「神がかり!」第34話
第34話「はこ」
守居 蛍がバイト先に訪ねてきた次の日の夜。
「……」
夜道を歩く俺はポケットからスマートフォンを取り出して少しだけ思案していた。
——日中バイトは終わり、残る労働は零時からのバー”SEPIA”だが……
それにはあと二時間以上はある。
「多分、それまでに”小用”は済ませられるだろうが」
——さて、その前に”どちら”から連絡するか?
入学から数ヶ月、もう結構通い慣れた道程で……
「どっちでも大差ないか?」
天都原学園へと向かう夜道で立ち止まっていた俺は、スマートフォンに登録されたアドレスから”まず”はそっちを選択した。
——プルルル
——プルルル
——カチャ
「……」
自分からかけたにも拘わらず、俺は無言でスマートフォンを耳に当てたままだ。
「……」
そしてどうやら相手も無言でそれに応対するらしい。
——中々に興味深い
——
——しかし、これじゃあ通話の意味が無いな……
「今から……」
俺から無意味な沈黙に終止符を打とうとした時だった。
「…………だれ?」
スマートフォンの向こうから抑揚の無い無機質な声が聞こえる。
——へぇ……猫を被っていない時はこんな感じなのか
俺は感心しながらも相手の問いかけに応えることにする。
「今から天都原に行く」
「……」
しかし、それにはまたも無益な沈黙が返ってくるだけだった。
——音声データパケットとか、時間単価にしてコスパ最低だろうなぁ
そんなことを考えてみるも、抑もこれは俺のスマートフォンでは無いのだから”まぁ良いか”と、俺はそのまま通話を切…………
「必要無いって言ったよね、私。朔太郎くんの力は全然いらないって、用無しのポイだって言ったよね?」
間際にデータ量を詰め込んでくる忙しい女の声。
「いまさら六神道の……トコブシさん?って男性と喧嘩する意味なんて無いでしょ?私のことは御端先輩が……」
「…………」
——いやいや蛍さんや
”トコブシ”はミル貝科の巻き貝でアワビに似た食用の貝だ。
なんで俺が魚介類とやり合わなきゃなんねぇんだよ、漁師か?俺は……
「漁師は貝と喧嘩する奇特な職業じゃ無いよ、朔太郎くん」
「うわっ!…………って、エスパー?」
俺の頭の中の反論に的確にツッコむ不思議少女。
「巫山戯ないで!言ったでしょ!要らないのよ、キミはっ!」
「い、いや、巫山戯ているのはどちらかというと……」
「口答えしないっ!あの永伏は御端先輩がなんとかしてくれ……」
「正確には御端と”変わり果てた岩家”だろう?」
「っ!」
俺の的確な指摘に、スマートフォンの向こうに居るであろう少女は黙り込んだ。
「……」
——そういうところだよ、ほんと……解りやすい
悪に成り馴れない少女に俺は呆れながらも続けた。
「別にお前達の悪巧みを邪魔する訳じゃ無い。関係ないしな、俺には」
「……」
黙ったままの相手に俺はさらに続けた。
「俺はもっと単純だ。永伏とかいう男には喧嘩を売られたので買う。ついでに蛍の事は不本意とは言え関わったところまでは処理する……どっちも俺の気持ちをスッキリさせる為だけの自己満足だ」
「……」
「すべて俺が勝手にするだけだが……お前らの悪巧みもあるだろう?だから一応、連絡だけしといたんだよ」
「……」
「ああ、そうだ。永伏 剛士は俺の獲物だ、勝手に手を出すな!と……御端 來斗にも言っといてくれ」
俺は自分の言いたいことだけ言うと、今度こそ通話を切……
「どういう……つもりなの」
……れない。
「だから!どういうつもりなのっ!?そんなことしても私は感謝もしないし靡くことなんてないんですけどっ!」
「……」
俺は予想外の相手の剣幕につい通話を切り損ねていた。
——いや、そりゃそうだろ?どうしてそうなる?
「そう……言わせるんだ……これだけは……と思っていたけど……キミは私にこれを言わせるんだ」
——な、なんなんだよ?いったい?
俺は別に自分なりにスッキリさせたいだけで、それがどうしてそんな話になるんだ?
「ええと、俺には蛍は無理めだって言ってた事か?別に俺は……」
——確かに昔は憧れもしていただろうが……
あんな事があって、尋常で無い幼少期を経て俺はとてもそんな感情は……
「…………あれ?」
——いや、抑も俺は……”あれ”からの俺は……
人生に失敗して、周りの大人全てに裏切られて……
兎に角!自分で選べたか、そうじゃないかは関係ない!!
