「神がかり!」第56M話前編
第56M話「魂振の乙女」前編
――シャラン
息が白くなる時節、
――シャラン
澄み切った空気の中、
――シャラン、シャラン
鈴の音が響く。
「……」
邪気を払う清廉な音色……
幾重にも重なり合う鈴生りの音色……
――シャラン、シャラン
厳かで近寄りがたい凜気を放つ無垢なる少女は――
「……」
純潔の巫女は――
――シャラン、シャラン
多くの衆生の見守る中で一心不乱に舞い続ける。
「……」
――美しいな……
本当に神代の舞だ。
信仰心や郷土の歴史なんてものに全く興味の無い罰当たりな俺でさえ、その巫女の舞によって心になにか犯しがたい真理を自覚させられてゆくような気持ちで満たされていた。
――シャララン
「……」
衆人観衆が見上げる舞舞台の上で清廉なる乙女の瞳が細められ、
――シャララン
両方に握られた白い指先の鈴は一際響き渡る音色と共に仕舞いへと――
――シャラン、シャララン
次第に収束しつつあった。
「…………”真理”……真理奈か」
名は体を表すとでもいうのだろうか?
その時、俺は妙な得心と共に巫女の、”神がかりし”美しき少女の……
東外 真理奈の神楽……
いいや、神人同体の”魂振”を前に完全に心を奪われていた。
――
―
わぁぁぁぁーーーー!!
おぉぉぉぉーーーー!!
「……」
気がつけば、舞舞台上で美しく正座し両手を着いて頭を下げる清楚可憐な美少女の姿。
舞終わった巫女の所作に一呼吸おいて、衆人の中心から外側へと歓声と拍手の波が広がってゆく。
パチパチパチ、パチパチパチ
わぁぁぁぁ!!
何時までも鳴り止まない拍手の中で少女はもう一度、深々と礼をしてから舞台から去った。
――
天都原市で年に一度執り行われる伝統の祭事、神楽祭。
本日は六神道の一柱である”宇寿女神”を奉る神楽祭である。
――それはつまり
六神道のひとつ、東外家の神事でもあった。
――
「本当に、何時見ても真理奈ちゃんの神楽は凄みが半端じゃないね。この時の彼女は文句なく、この世で最も綺麗なんじゃないかと思い知らされるよ」
俺の隣で――
他の大勢と同じように拍手を送りながら、波紫野 剣という男は俺に意味ありげな視線を送ってくる。
「……」
「ほんと、羨ましいねぇ、あの無垢なる存在を、この祭事の主役を、ふふふ、朔ちゃんは”独り占め”できるんだからねぇ?」
――ねぇ?じゃねぇよっ!
あからさまな冷やかしの視線。
波紫野 剣の悪趣味に付き合う気のない俺はそんな心中は表に出さず終始無言で、
「……」
そして、そのままその場を離れることにする。
「なんだよ、連れないなぁ。まぁ、いいや、真理奈ちゃんにヨロシクね、朔ちゃん!」
最後まで面白半分しかない巫山戯た声を背に受けながら、俺はその場を後にする。
「……」
――まぁ、実際……
俺はあの時……
一年ほど前の、あの真理奈との一件の時に……
――
―
「証明するって言ってもな、本当に……」
「……」
「良いのか?これは流石にいかにも極端じゃ……」
「……」
「だいたい、お前、一応は良いところのお嬢様だろうが?それをこんな……」
バフッ!
「うぉっ!?」
俺の問いかけに気まずそうな表情のまま終始無言を返していた少女は――
突然、俺の顔に四角くて、なんだかヒラヒラしたものが幾つも付いたモノを投げつける。
「……お、おい」
それは、あまり趣味のよろしくないピンク色のクッション……大きめの枕であった。
「”いちおう”って……なによ!!私は正真正銘、東外家の娘よ!伝統と格式ある六神道、東外家の……」
頬を染め潤んだ瞳で不満げに訴える少女は……
グレーのセーラー服と膝までの清楚なプリーツスカート姿。
巷でも評判の良い天都原学園の制服姿のまま、そこに座っていたのだ。
――
クッショ……いや枕と統一されたデザインの、趣味のあまりよろしくない大きな円形のベッドの上にへたり込むようにお尻を着けて座る美少女は――。
今時、それは無いだろう?というような――
回転するんじゃ無いかと思わせるような――
如何にもなこの場所に相応しい、大きなベッドにへたり込んで此方を睨んでいた。
「なら、尚更だ。こういう軽はずみな事は……」
――そう……
”ここ”は天都原市内にあるラブホテルの一室……
つまりは”そういう場所”だった。
「わ、私じゃ不満とでもいうのっ!?」
「だから、そういう問題じゃないだ……」
――っ!?
