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レコバという現象

インテルが三冠を達成して幕を閉じたモラッティ会長時代が始まったばかりのころ、ある無名のウルグアイ人選手がインテルにやってきました。(元祖)怪物と言われたロナウドが移籍してきた年と同じです。彼の名はレコバ。

ことの始まりはモラッティ会長のところに届いたビデオテープ。ウルグアイの若者のベストオブを見ながら、見終わる前に既に「彼を連れてこよう、今すぐに」と獲得を決めたらしいです。

外国のリーグで活躍する選手のプレーを見るのに、今のようにネットで検索できる時代でないので、こうやってクラブのスカウトが用意するビデオが重要な情報源だった時代。一般的にはクラブのテクニカルディレクターなどのフロント陣が選手の選択をし、会長は金銭的なやり取りの許可を出すだけなのですが、モラッティ会長は自身が熱狂的なカルチョのファンなので、選手のプレーも見てから獲得交渉をするスタイルだったようです。

モラッティ会長がビデオで獲得を決めた選手といえば、アルゼンチンで次期マラドーナと言われていたオルテーガの調査で取り寄せたビデオを見ながら、会長の目に留まったのはオルテーガでなく、一緒に映っていたサイドで止まることなく機関車のように走り回っている選手。その無名だった選手の獲得も直ぐに決めたのは有名な話です。こちらはザネッティ。このついでに目に留まった選手がその後キャプテンになりインテルでキャリアを終え、その後も副会長として長らくクラブに残ることになるなんて誰も想像していなかったことですね。

さて、インテルは当時「マラドーナに匹敵する史上最強選手」と世界の注目を集めていた若いロナウドをバルセロナから当時の最高移籍金で獲得し、本気で優勝を目指すシーズンに向けキャンプインしていました。

シモーネ監督はじめ選手、スタッフが泊っているホテルにモラッティ会長が激励のためキャンプ訪問すると言われていた日、マスコミもホテルのロビーに陣取り会長の到着を待っていました。会長の車がそろそろやってくるというので、監督はじめ選手もぞろぞろロビーに集合を始めます。

会長が到着し、笑顔で監督や選手達とあいさつを交わし、さあ、練習へ向かおうかとスタッフが選手の数を数えると一人足りません。調べてみると寝坊しているのはレコバ。

スタッフが呼びに行こうとすると会長が「あ、私に任せて」とレコバの部屋のドアをノックします。寝ぼけた顔で出てきたレコバは会長に「ブエノスディアス」とハグをして挨拶。彼のインテルでのキャリアはこうして始まります。

記者がロナウドに対する期待感をインタビューしていると、会長が「期待するのはロナウドに限らないけれどね」と答えます。記者たちはもう一人のブラジル人選手ゼリアスか、前年レアルから移籍してきたサモラーノかともう一人の名前を詮索しているところに「ロナウドとレコバ、この2人の名前を出しとけば私は安泰だ。」

イタリアの記者、ファンはまだレコバがどんな選手なのか知りません。

インテルはかつてバルサからナポリに移籍したマラドーナの再来のようにバルサから移籍してきたロナウドへの絶大な期待と共にブレーシャ相手にシーズン開幕を迎えます。ところが試合は思ううように運ばず0-1のビハインド。ロナウドも思うような活躍ができません。シモーネ監督は後半にレコバを投入。すると彼の魔法の左足から30メートルのミドルシュートがゴールを揺らします。

その後レコバはFKでもスーパーゴールを決め逆転勝利、(ロナウドのイタリアデビュー戦で世界各国で注目される中)全世界にレコバの存在を示しました。

彼は最近のインタビューで「なんであのFKは他のインテルの選手が蹴らなかったの?練習ではチーム内のFK蹴る優先順位があったでしょう」と聞かれ「あの前に30メートルの爆弾ゴール決めてたから誰もFK位置に近づいてこなかったんだよ。だからオレが蹴った。ついでに、あの試合は終了間際にもう一つ右足の選手に有利なFKがあったんだけれど、ロナウドがオレのところに来て、蹴ってもいいかって許可求めるんだよね。笑っちゃうだろ。もちろんいいよって答えたけど。」

