「家が語る物語」 『パレスチナ・イヤー・ゼロ』舞台評 『テアトロ』 2018年1月号
ノルタルジーとセンチメンタル
家が舞台において、物語を紡ぐための主要な要素となることは数多くある。そこにはいくつかの理由がある。
ひとつには家というものが持つ時間軸が基本的に長いこと。日本に限らずとも、かつての家族モデルと比べれば、現代の家族をめぐるライフスタイルは大きな違いがある。現代の都市空間における家というものの位置も多様だ。しかし、それでも多くは幼少期から大人になるまで「実家」と呼ばれる家に住む。大人になり住み慣れた家を離れて一人暮らしをしたり、新しい家族と生活をしたり、それぞれのときに住む時間の長さは、何らかの思い出や記憶がつまっている空間となる。生活のために一定以上の時間を暮らすことは、たとえ引っ越しをして移動をするといってもイベントとなる。転勤族であったとしても、定住することと移動は表裏一体の関係だ。移動して失ってしまうからこそ、その場所への愛おしさがより一層強まる。どちらにしろ、家が多くの時間を過ごすための、特別な場所となることは変わらない。
また、居間をはじめとしたリビングは家族が交差する場所になる。四畳半であれ、大家族の共有するスペースであれ、そこはさまざまな関係性が凝縮される。外から来る人たちが通される場所の一つでもあり、いくつもの物語が生まれる。
ただし、家を舞台にしても、それを見つめる視点、もしくはそこから現れてくるものには大きな違いがある。たとえば、いま日本の若手で活躍している作家たち。その作品の特徴に顕著にあらわれる。
マームとジプシーの藤田貴大やままごとの柴幸男の作品たちがそうだ。藤田の代表作の一つ、岸田戯曲賞受賞作である『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』は、かつてあった家がなくなることを見つめるノスタルジックな視点がある。それは、懐かしさの場所としての家族の風景があった。
柴幸男の岸田戯曲賞受賞作である『わが星』もそうだ。団地で暮らすものたち、またその食卓のシーンなどはその典型的な例だ。直接的に家を舞台にしているわけではないが、その家で暮らす家族や人々の一生をソーントン・ワイルダーの『わが町』の物語をベースに描く。フェスティバル/トーキョーのプログラムの一つとして、東京芸術劇場の隣り合った二つの劇場、シアターウエストとシアターイーストで上演された『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』という作品もシアターウエストの方しか見ていないので最低限のことしか触れられないが、引っ越しや家をめぐるシーンは所々ある。それらは、登場人物たちが生まれてから死ぬまでの時間とともに描かれる。『わが星』も同様に登場人物たちの一生が描かれている。そのなかで懐かしさとでもいうべき風景として家は写しだされる。家が持つようなイメージとしての暖かみの空間と、しかしそれが必ず失われる儚さとともにあるのは、この二つの作品に共通する構造だ。
大学生などをはじめとした、若い世代の観客層にこれらの作品が受け入れられる下地には、そのような懐かしさという感情を誘発させるノスタルジックな視点がある。しかもそれらは、センチメンタルな気分を伴って作られる。懐かしさとでもいうべき感覚は、実際にその過去を経験していたかは問われない。『わが星』のように、誰もが団地に住んでいたわけではないだろうし、引越しをしたことがない人もいるだろう。あくまでイメージとしてある。
小林秀雄の「故郷を失った文学」で論じられる問題を思い出してもいい。もはや近代化された都市に故郷などというものは、もはやないのではなく最初からなかったというのがその論の骨子だ。ふるさとをまるで「兎追いし彼の山」として、経験した人がどれだけいるか。そもそも近代日本ですらないのだから、現在の日本においては、はじめからそのような風景などはどこにもなかったのだ。それは、ノスタルジーという装置のなかで、原風景のイメージを創っているだけだ。
むしろ、そのような若者たちの原風景を欲しがる心象をすくい取り、作品として映しているといっていい。それは、失うものとしての儚さがあり、だからこそ限定的な時間に愛おしさが起こる。もしくは限定的であるからこそ、懐かしさが担保されるのだ。否が応でもかつてあったような家という磁場は、もはや本質的には失われつつある。しかし、だからこそ、安住できる居場所が欲しいのだ。俗っぽく言えば、社会における不安定的な要素が大きいからこそ、モラトリアムを過ごしたいのだ。しかし、それが永続しないことを知っているものたちにとって、懐かしい場所というものは求められる。
