皇帝と呼ばれた選手の話
世界史で第14代ローマ帝国の皇帝としてハドリアヌスという名前を勉強した人も多いと思います。
『テルマエ・ロマエ』では、市村正親がハドリアヌスを演じてます。
さて、イタリアでは古代ローマ帝国の皇帝の名前はラテン名ではなく現代のイタリア語読みで勉強します。なのでハドリアヌスはアドリアーノとなります。
インテルにアドリアーノという後にブラジル代表でも活躍する選手がいました。彼は非常に若く無名な頃にインテルに移籍して来たんだけれど、デビューは親善試合ながらど派手なパフォーマンスで一躍注目されるようになりました。
彼が移籍して来たときのインテルには世界最強と言われる攻撃陣が在籍していました。ロナウドとボボ・ヴィエーリ。
当時のブラジル代表、イタリア代表の絶対的なエースが在籍だなんて、今ならちょっと想像できないけど。ただ、当時のインテルはそれでもなかなか優勝できなかったんだなあ。
夏の親善試合でレアルと対戦の際、後半にこの無名の若者が初めてインテルのユニフォームを着て途中出場しました。そうしたら、グラウンド中央の位置でフリーキックの場面に「オレに蹴らして下さい」と名だたる先輩選手達にお願いします。彼の後ろにはマテラッツィがオレに蹴らせろと迫ってきます。すると当時インテルにいたセドルフがマテラッツィを止めて「彼に蹴らしてみよう」とアドリアーノにボールを託します。放ったミサイルのようなシュートがズドンとゴールに決まりました。
親善試合とはいえ、レアルとの試合は世界中に中継されるような注目度だったため、なんだあの選手は?!と急激にスポットライトが当たる選手になりました。
今でもミラノのインテリスタには、アドリアーノ最高のゴールはこの親善試合でのデビューゴールだったという人が少なくありません。ホント、インパクトすごかったからね。
その後レンタルで移籍していたパルマで徐々に頭角を現し、類い稀なるパワーと秀でたテクニック、ドリブル、高さ等、トッププレイヤーになるための要素を全て持っている選手として高い評価を得るようになりました。
パルマでは中田選手ともプレーしています。
インテル復帰後、最初はボボの控え的な役割でプレーしていたのだけれど、気が付けば当時インテルで100ゴールを達成したボボと立場が逆転するような事態になり、レギュラーとして扱われるようになって、結果的にボボはインテルを出ていきます。
そんなアドリアーノにミラノのインテリスタが彼に付けたニックネームが「インペラトーレ(皇帝)」。もちろんハドリアヌス帝からのネーミング。
当時のキャプテン、ザネッティも回想するように、多くのインテリスタが「新しいロナウドを見つけた」と思っていました。何しろまだまだ若かったし。
そんな彼にある日ブラジルから特別な電話がかかって来ます。お父さんが亡くなったという突然の知らせ。
ザネッティが「思い出すと今でも胸が熱くなるよ。あの日、アドリアーノは電話に泣き崩れてしまっていたんだ。そして、あの日を境に彼は変わってしまった。私はコルドバと共に、彼の手助けになると思ったことは全てしたんだけれど、もう元の彼に戻ることはなかったんだよ。ホントに残念で仕方がない。」と言っています。
それからの彼は、クラブでシャンパンをラッパ飲みしているところ等の写真ばかりがスクープされるようになりました。
選手、監督、会長、皆で何とか立ち直らせるように手は尽くしたけれど、彼の心のバランスはもう元には戻らなかったみたい。そしてひっそりとインテルを去っていきました。
その後ブラジルのクラブでまだプレーしていたんだけれど、イタリアに届く写真はどんどん肥満化していく姿ばかり。届くニュースはスキャンダルの類いのものばかりといった具合でした。
一度ローマで再起を試みるも、結果は芳しくなくまたブラジルへ戻っています。
人懐っこい笑顔で周りの人には常に愛されてたアドリアーノ。才能を活かしきれずに表舞台から遠ざかったことを残念がる人は多いようです。
そんな彼が近年のインタビューで語ったインテル。
「インテル?あのチームは永遠にオレの心に残るよ。オレはあそこでホントのプロの選手になったんだ。あのオレに捧げてくれた応援コールを聞くと今でも心を揺さぶられるよ。」
『スタジアムはすごいカオスだろう、我々が君を応援するから。爆弾を放つ選手がいるんだ。さあ拍手で迎えよう、グラウンドにアドリアーノのお出ましだ。』
Peace and Love
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