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いただく喜び、与える喜びの中に生きる。
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我々は仏心に浮かぶ泡のよう。心風景は仏心に浮かぶ泡のよう。
表れに実態はなく、表れが尽きることもない。
大きないのちの海の中で、すべてのいのちはつながり、許されて生かされている。
すべては、最も深いところですでに受け入れられている。
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通り良き管としての空洞。
そのものを掴めず、その実態のない様はまるで「私」の有様。
声に出して伝えずとも、仏様は願いも想い煩いも
すべてご存知でいらっしゃる。
ただ恵みを受けとるシンプルな祈りの美しさ。
頑な見方を緩めさり、自然を素直に眺めたい。
春の日に吹きぬける一風の風。その心地よさ。
通りよき管としてお役目を全うできますように。
きままにいみなくうつくしくいきる。
いただく喜び、与える喜びの中に生きる。