「神がかり！」第33話
第三十三話「いらない」
ガシッガシッガシッ！
「でねぇ、そのカラオケが超お得なんだよねー」
「ほんとだ！ルーム料金もそうだけどフリードリンクと、わぁ！デザートまで付くんだぁ！」
ガシッガシッ！
「だよねぇ？行かなきゃだよ」
ガシッガシッ……
ザザァァー
「あ、朔太郎くんも、どうかなぁ？この後って空いてるの？」
「……」
俺はシャワールームのブラシがけを済ませ、床に水を流す手を止めて声の人物を見た。
「わぁ、良いね！折山くんも行こうよぉ！」
既にシャワールームの洗面周りの清掃を済ませた二人の女が雑談に花を咲かせていたのだ……その話題の矛先が、どういうわけかこちらに回ってきたようなのだ。
「ああ……ええと、すみません。俺はこの後まだ別のバイトがありますので」
床掃除用のデッキブラシを清掃ボックスに片づけながら俺は答えた。
「そうなんだ？ざーんねん」
「ほんとだよぉ、折山くんって勤労少年だよねぇ、偉いぞぉ！」
揃って二人の女は笑顔を俺に向ける。
――
この女達は俺のバイト先、複合スポーツジムでの職場の先輩だ。
たしか女子大生だと聞いた憶えがあるが……
無愛想な俺にも分け隔て無く接してくれる、中々に感じの良い女達だった。
「あ！そうだ！いま思い出したけど、さっきカウンターで女の子がね、朔太郎くんをご指名して……で、仕事中だって答えたら、終わるまで待ってますって言ってたんだった」
――ご指名って……
ここは健全なスポーツクラブで、BAR”SEPIA”じゃないんだが……
「ちょっとぉ！美佳ぁ、それって早く伝えなきゃ駄目でしょ！」
「う！……だって……しょうが無いでしょ、忘れてたんだから」
ようやく清掃を終えた俺は、少しだけ言い合いを始める二人の方を向く。
「良いですよ、どうせバイトあがらないと行けないですし。それもちょうど終わったところですしね」
俺はそう言って二人の清掃具が入ったバケツをヒョイと持ってから、シャワールームのドアを開けて二人の女を先に外へと促す。
「あ……」
「あ、ありがと」
俺の顔をじっと見た後で女達は続けてシャワールームから出た。
――俺に客ねぇ……
俺はと言うと、その人物に心当たりがあるわけで……
その相手のことを考えながら二人に続いてそこを出る。
「朔太郎くんってさぁ……モテるでしょ？」
シャワールームを出た途端、外で待っていた女がそう声を掛けてくる。
「はぁ？どうですかね」
バタン
俺は適当に返事をしながら清掃道具を片手にドアを閉めた。
「絶対モテるよ！だってカッコいいし……そうだ！指名してきた女の子もすっごく可愛いかったよ！えっと確か……かみ……か」
「……守居 蛍」
既に予測済みである相手の名をボソリと呟く俺。
「そうそう！蛍ちゃん！ショートボブの可愛らしい娘！彼女なの？」
「いえ、学校での先輩です」
「そう……なんだぁ、へぇ……」
なんだか興味津々というキラキラした瞳で俺を見てくる二人に、俺は挨拶をしてからその場を去る。
「お疲れ様でした」
「あ？お疲れ様！さ、朔太郎くん！蛍ちゃんは二階のラウンジで待っているそうだから……」
「折山くんおつかれー、また明日ねぇー！」
二人の女にもう一度礼をした俺は、着替えるためにロッカーへと向かって歩き出したのだった。
――少し……整理しよう
ロッカールームで帰り支度を済ませた俺は、此処までの事を俺なりに思考しながら部屋を出る。
――守居 蛍という少女は六花 蛍……
昔、俺の家庭を崩壊させたカルト教団”蛍燦会”の”現つ神”だった娘だ。
「……」
――”現つ神”
つまり教祖……といより、ご本尊と言った方が近いだろうか。
「……」
それで俺の家庭が崩壊し、俺は借金の形にヤクザ者に買われた訳だが……
”蛍燦会”も信者からの不法な金品の搾取と数々の違法行為、それらが摘発され、蛍の両親は詐欺罪、恐喝罪、その他諸々で刑務所へ。
蛍自身は幼かったことなどから責任能力無しと判断され、保護施設に送られたらしい。
そして――
天都原学園での再会だ。
「……」
――蛍は俺の事を憶えていないみたいだが……
過去に一度だけ関わっただけの俺の事なんか憶えていないのは別段不思議では無いが、そうするとあの時、入学式の日に俺が声を掛けて、嬰美にのされて、保健室で前後不覚になっていたとき……
――彼女は何をしていた？