結果的に”俺自身がそうした”
嫌になって逃げ込んだ底辺の世界で生きる人生だ。
——案外、居心地良いかもしれない世界……
其処に居れば何も考えなくて良い。
借金に追われて日々の生活を過ごすのが精一杯、
過去に何があったとか、未来に何があるかとか……
親に裏切られ続け、捨てられ……
そして出会った、憧れた相手は……
そんな俺からも根こそぎ、何もかも奪っていく存在だった。
親も生活も人としての尊厳さえ略奪された子供は……
その後間もなく売られ、大人の玩具になった。
殴られて、殴って、その日を生きるためだけに生きる……
嗤ってしまうほど弱肉強食な世界に墜ちた子供。
「……」
——そうだ。そこには”可能性”が無い
在るのは生きることだけに執着する”現在”だけ。
その”現在”だってスカスカだ。
——日々の生活を過ごすのが精一杯
生きることだけに執着する”現在”は……
未来の糧にならない”現在”は……
——無いのと同じだ
「……」
俺はここ最近の茶番な行いを思い出し、そして口元が醜く歪む。
——だから賤陋な折山 朔太郎は考察するんだろうが?
過去の恨みも、現在の不満も無い世界……
そんな愚か者は其処に居ることを、
そんな人間は其処にしか居場所が無い事を、
「……」
——良く理解しているはずだったのだと……
「……」
「黙りだね、朔太郎くん」
「……」
「あのね、キミの考えていること解るよ。だってキミは……」
「……」
——そう、解るだろうよ、蛍なら……
「そうだよ、キミはどうしようも無いクズだもの。ふふ……私とどーるい、誰かさんと同類」
「……」
「”はこ”を開ける馬鹿と”はこ”を開けない馬鹿。”はこ”というルールからさえ逃げる馬鹿……ふふふ、ねぇ?いったい誰が一番最低なんだろうね?」
一転して愉しそうに聞こえる少女の声に俺は聞く。
「は……こ……?」
「そうだよ、”はこ”。箱の中にはねぇ……えっと、悪いモノとか良いモノとか色々……」
——悪いモノ、良いモノ
——絶望と希望?
「神話の……パンドラの箱の事を言っているのか?」
俺は咄嗟にそう確認するも、
「ぱんどら?うーんと、どうだろ?ちがうかなぁ?」
「……」
どうも要領を得ない。
「えっとね、トラをね……こうやってヨイショ!って箱の中に……」
——トラ?虎?
蛍は電話であるにも拘わらず、向こう側でなにか身振り手振りをしているようだった。
「そんで、”VXガス”を”はこ”にシュコォーーって……」
——VXガス?
猛毒の科学兵器だろそれ……って、今度は軍隊の話か?
「で……どうだったかなぁ?」
本当に全く要領を得ない。
「それはどういった動物虐待なんだ?いや……その前に虎を素手でって時点で人間虐待か?」
「ちがうよっ!朔太郎くんは意外とモノを知らないね。つまり簡単に言うとぉ……えっと”はこ”は開けてみるまでは……えっと、あれ?」
「……いや、もういい」
彼女は多分”シュレディンガーの猫”の事を言いたいのだろう。
「つまりねぇ、えっと、私にこれを言わせるんだ!って、ええと……」
——言えてねぇ!
あまりの混乱ぶりにループしてるし。
「……」
俺はすっかり思考から毒気を抜かれていた。
——はぁ……
「シュレディンガーの猫だろ?確か量子力学上でのパラドックスだったか?」
待っていると朝になりそうなので俺は不本意ながら助け船を出す。
「中身が見えない箱の中に一時間以内に五十パーセントの確率で崩壊する放射性原子と猫を入れ、その原子の崩壊を検出すると猛毒の青酸ガスを噴射する設定の装置も入れる……で、一時間後その猫は生きている状態か?死んでいる状態か?とかいう思考実験だ」
科学的アプローチでは、ミクロの世界では異なった二種の状態が存在できるという、ひとつの解答もあるらしいが……
基本的には、”事象は誰かが確認するまで確定しないという”
ちょっと科学的思考とは思えないが、なんだかオカルト的な仮説もまた妙に説得力がある。
——どちらにしても
”シュレディンガーの猫”自体はたかが思考実験に過ぎない。
「そ、そうともいうよ!」
「虎とVXガスとは言わないっ!」
「うっ!」
そのやり取りで、見えない向こう側で”ばつ”が悪そうに顔を赤らめる蛍が見えるようだった。
——変わらずこういうところは……
演じている守居 蛍で無くて素の天然美少女だ。
「で?結局、その”シュレディンガーの猫”がなんなんだよ?」
擦られ過ぎた有り触れた題材であるが……
多分、蛍が言いたいのは前述したような科学的とかオカルト的とかの意味合いでは無いだろう。
——もっと俗的な……
——例えというか、教訓めいた……
「……」
中身が見えない箱の中の猫。
”生きている”のも”死んでいる”のも確率的には五分と五分。
果たして一時間後、箱の中の猫は生きているのか?死んでいるのか?
俺は思う。
——確率とは、実際は人生にとってそう意味が無いものではないだろうか?
現実世界に於いて過去は常に確定していて、未来のことは予測できない。
可能性が数パーセントのような事柄も、それが起こってしまった後は百パーセントの事実になるし、可能性が九十九パーセントであっても、実際に起こらなければそれは虚構でしかない。
身も蓋もない考え方ではあるが……
——過去は常に確定していて
——未来は答えを持つことは無い
とどのつまり、現状では未だ”因果”は神の領分なのだ。
「……」
——なら
神成らざる人の身ならばそれらにどう対処する?