言いかけ俺は気づいた。
少女の……
卑猥なベッド上と優等生な制服少女という、違和感しか無い景色に……
「……」
その大きめの瞳に、尋常で無い真剣さがあることに。
「……う……って、お前……」
思わず気圧される折山 朔太郎。
「わたし……東外の家に……実家にあなたと恋人関係だって言ったわ」
裏家業にドップリ浸かってきた折山 朔太郎が、
あんな邪神を相手にしてさえ怯まなかった俺が、
「ああ……それは……もう聞いた」
こんな、街の片隅で身体を震わせた子猫のような弱々しい状態の東外 真理奈を前にして主導権をまったく握れない。
「でも、それだけじゃ……」
正直、裏家業で生きてきた俺にとって男女の情事なんてものは特別でも何でも無い。
そんなことも”仕事”にしてきた。
今更男女の関係如きで感情が動くなんて事は……
「……あ、朔太郎を六神道の手から逃れさせることは出来なかったの」
――仕事……そうか
――東外 真理奈は……そうじゃない
「…………だろうなぁ」
絞り出すような震える声で告白する少女に俺は短く応える。
たとえ六神道のひとつ、東外家の娘とそういう関係でも――
別に血縁というわけじゃ無い。
つまり――
旧家の支配者どもの誇りに配慮する為には、もっと確かな”繋がり”が必要という事だろう。
だが――
それには俺という男はあまりにも不審人物に過ぎる。
どこの馬の骨とも知れなさすぎる。
そんな男を良家の娘の相手として、旧家の長老たちが認めるわけも……ない。
「だから……その……」
「もういい。俺みたいなチンピラにお前は十分すぎるほど手を尽くしてくれた、だから……」
――そうだ
この生真面目な少女が自身の経歴を汚してまで……
だからもう……
「だから私、あなたを……朔太郎を……朔太郎の……」
「真理奈、もういいって、俺は別にどうとでもなる」
俺を六神道の恩人として扱う彼女なりの心は……
誠意は、もう十分伝わった。
だから俺は後は折山 朔太郎のクソッタレな人生の領分だと彼女に――
「お腹に朔太郎の赤ちゃんがいるって」
「ああ、そうだ。十分にお前の誠意は伝わった、なるほど、赤ちゃんがな……赤……子供……って!?は?はぁぁっ!!」
――なに言った?
――この娘、いま!どさくさに紛れてなにを宣ったんだ!?
その時の俺は完全に意表を突かれ、本日で一番……
いや!人生で一番間抜け面だったかもしれない!!
「……」
「……」
――
――いや、落ち着け、聞き間違いということもある
「え、えーと?真理奈さん?」
思わず敬称つきで尋ねる俺。
「………………………………はい」
――
「おい……そこは”しおらしい”表情で俯いてる場合かよ?ちゃんと順を追って説明を……」
東外 真理奈という少女は――
「……うん……その」
前髪を横に流した、肩までのミディアムヘアで清潔な生真面目な印象の……
それでいて、毛先を軽くワンカールしている辺りオシャレにも気を遣っている最近の女子高生という感じの……
俺が出会った六神道の女達の中では一番、女子をしているとも感じる少女は……
「だって……そう言うしかなかったんだもん」
俺に投げたのとは別のクッションを両手で抱え込むようにギュッと胸の前で押しつぶし、朱に染まった顔を俺の視線から逸らすようにして俯いて零す。
――くっ!
こんな場所で、そんな甘い乙女の仕草は反則だろう!
「そ、そうやって……無理矢理にでも認めさせるしか……なかったん……だから」
――くくっ!!