「……」
――答え
俺の首を絞めていた。
――いや、怖いな……
てか、意味が解らない。
実は俺の事を憶えていて……
俺によって過去が校内に広がるのを恐れた末の口封じだったのか？
「……」
確かに蛍は岩家を使って……
泣きついたのか？真摯にお願いしたのか？
その方法は解らないが……とにかく、六神道のひとりで学園内でも力を持つ岩家を使って自身に近寄る者達を排除していた。
守居 蛍に近寄る人間には不幸な出来事が起こる……と。
自身の過去がどこからか漏れないように、他人との深い接触をできるだけ断っていた、という事だろう。
「……」
なら、どうして奉仕部……
”蛍雪の会”なんて嘗ての”蛍燦会”擬きのような活動をしていたんだ？
蛍を調べていた六神道の東外 真理奈が抱いた疑問はもっともだろう。
世間一般の人間が持つ思考回路なら、それは矛盾も甚だしい……
「……」
けど……
まぁ、それは別に問題じゃ無い。
――そこは……実は”俺には”理解できる
「……」
そう、理解できてしまう。
――だから問題は……
天都原学園”女生徒失踪事件”
真理奈の調査が確かなら、何故に蛍はこの事件の首謀者であるだろう御端 來斗に協力している？
御端 來斗……
天都原学園の生徒会長であり学生連のトップ。
そして六神道のひとつ、御端家の人間……か。
「……」
考えられるのは蛍の持つ能力だろう。
あの治癒能力が、波紫野 剣が前に言っていたように六神道の長老達とやらが恐れる桁違いで本物の神通力とやらで、
御端 來斗の計画……
六神道の禁忌とやらに必要なんだろうと言うことだ。
「……」
――”それ”に何故か協力する蛍
本来なら自分を監視する立場であった岩家を六神道に背かせてまで利用していた蛍……
――あの旧校舎に嬰美が踏み入る”きっかけ”となった情報源……
そう考えるならば多分、これも蛍の仕業だろう。
「……」
――なら……
――なら、折山 朔太郎に接触してきた理由は……
最初に興味本位で接触したのは俺の方だが、その後は……
今から思い返せば、あの不自然なまでの、学園生活で嬰美ぐらいしか接点を持たなかった蛍が自分から積極的に俺に接してきていたのは恐らく、”何らかの意図”があったと考えるのが普通だろう。
「……」
――俺の事を憶えていて？
――それとも嬰美との立ち回りを見て、俺が使えると踏んで？
「……」
俺はそんなことを考えながら歩いていたが……
やがてジムの二階にあるラウンジ、蛍が待つという場所に到着していた。
そして――
立ち止まった俺の視線の先、ラウンジの窓際の席に腰掛けてティーカップを口に運ぶ少女が独り。
天都原学園指定の制服である薄いグレーのセーラー服に、膝までの清楚なプリーツスカート姿。
ちょこんとした可愛らしい鼻と綻んだ桃の花のように淡い香りがしそうな優しい唇で、雰囲気のある柔らかい照明の光の下でサラサラと輝く栗色の髪が、毛先をカールさせたショートボブが愛らしい容姿によく似合っている美少女が……
誰の異論も挟む余地の無い美少女であろうが……
そう、どこか頼りなげな仕草と雰囲気から美女という表現よりも可愛らしい少女の印象が一際強い美少女、守居 蛍が……
――そこに居た
「あ？朔太郎くん！ここだよ」
ラウンジの入り口付近で立ち止まっていた俺を見つけた少女は、可愛らしい容姿に微笑みを浮かべて此方に手を振っていた。
「……」
交渉事は機先を制するに限る……
これは俺の人生経験からの教訓だ。
何事もイニシアティブをとった方が後々までの選択肢を多く保持することが出来る。
「……」
俺は前にも似たような状況があったなぁ？と認識しながらも、件の少女の方へ歩みを進めていた。
「よう、風呂の帰りか？」
「うん、朔太郎くんに貰ったチケットのおかげで大助かりだよ」
俺の問いかけにニッコリと笑みを浮かべる美少女。
「そうそう、朔太郎くんって結構モテるみたいだね。カウンターで対応してくれた女の人ってもしかして、前に言ってたチケットくれた人？」
「ああ、そうだが。べつに俺はモテている訳じゃ……」
「ふふっ、ごけんそーん！分かるよ、なんとなく雰囲気とかでね。女子の勘ってやつ？」
「……」
何故だか妙にテンションの高い少女に俺は……違和感を覚える。
「すごいねぇ、学園でもエイミちゃんや一年の東外さん？だったっけ……色々と篭絡してるみたいで」