諸々踏まえて解答えは簡単である
——”箱を開けて”中身を確認すれば結果は簡単に解る!
解答を持たない”未来”は確定した”過去”へと変わるのだ。
逆に言えば……
——”開けなければ”未来は永久に確認できない!
つまりシュレディンガーでいうところの、
”箱の中の猫は半分生きていて、半分死んでいる状態”
永遠にその状態であるのだ。
「……」
——ひとつ、蛍の言っているだろう”箱”を開ける馬鹿とは……
”断罪を待つ者”だろう。
それは絶望の中に希望を探すなんて前向きな行動じゃ無い。
絶望を態々確認するような、徒の自虐行為。
自ら死刑を実行するが如き自虐の極致。
それは……六花 蛍の人生。
——ふたつ、蛍の言っているだろう”箱”を開けない馬鹿は……
”現実を認めない愚者”だろう。
自分が制御できない未来を否定し、
未来を創り変える事が出来ると本気で血迷っているような我が儘な子供そのもの。
それは……はた迷惑な御端 來斗の愚行。
「…………」
——なら、俺は?
”折山 朔太郎”は現実に九十九パーセントの絶望しか無い世界なら……
抑も”思考実験自体”に参加しない。
なんとも”ちゃぶ台返し”な解答だ。
——みっつ、蛍の言っているだろう”箱”というルールからさえ逃げる馬鹿
抑もの問題から逃げ、生きているつもりでいる半端者。
”半分生きていて、半分死んでいる”……男。
「…………ちっ」
何時しか俺のスマートフォンを握る手にはジワリと余分な水分が含まれ、五指は堅く固まっていた。
——”はこ”を開ける馬鹿と”はこ”を開けない馬鹿
——そして”はこ”というルールからさえ逃げる馬鹿
いったい誰が一番最低なんだろうか?
——答えは……
——
「……俺か」
折山 朔太郎は自然とそう呟いていた。
「……ん?ふふ、だね」
長い沈黙の後、俺がそう発すると——
スマートフォンの向こう側に居るだろう少女は愉しそうに……
そう、多分に愉しそうな声色で、俺の言葉にあやふやな応答で肯定したのだった。
——そうだよ、キミはどうしようも無いクズだもの
「つまり俺が……一番救いようが無いクズだって……か」
その時、俺の声は震えていたのだろうか。
だとしたら……珍しいなんてものじゃ無い。
俺は……折山 朔太郎は……
なにかに対して執着することは無いはずなんだ。
「あのね、朔太郎くん」
自分の人生なんてモノにはなおさら、少なくともあれから俺はずっとそうだった。
「やめるなら今のうちだよ?」
「…………」
「だって私もキミ自身も……誰も望んでいないはずだよ。現在のキミは」
——
プッ!
俺は無言で通話を切っていた。
——理由は……
それが指摘されたくない事実だからか?
事実、最近の俺は少し調子に乗っていたのだろう。
それを改めて思い知らされて……
心のどこかで変われるとでも思っていたのか?
俺は……
折山 朔太郎という正真正銘のクズが……
「……」
俺は天を仰いでいた。
——蒼い月
いつか見た、いつも見ていた変わらぬ空。
俺が”そう”する時はいつもそうだ。
「……」
——ほんとうに俺は変わらないのか?
——それとも……
「…………くだらねぇ」
俺は無価値な自問自答を止め、お決まりの言葉を吐き捨ててから——
留まっていた足を前に出す。
ピ、ピピ……
そして歩きながらスマートフォンに登録されたもう一つのアドレスを選択する。
——ルルル
——ルル……
「なに?朔太郎……私、忙しいんだけど?」
スマートフォンの向こうから聞き知った生意気な声。
「……」
「えっと……ま、まぁ、ちょっとぐらいなら……と、友達の居ない寂しい朔太郎に付き合ってあげなくも無いけど?」
その割には少し弾んだような声の相手に……
「今から永伏からの呼び出しに応じる」
俺は素っ気なく用件だけ告げる。
「えっ!ちょ、ちょっと!!どういうこと?」
「……あと、スマホに登録してあった蛍の番号にも電話した」
「なっ!?か、勝手に登録してたナンバーを!?苦労して調べた守居 蛍の隠し持ってた携帯番号を使ったなんて!!あれはここぞという時用の私の……」
プッ!
長くなりそうだと俺は通話を切ったのだった。
——
——
「……」
そうこうしている間に見慣れた校門が視界に入って来る。
——まぁ、”ごちゃごちゃ”としてきたが……
色々と面倒臭くなってしまった案件を前に俺は、問題の先送りを……
——いや!ある意味で初志貫徹
「とりあえず……ぶっ飛ばしとくか」
俺にとっての日常、取りあえず暴力を熟すことにしたのだった。
第34話「はこ」END
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