――超可愛い……はっ!?
「じゃなくて!!お前、極端すぎだっ!!だいたい今日だって、勢いかなんか知らんが、大の男とこんなところに来る意味が解ってるのかよっ!!」
「な、なによっ、それ!?わ、わたしが悪いって言うのっ!!」
真理奈はガバッと真っ赤に染まっていた顔を上げる。
「悪いもなにも……もっと考えて行動しろ。てか、お前……普段はもっと利口だろうが?弐宇羅 太一にアッサリ騙されて薬を盛られたり、ちょっとおかしい……」
「っ!?」
俺の言葉に少女の肩がビクリと震えた気がした。
「…………ちっ」
だが、俺は――
”そんな少女”の反応も気に留めていないといわんばかりに、言い捨てたままで背を向けて歩き、部屋のドアノブに手をかける。
「…………た……くせに……」
「……は?」
兎に角、この場を去ろうと――
逃げようとする俺の背後からか細くもハッキリと意志の籠もった声が聞こえる。
「だからっ!!ついてきたくせにっ!!」
俺の背にぶつけられた少女の叫びは、先ほどまでとは違い、ヒートアップしたものだった。
「私が証明するって言ったら”鼻の下伸ばして”ついてきたくせにっ!!エッチッ!!」
「おまっ!だ、誰が……俺はお前に借りがあるから一応は言う通りにしてみただけで……」
「っ!!」
気押され気味ではあるが俺の返した応えに少女の表情はさらに険しくなる!
「……」
俺は嘘を言ってはいない。
だが、少々見苦しくて卑怯ではあったろう。
――
俺の知らないところでとは言え……
真理奈に借りがあったわけだから、取りあえずは彼女の言い分を聞いてやろうと……
しかし、図らずもその言葉を受けた真理奈の表情を見るに、
――彼女の心を更に傷つけたようであった
「……くっ……いや……だから……俺が言いたいのは……」
「そうよね……朔太郎は私のこと……顔が好みじゃないって言ってたもの……ね」
言葉に詰まりながらも決して涙は見せない少女。
東外 真理奈は面倒臭い上に意地っ張りで……
――そこが……可愛くもない……こともない
――ううっ
なんだかこれでは俺が一方的に悪者だ。
「……お、お前、どうしたいんだ?如何に律儀な性格でも、幾らなんでも恋人っていうか、子供?そこまで自分を犠牲にして俺を助けるいわれは……」
――この期に及んで俺は選択肢を相手に委ねている
実際、俺は真理奈の気持ちに気づかないほど朴念仁では無い……
なのに俺はこの瞬間も……彼女に答えを委ねている……
――くそ!折山 朔太郎!!
――
「……わたしは……朔太郎……私は……」
――あぁ……なんも変わらねぇ
――俺は……
――これなら今まで通り独りの方が……
こうして他人に未来を委ねて置きながら、俺は真理奈の答えを聞いたらきっとそれをはね除けるだろう。
たとえ俺の心がどうであろうと、俺は……それでは先には……
――
「私は……だから……ね」
「……」
”どちらにしても”これで終わり。
どんな答えを聞いても俺はそれでは先には進めない。
未来を他人に委ねている様なクズの俺は、今までとなんら代わり映えのしない屍だ。
――くそっ!
解っていても、そうは解りきっていても……
俺は結局、同じ事の繰り返え……
「私は朔太郎の気持ちが聞きたい」
――っ!?
「だ、だから!わたしは朔太郎の……その気持ちを……それが一番大切だから……それだけがわたしの聞きたいことだから……」
驚いた顔で……間抜けな顔で固まった俺に真理奈は求めていたのだった。
「お……れ……に?」
「…………うん」
綺麗に整えられた前髪を僅かに揺らせて、恥ずかしげにコクリと小さく頷く少女。
「…………」
予期せぬ展開……
いや、どこかで俺如きが望むべきで無いと思ってきたこと……
――俺に……
――折山 朔太郎なんてモノに……
誰かがなにかを……
大切な”なにか”を求める事があるなんて……
「……おれは……俺は……」
俺は考えたこともなかったから。
第56M話「魂振の乙女」前編