――！
少女から出たその言葉に……
その名前に、俺はピクリと反応していた。
――何故だ！？
――何故その事を知っている！
俺が東外 真理奈と接触していた事……
そして恐らくは嬰美との一連の……あの旧校舎での……
それさえ知っている様な彼女の仕草。
「どうしたの？朔太郎くん」
思わず睨み付けてしまう未熟な俺の視線を、ニッコリと警戒心の欠片も無い瞳で見返す 美少女は……
「……」
――そうかよ
確かに”女生徒失踪事件”に蛍が絡んでいるなら、それは当たり前だと言うこと……
――けどな
なら、なんで俺にそれがバレるような行動を自ら取る？
「エイミちゃんの為に”あんな状態”の岩家先輩と戦って……今度は私のために六神道の怖い人と戦ってくれるの？すごいね朔太郎くんは」
「…………」
――なるほど
最早それは隠し立てすることでさえ無いってことか……
つまり……
「俺は別に大したことはしていないし六神道なんてどうでもいい。ただ、多少なりとも関わった限りは俺自身の気持ちが悪いからお前の……」
「……」
――なら俺も腹を決めた
別に俺は蛍がどうとか、六神道内のもめ事とか本当にどうでも良い。
ただ、蛍の現状だけ……
少し関わってしまった過去の知り合い……
六花 蛍の現状、その窮地だけをどうにか出来れば、単純に俺の気が晴れるというだけだ。
「永伏とかいう奴を黙らせれば当面お前は大丈夫みたいだからな、それだけだ」
――そう……それだけ
後は知らない。
蛍が御端なんちゃらと関わっていて、六神道の禁忌がなんとかとか……
俺には関係ない。
その後はその後でしかるべき奴らが銘々勝手にすれば良い。
勿論、その後に蛍がどうなろうとそれは俺の知る範疇では無い。
――俺は兎に角……
不本意にも関わってしまった過去の”残りカス”とでも言うべき事柄だけ……
とりあえず、それだけ済ませられれば俺はこれでもう永久にこの女とも……
「ふふふ、助けてくれるんだ？私のこと……ふふ、凄いね朔太郎くんは」
「……」
――なんだ？
蛍のこの表情……
なんていう？……これは……
「すごいよ、キミは……すごい……偽善者」
――っ！？
俺は完全に意表を突かれていた。
「蛍……」
躊躇した俺は、少女に対してかける言葉を選んで……
いや、違うな……
豹変したこの少女に……
俺の心にあったイメージの彼女とのギャップに……
単純に言葉が上手く出てこないだけだ。
――”六花 蛍”の事なんてどうでも良い？
――俺には過去の恨みも現在の不満も無い？
空っぽになったつもりで……
俺は……俺は……
「…………くだらねぇ」
そして、ようやっと俺の口をついて出たのは、いつもの言葉。
いつも通り、俺自身に向けられる的確な言葉だった。
――
「そだね。ふふ、朔太郎くんってほんと……ばか」
クスクスと口元を緩めた少女はゆっくりとティーカップを置いて席から立ち上がり、
「……」
俺は自然とその声の相手をゆっくり視線で追っていた。
「岩家先輩はね、ああ見えて男気があるんだよ。六神道の役目で私を監視していたみたいだけど、強大な権力が唯の”いち少女”にって……もともとちょっと私に同情的だったみたい」
「……」
なにが愉しいのか、あどけない美少女は悪女の如き微笑を絶やさない。
「だ・か・らぁ、後はかーんたん！！ちょっと上目使いでぇ、瞳をね、こう”うるる”ってさせてぇ……」
蛍は笑いながら両手を胸の前に合わせて敬虔なクリスチャンの祈りが如く握り、上目遣いの潤んだ瞳で俺を見てくる。
「岩家先輩……わたし、過去のこと知られたくないんです……平穏に学生生活を送りたいだけなんです……人並みに……恋とかも……」
垂れ気味の瞳……大きくて潤んだ瞳が用意周到に細められ、
小さな可愛らしい唇がニンマリと、悪戯っ子のように口角を上げる。
「って言ったら、喜んで協力してくれたの。ね、単純でしょ？」
あからさまに不真面目に不謹慎に振る舞う美少女。
その間も蛍の視線はまっすぐ俺に向いたままである。
「守居 蛍に近づいたら……不幸になる。影でそれを実行していたのは岩家か？」
俺はそれだけを再確認する。
今更、確認する必要も無いが……俺はそれだけ確認していた。
そして蛍は――
そんな俺の顔を見詰めながら、本当に何事も無いよう再度微笑った。
