かつて恋人だった僕たちは
「ひさしぶり。今度ご飯行かない?」
昔の恋人からLINEが届いた。
日常的に連絡を取り合っているわけではない。SNSでの繋がりも、今はない。いっしょに住んでいた部屋を僕が出ていってから4年が経っていた。痴話ゲンカをきっかけに別れた。きっとよくある元カレ像だと思う。
例えば「最近どうしてる?元気?」が最初のLINEなら疑問は無いけど、いきなり食事に誘われると"何か"がある気がする。それで考えを巡らせる。たぶん、今の恋愛になにかしらの悩みを抱えているのだろう、と予想する。おそらく本人は詳しく語らないだろうけど、元カレに会いたくなるのはそういうときな気がする。ちがうかもしれないけど、あの子のことだから、そうかもしれない。もしそうだとしたら話を聞いて、さりげなく背中を押してやれたらいいと思う。それが言葉じゃなくても、僕の存在がそうなればいいか、と。そんなことを考えて、僕は返信を打ち、元恋人と会う約束を取りつけた。
ちょっと良い焼肉屋でランチをして、2軒目の小洒落たカフェでコーヒーを啜る頃には、ふたりはあの頃のようにくだらない冗談を交わしていた。思い出話に花を咲かせて「確かあれは」と「そうだっけ?」を交換し合った。そしてほぐれた空気のなかで、満を持してジャブが放たれた。
「ひろしは今、恋愛してるの?」
別に身構える必要もないけど、頭のなかではゴングが鳴る。本題が始まった。
「からきしだよ、そっちは?」
「自分も全然」
この人は相手の調子に合わせるのが得意だったな、と思い出す。本当は言いたいことがあるのに言葉にしないときがあって、でも僕はそれを汲み取るのが得意だった。あぁ、話したいんだなと思って、僕は遠回しに質問する。
「じゃあ、休みの日は最近なにしてるの?」
元恋人は少しだけ空を見て、それから目を合わせずに答えた。
「いつも通りだよ。でも明日から旅行。キャンピングカーで伊豆まで行くんだよね、2人で」
「そうなんだ。彼氏?」
唇を舐める。
「ううん、友達」
なんとなく言いたいことはわかる。"友達"というのは便利な言葉だ。"今はまだ友達の人"も、"仲の良い遊び友達"もどちらもおなじ表現になる。
「そっか、楽しみだね」
かつて恋人だった僕たちの関係性はおそらくもう”友達"には当てはまらない。どことなく身内のようで、赤の他人のように遠い、変な距離感の存在が元カレである。だから核心には触れないまま、かつ配慮を感じさせないように話題を逸らす。
「キャンピングカーっていくらで借りられるの?」
なんて。それがかつて恋人だった僕たちの会話。
帰りに寄った洋服屋でジョークみたいなTシャツを買う元恋人を見て、こういうところがおかしくて、愛しくて、好きだったなと思った。これからも君が君らしくいてくれたらそれでいいや、とも思った。駅前でいっしょに煙草を吸って、改札まで見送った。そんな日だった。
あれから1年半が経って、またLINEが届いた。
「ひさしぶり。肉食いに行こう」
また何かあったのだろう。わかりやすい奴だな、と心のなかで笑う。それで、沖縄料理屋でアグー豚を頬張りながら、キャンピングカーの彼と別れたばかりだという話を聞いた。結局付き合ったんだね、と思ったけど口には出さなかった。しばらく愚痴が続いたあとで「ひろしは?」と聞かれた。
僕の近況。君との別れから5年が経って、ようやく新しい人と付き合い始めることができた。君といっしょに吸っていた煙草もやめた。ノリ打ちしていたパチンコももうやらない。今は憧れだった雑誌の仕事をやらせてもらっているんだよ。そう話せば話すほど、かつての恋人の顔は曇ってゆき、次第に泣き出しそうな表情に変わっていった。
店を出てから少しだけいっしょに散歩をしたけど、今回はお茶もせずにそそくさと改札を抜けて帰られてしまった。僕には別に未練めいたものは無いけど、ちょっとだけ振られたみたいな気分になって、なぜだろうねと自問した。
僕らは身内のようで、真っ赤なほど他人で、かつて見えない何かに期待し合っただけの、かけがえのない脇役のひとり。それでも何かの拍子に思い出して、こんな文章を書いてしまう。おめでとうくらい言ってくれても良かったのにな。