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尾崎豊について考える

 精神的な苦しさとか色んな事がある時、聞く音楽がある。尾崎豊であり、ブルーハーツだ。
80年代から90年代初頭にかけてのバブル景気に沸く日本で、クラブミュージックではなく、フォークをやろうとしたのが尾崎豊であり、ロックンロールを体現したのがブルーハーツだ。
自分は00年代生まれなので当時は知らないし、尾崎豊が生きた時代を生きていない。

 当時の音楽シーンではやはりBOØWYの功績を評価すべきであり、自分の親世代は夢中になっていたわけだが、
稚拙な考察としては、

後につづく邦ロックの独自の方向性を決定付けたのがBOØWYであり、対してパンクロックを表面的な音楽やファッションだけでなく精神的に体現したのがブルーハーツだと思う。ブルーハーツの話は尽きないのでこのくらいにしたい。

なぜ人を惹きつけるのか

 今の時代、特に自分のようなZ世代は、盗んだバイクで走り出すような、ゴリゴリの不良というのは昔より少ない。もっと内面的な悪さが蔓延っていると感じる。

 しかし、この「盗んだバイクで走り出す」というのは、盗むという反抗的行為によって、大人たちに制限された場所から逃げるという、若者を解放させるような比喩表現である。

 少子化社会の中で、親世代は就職氷河期世代であり、我々の世代は団塊ジュニアならぬ就職氷河期ジュニアなわけだ。今は人手不足で売り手市場といえど、親たちは同じ苦労を子にさせまいと、子を教育する。社会で安定して成功するためには、必然的に保守化せざるを得ない。完全に自分の主観だが。

既存の学校のシステムや社会の不条理にぶつかった時には、尾崎を聞いていた。励ましてくれるような気がした。

若者の象徴として

 若さというのは、一過性のものであり、普通人間は年をとるものだが、1つだけ年を取らずに人々に記憶させる方法がある。早逝することだ。
ジミ・ヘンドリックスもカート・コバーンも27クラブという27歳で亡くなった人たちだ。尾崎も26で亡くなっている。

 早死することは決して美しくないし、もしみんな生きてたらニルヴァーナのライブも見れただろうし、尾崎豊は今でも歌ってだろう。しかし、精神的にそうは考えにくい。両者とも薬に頼ってなんとかボロボロで生きていたのだ。

オーマイリトルガールのデモテープ的なものがあって、聞いてみたらレディオヘッドのノーサプライゼスを思い出すギターのメロディだった。両者は全く関係ない曲だけど、精神性の共通点を感じた。
トム・ヨークも、目の手術や鬱病で苦労してきた人だが、音楽を通して表現することがモチベーションとなり続けているのか、ずっと歌ってくれている。

永遠に生きてみよう

 仏教では生きることは苦とされる。(苦諦)
しかし、人間は生き続ける必要がある。死に至る病に冒されることなく、幸福を最終目標として。
そんなに深く考える必要はない。ドツボにはまってしまうから。

なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
そんな気持ちわかるでしょう

ブルーハーツ/情熱の薔薇

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