パレスチナ、イヤー・ゼロ
同じフェスティバル/トーキョーのプログラムでも、イスラエルの人々が描くパレスチナの家をめぐる作品『パレスチナ、イヤー・ゼロ』(作・演イナト・ヴァイツマン)には、センチメンタルでノスタルジックなものは、はるかに後景に退く。ノスタルジーという懐かしさが、たとえ家族や壊れた家たちの思い出にあらわれても、壊されるという二つの両極が提示される。いや、懐かしさとは壊れるものであるという、ノスタルジーの本質を提示しているといっていい。
考古学者になりたかった一人の男が物語を進行する。アラブ人がイスラエルでは考古学者になれないとわかり、男は代わりに建物の損害鑑定士になった。その説明から始まるストーリーは、とてもシンプルだ。そして、家の損害を見ることと、パレスチナとイスラエルの現代史が重なっていく。イスラエルとパレスチナ自治区の境界線の確定により、その上に建つ家が容赦なく線引きされて壊されること。年を追って破壊された建物の数が無機質な数字となって読み上げられること。いくつものエピソードとともに、何がそこで起こったのかが淡々と話される。
そして、そのたびに辺り一面を覆うかのように積み上げられている鑑定書が入った資料が整理されているようなボックスをあけて、そのなかにあった瓦礫が床へと放り投げだされる。不動産の鑑定書がもはや瓦礫の束にしかならないことが、暗に示されているようだ。いくつもの歴史やイスラエル軍の自治区に対する蛮行とでもいうべきものが、淡々と叙述される。
たとえば、印象に残ったエピソードに「ノック・オン・ザ・ルーフ」という言葉がある。小さなミサイルを警告として打ち、そのあとに巨大なミサイルが打ち込まれる。逃げるためのサインを出しているとしても、家という場所がもっていた意味は無残に打ち砕かれる。もしくは、そもそもどこに逃げればいいのか。狭い地区のなかでも、さらに密集地帯というだけではない。他にもいくつかのエピソードが盛り込まれる。しかし、上演時間はわずか1時間ほどのシンプルな作品だ。
もちろん、この舞台の表象であるパレスチナという紛争と小休止を繰り返す場所からは、そもそもセンチメンタルな気分に浸っている余裕などないとは言えるだろう。もしくはノスタルジックに過去の幸せな頃を想うこともできないとも言えるかもしれない。イスラエルが国家を樹立してから何年の月日が過ぎたのか。パレスチナにとっての受難の時間は長い。しかし、どのような場所や空間であろうとも、日常的な空間自体はつくられるのではないか。凄惨であったとしても、それ自体が日常になる。また、どのような場所であっても、家族が過ごす家という空間がもつ重みは変わらない。たとえ、これが遠く離れた日本から舞台の表象を通して考えた、まったくの想像だったとしても、そこに家族や家がある以上、日常となる空間と時間はあるだろう。
実際、この物語も一人の損害鑑定士がパレスチナの現代史や自身の経験を語るという形式をとっている。現在から過去を想うという形式にかわりはない。むろん、何もなかった平穏な頃を思いもする。その意味ではノスタルジーは介在する。ただし、ノスタルジーの質が違うのだ。
いわば、ノスタルジックに過去を想うことが、彼らにとっては必要とされているのではないか。それは比較すると、日本の若手とは逆の方向性といえるかもしれない。いわば、懐かしさという殻にとどまり、それを壊して出ていくという側面が希薄な日本の若手に対して、壊れてしまったものだからこそ、それを懐かしく想えるノスタルジックな空間の必要性を、この『パレスチナ、イヤー・ゼロ』は教えてくれるのではないか。
実際、この作品には日本の若手たちの舞台のような、センチメンタルなものは入り込まない。あくまで、歴史と個人のエピソードや事実を記述するように淡々と物語は進む。しかし、だからこそ、それはフィクションである物語であっても、衝撃ともいえる事実の辛辣さを伴っている。ノスタルジーという、懐かしさと壊れたものという両面をもっている装置の扱い方が、これらの作品にはあった。
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