「そだよ。ほんと男のひとって簡単……あ、もちろん私が可愛いからだけど？」
「……」
俺はただ黙っていた。
「そんな表情しないでよ、朔太郎くん」
蛍は気にしない。
「いまも、学園でも、こうやって親しくしてあげているのは朔太郎くんだけだよ？こうやって寄り添ってあげるのも……キミだけだよ」
そっと半歩、俺の横に移動した美少女はそう言って――
絡めるように俺の腕に自身の腕を組みつかせ寄り添う。
「……」
「私ね……この学園を無事卒業して、それなりの大学に入って、それでその後は普通の……ううん！ちょっと良い目の人生を送るんだぁ……ね？素敵でしょ」
――それが現在の蛍の……
「御端 來斗に協力する見返りがそれか」
俺は確認する。
「過去も消してくれるって、無かったことにね、してくれるって。出来るらしいよ、
この天都原での六神道が持つ権力なら。それを手に入れた御端先輩なら」
「……くだらねぇ」
俺は心底そう思った。
「そうかなぁ？色々と諦めてるキミよりはずっとポジティブで良いと思うけど？」
俺も心底そう思う。
「ポジティブ……ね。そのために嬰美を陥れる事もするってか？俺にとっては”いけ好かない奴”だったとは言え……協力してくれた岩家もあんなふうに扱うことがか？」
だが、これだけは言っておこうと。
「朔太郎くんがそう言う事言えるんだ？ふぅん？頭の良い朔太郎くんらしい自分を棚に上げた立派な意見だよ」
「…………」
そうしたら見事な反論が返ってきた。
「私は次は……今度こそ……自分の人生を掴むために行動してるだけ。だいたいエイミちゃんだって友達？それだって本当は六神道のお仕事でそんなフリをしていただけでしょ？それに岩家先輩と御端先輩の件は別に私の問題じゃないし……」
――とはいえ
「いい加減にしろよ蛍。それはただの言い逃れだろうが！自分を正当化するためだけの……」
何故か納得できない自分もいる。
同時に俺は左腕に絡みついた少女の手を振り払い、そして少女に向けて思わず右手を振り上げて――
「……」
「…………くっ」
――何をしているんだ……俺は
こんなのは俺じゃ無い。
なにを感情的に、自分のことさえ割り切った俺の……
あまつさえ他人の事で……こんな……
「…………」
俺の目前では少女が、ただそれを全く動じること無く垂れ気味の穏やかな瞳で見上げていた。
――ちっ
数秒程後だろうか……
振り上げたままの右手を、所在の無い右手を降ろした俺は少女の瞳から視線を逸らして呟く。
「くだらねぇ……」
「…………」
そして当の少女は……
蛍はどこか俺を試すように見つめていた瞳を瞼で静かに遮った後、残念そうに微笑んだのだった。
――残念そう……に？
――
「ほんと、朔太郎くんだけだったよ。でも……基本、キミも岩家先輩と同類だけどねぇ」
そして一転、クルリと廻って背を向けた美少女はまるで誤魔化すかの様にコロコロと笑っていた。
「キミさ、すごーく頑張ってくれたみたいだけど？なんか御端先輩に凄い作戦があるみたいだし、六神道もなんか終わりみたいだし、もう要らないかなぁ？キミ……」
蛍はスカートの裾をひらひらさせ再び廻ったかと思うと、今度も至近距離から上目遣いに俺を見てくる。
「……」
その仕草は無邪気な悪戯っ子そのものだ。
「”学生連”が無くなっちゃえば、わたしの身の安全も保証されるしね」
俺は……
「俺はいらないのか？」
「いらなーい」
問いかける俺の視線を、もう興味ないとばかりに躱してあっけらかんと応える美少女。
「…………お前の望みは、本当にそれなのか？」
そして、つい口に出た俺の台詞に蛍の顔は少し曇る。
――確信なんて無い
それでも俺が識る蛍という少女との違和感に……
往生際の悪い俺が納得いっていないだけかもしれない。
けど……
「いら……ない」
「……」
俺は観察するようにジッと彼女の瞳を凝視する。
「あはは、意外と自意識過剰だね、朔太郎くんは」
しかし蛍は、すいっと瞳を反らして悪戯っぽく微笑んでいた。
「あのね、朔太郎くんには私は無理めだよ？そうだなぁ、一年の東外さんかエイミちゃんあたりがせいぜいキミにはお似合いだよ」
そう言った六花……
いや、守居 蛍の表情を見た俺は……
「…………」
想い出の面影さえ薄れていくような……
そんな原因不明の焦燥感からか、胸にチクリと痛みを感じていたのだった。
第三十三話「いらない」END