスクスク育ったんだから、これくらいのスパークリングワイン、イケるでしょ」
目が合うと、ビャッコさんが軽く肩をすくめた。ちょこちょこ飲んでるのかな。
「そろばん勘定クラブの再会を祝して、乾杯!」
ビャッコさんの発声に、僕らは軽くグラスを打ち鳴らした。冷たい炭酸と甘いブドウの香りが心地よい。お父さんがたまに飲ませてくれるビールより、こっちの方がいいな。
「ビャッコさん特製サンドイッチとワタクシの自家製スコーンです。召し上がれ」
ローストビーフサンドは3年前の河川敷のハイキングで受けた課外授業の時にも食べたな。その後のビャッコさんの留学宣言の衝撃がよみがえる。スコーン、家庭科室で焼いたな。
お腹がふくれると、酔いも手伝って、猛烈に眠くなってきた。アタマの中で時差を計算する。日本は明け方くらいか。
「サッチョウさん、さすがに眠そうですね。では、今回の同窓会について、ワタクシの意図するところを述べまして、今日はさっさと寝ちゃいましょう」
カイシュウ先生が僕らを交互に見た。3年前の講義でときおり見せた挑むような表情に、少し目が覚めた。
「我々は3年前の夏、お金とは何か、それが人々と世界にどう関わるのか、様々な角度から議論しました。まずお金を手に入れる5つの方法、『かせぐ』『もらう』『ぬすむ』『かりる』『ふやす』について考えを深めた。そして最後には、お金の本質に迫る深い洞察にたどり着きました」
必要悪、「フツー」、神の見えざる手、ピケティの不等式といったキーワードが次々に頭に浮かぶ。
「ワタクシはクラブの最後にこう言いました。おカネには魔力がある。ヒトを『ぬすむ』に走らせる、人々を金銭崇拝に堕落させる魔力がある。でも、おふたりはもう大丈夫。おカネに惑わされず、おカネを大切に生きていって下さい」
カイシュウ先生が間を取った。
「そうですね?」
僕らがうなずくと、カイシュウ先生が満足そうな笑顔を浮かべた。
「さて、おふたりは今、本番の人生の入り口に立とうとしている。今こそ、やり残したことをやるべき時だ。ワタクシは、そう思ったのです」
ビャッコさんが「やり残したこと?」と首をかしげた。
「はい。ワタクシにはまだ伝えるべきことがあります。3年前の『もう大丈夫宣言』は撤回します。おふたりは、まだ大丈夫ではありません」
まだ大丈夫じゃないのに、3年放置したのか。無責任だな。
「3年前のクラブはおカネの良き側面、コインの表側、ブライトサイドがテーマでした。今回はコインの裏側、おカネのダークサイドについて議論しましょう」
僕が「ビッグヨーダが、ダークサイドの講義ですか」と茶化すと、カイシュウ先生が「闇の深さを知らなければ、一人前のジェダイにはなれません」とニヤリと笑った。
ビャッコさんが「で、ダークサイドってなんですか」と聞いた。
「テーマは、おカネを殺す3つの方法、です」
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ご愛読ありがとうございます。
というわけで、お待たせしました、『おカネの教室』の続編、ようやく連載開始です。2018年の前作から6年も経ってしまいましたが、作中の時計は3年しか進んでいません。
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連載は月1~2回のペースで更新する予定です。
あまり書き溜めていないので、この先どうなるか、いつ終わるか、筆者にもわかりません。ストーリーの行方は3人組次第、でございます。
なお、タイトル画像は家庭内連載の2番目の読者だった次女が描いてくれました。バンク・オブ・イングランド、ですね。
このnoteで『おカネの教室』を知った方、久しぶりに再読したい方、新潮文庫に入ってお求めやすくなっております。この機会に、ぜひ。
久しぶりに3人組の物語に並走できるとワクワクしております。
読者の皆様にも楽しんで読んでいただければ幸いです。
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