見出し画像

コンチェッタ

我が家の近所にシチリア島出身のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいました。コンチェッタとジュゼッペ。この老夫婦の子供達も割と近所に住んでいて、しょっちゅう家に遊びに来て一緒にご飯を食べていました。子供達と言ってもおいらよりも年上の子供たちなので、そこの家族に子供がいる家もあり、孫達もよく顔を出していました。

週末にはその大家族が集まって食事をすることも多く、コンチェッタの家のオーブンは一般家庭のオーブンの1.5倍のサイズの大きなものでした。

我が家の、今では成人した末っ子の息子は、まだ小学校に上がる前で小さかった頃、このコンチェッタの家にいつも呼ばれ、その大家族に大変かわいがってもらっていました。日本人の小さな子供がイタリアの大家族にポツンとまじっているのもおかしなものでしょうが、当時は極自然にそういう習慣が出来上がっていたのです。

我が家の息子は、おじいちゃんやおばあちゃんはみんな日本なので、ミラノにもおじいちゃんとおばあちゃんができたようなもので、この大家族と過ごす時間もそれなりに楽しかったようです。

なので、週末のランチでコンチェッタの家が賑やかな日にはいつも我が家の息子も呼ばれて大家族と一緒に「おばあちゃんの料理」を食べていました。そして、夕方にみんな帰っていくと、我が家も夕食の時間が近付いて来るのでおいらが迎えに行くのです。

おいらが迎えに行くと、ジュゼッペが「カフェを飲むか?」と、マッキネッタでエスプレッソを用意してくれます。そしてコンチェッタがビスケットのカンカンを出してきて「食べろ食べろ」とすすめてくれます。

夕食前で、お腹も減ってはいないので、カフェを飲みながら一つだけビスケットをつまんで世間話をしていると、コンチェッタが「恥ずかしがるな、食べろ食べろ」といつまでもすすめてくれるので、もう一枚ビスケットを食べます。毎回4枚くらいは食べていたと思う。

このシチリア出身の老夫婦は、南イタリアから北イタリアに出てきて苦労した一世の人達なので、外国からイタリアに来て住んでいる我がのことが気になったのかもしれません。ただ単に近所だから仲良くしてくれただけなのかもしれないけれど。

一度、おいらの両親がイタリアに遊びに来ていたとき、このコンチェッタとジュゼッペの家にも挨拶に行き、2人とも大いに喜んで歓迎してくれました。ジュゼッペはいつものようにエスプレッソを用意してくれて、おいらの両親にもすすめてくれました。おいらの父親はエスプレッソなんて飲んだこともないのだけれど、せっかくの好意だからと砂糖を入れて飲んでいました。コンチェッタとおいらの母親は、言葉は全く通じないのに、手に手を取って仲良くしていたようです。

その後家に戻ると「あの珈琲はでえれえ濃いいのう。イタリア人はあげえなのを飲むんか?」と、エスプレッソメーカーデザイナーの息子に感想を言っていました。まあ、我が家の両親がイタリアに来て一緒に旅行すれば、見るもの聞くもの、大体初めての体験なので、いつもこうやって大げさに驚いていたものですけれど。

あの時は、確か我が家の両親とはイタリア到着後、子供達と一緒にローマとナポリへ旅行に行き、予定を終えて無事に帰国したはずです。

そうすると、後日、コンチェッタが我が家にやって来て「もう両親は日本に帰ったのか?うちにお別れの挨拶もしないで帰ったのか?」と怒っていました。我が家のことを、ホントに家族のように思ってくれていたんですね。

さて、時々昼間にジュゼッペがおいらの家に来ることがあり、そういう時は決まって自転車がパンクしています。それで、おいらが出かけて自転車のパンクを直してあげました。おじいちゃんなのでパンクの穴の空気がどこから漏れているか水に浸けてもよく見えないのです。

彼は初めてあった頃「名前は何だ」と聞くので「ヒロシ」と教えるのですが、なかなか覚えられません。そして今度は「名前はどう書くんだ」と言うので「Hiroshi」と書いておきます。次に会うと「ええっと、なんだったっけ?」と紙を出して「おお、イロシ、イロシ」と思い出します。でも次に会うと「ええっと、そう、イロスキ、イロスキ」となりました。それから思い出した時にはイロスキーと呼ばれることになりました。色好き。

ある日、コンチェッタが病院へ運ばれたと聞いて、数日して戻って来た時に様子を見に行くと、心臓が弱っていたそうでペースメーカーを付けたとソファーに寝たままコンチェッタが話してくれました。その話を聞いている間にも、ジュゼッペが「カフェ飲むか」と、おいらにエスプレッソを用意してくれました。

しばらくして、コンチェッタが亡くなったと聞きましたが、お葬式の日はおいらは家を離れていたので教会へ行けませんでした。

長年連れ添ったコンチェッタがいなくなり、ジュゼッペはとたんに元気がなくなってしまいました。それでも家族は相変わらず顔を出していたのですが、独り暮らしもさほど長く続かず、あとを追うようにジュゼッペも他界してしまいました。

ジュゼッペのお葬式の日、おいらは教会へ行っておとなしく座っていたのですが、式も終わり、棺桶を教会から運び出しているのを、教会の前で見送っていたら、コンチェッタとジュゼッペの娘さんの一人がおいらのことを見付け、走り寄ってきて抱きつき、号泣していました。我が家も家族のように過ごさせてもらった時間があるので、準家族のようなものと思ってくれていたのでしょう。

おいらにはシチリア出身の友人も複数いたり、何かと親近感はあるところなんだけれどまだ行ったことがありません。その内足を延ばしたけれど、イタリア国内とはいえ、仕事がらみでないとなかなか行く機会はないんですよね。そういう行きたいところはとりあえず沢山あるので、なんとか長生きして機会を作りたいものです。

Peace & Love

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?