さて、鮮烈なデビューを飾ったにもかかわらず、このシーズンはその後ほとんど出場場面がないままに終わります。

彼のキャリアでは、とにかく練習が嫌いなためどの監督からもかなか信頼を得られないのですが、これはその後もずっと続くジレンマで、ファンからすれば「人並みに練習さえすれば世界最高峰の選手なのにもったいない」となるところ、終始一貫練習嫌いを通した彼だからこそレコバでありえたという逆説的なおかしな魅力を持つ選手だったのです。

出番が少ないまま翌シーズンもベンチを温め続け、練習をさぼり続けたレコバに転機がやってきます。

シーズン前半で残留が絶望的と見られていたヴェネチアからレンタルで半年移籍の話。どうせインテルにいても試合に出れないレコバは当初否定的だったのだけれど、ノヴェッリーノ監督が「引越ししなくてもミラノから試合の時と週に2回練習に参加してくれるだけでいい」という練習嫌いのレコバにはありがたい条件を出してもらい、半年ヴェネチアに行くことに決めます。

この半シーズンだけで彼は自身のセーリエAの全キャリアの最多得点タイの10ゴールを記録する大活躍で、絶望的と言われていた残留を手土産にインテルへ戻ってきます。

翌シーズンにヴェネチアの半年に次ぐセーリエA2桁得点を記録するも、なかなかレギュラーには定着しません。

そんな中最初のマンチーニ監督時代の2005年、やはりサンシーロのインテル対サンプドリア戦でホームなのに0-2で負けていた試合、インテルのシーズン初黒星は避けられないと思ってスタジアムからぞろぞろと観客が帰り始めていた後半42分、マルティンスのゴールで1-2。4分のロスタイムが始まった46分にボボのゴールで2-2。そしてロスタイム3分目にレコバが3-2のゴールを決め劇的な逆転勝利をしました。後半からアドリアーノに代わりプレーしていたレコバが決勝点を決めた伝説的な逆転劇の対戦相手サンプドリアの監督がレコバをよく知るノヴェッリーノ監督だったのも運命のいたずらのようでした。

さて、結局通算10年も在籍したインテルではセーリエA優勝を体験しないまま、他のチームで2015年までプレー(最後の5年はウルグアイ)して引退しました。

鮮烈なデビュー戦以来、時々ダイヤモンドのように輝くFKを魔法の左足から放ち、他の選手では不可能な位置からゴールを決めてはインテルのファンに限らず世界のサッカーファンを沸かせたレコバですが、とにかく調子いい時と悪い時の差が大きいので、常に脇役の「とびっきりのスパイス」のような存在の選手として記憶されています。

引退後、どうして練習をしたくなかったのかと聞かれたレコバの答えは非常にわかりやすく「学校へ行っても勉強好きな子と勉強嫌いな子がいるだろ、オレは練習が嫌いってこと。」

三冠時代を終え、クラブのオーナーでなくなったモラッティ元会長の「理想の歴代インテルベスト11」で3トップが組まれているのですが、ロナウド、イブライモビッチ、レコバ。そう、モラッティ会長が一番愛した選手はレコバでした。

そんなレコバが引退後、大好きな釣りばかりしてのんびり暮らすようになってから、ある日家族でバカンス中のマイアミのレストランで食事中の出来事。

急に息子のジェレミが興奮し始めます。「あ、パパ、パパ、レアルのマルセロが入って来たよ。」そう、家族でのんびりしていたレストランにスター選手が入ってきて小さなジェレミは驚いていたのです。そうしたら、なんとレコバのテーブルに気付いたマルセロが近づいて来るのでさらにドキドキします。マルセロがレコバのところに来て「ずっとあなたのファンでした」と握手を求め挨拶をします。マルセロが自分のテーブルに帰り、まだ呆然としているジェレミにレコバがウィンクして声をかけます。「な、言っただろ、パパも昔はすごかったんだぜ。」

パパの全盛期(あったとして)を知らないジェレミは現在ウルグアイでレコバがデビューしたクラブのユースに属していますが、未成年ながら既にトップチームでデビューするんじゃないかと話題だそうです。また新たなレコバ伝説が始まるかもしれませんね。できればもう少し練習熱心な伝説になればいいけど。

Peace & Love

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