日本から読み解くPoiesis
今年初めに「2021年の施工の深掘り」のテキストで、NHKオンデマンド「100分de名著 レヴィ=ストロース"野生の思考"」の中で出てくる言葉"Poiesis(ポイエーシス)"について書いた。ここから派生するキーワードを深掘りしていき、自分の活動と結びつけることで「Studio on_siteの論理と実践」をまとめていきたい。
【Poiesisという言葉を追って】
Poiesisという言葉を追って、2冊の本を読んだ。
・「月の裏側-日本文化への視角-」(著 クロード・レヴィ=ストロース)
・「NHKテキスト2016年6月 野生の思考」(著 中沢新一)
今回はこれらの本を『Poiesis』という言葉を中心としてまとめたいと思う。
【Poiesis(ポイエーシス)についてのおさらい】
「NHKテキスト2016年6月 野生の思考」の中にPoiesisの意味について分かりやすく記述されていたので、抜粋させていただく。
【ディヴィジョニズム】
Poiesisという抽象度の高い言葉を具体として捉えるため、本の中に記述される例を確認していく。日本では『料理 / 大和絵 / 和音 』など構成する要素(材料 / 線 / 音)を混ぜない、ディヴィジョニズムのような形式が好まれるという。これらは要素に最小限の変化を加え、全体を構成している。素材の中に存在する目的をそのまま取り出す文化である。
【受動性 と はたらき】
柳宗悦は『民藝』に対して「受動性」という言葉を使っている。「自然物の中に隠れている本来の機能を受動的に取り出して民藝品をつくると、それを使用する庶民の感覚にぴたりとはまる」という民藝の思想である。はかないなき「はたらき」が民藝思想の中心としてあり、これがまさにPoiesisにあたるという。
また「受動性・はたらき」から派生し、絶対他力の原理で成り立つ『浄土真宗の南無阿弥陀仏』や、自然のはたらき・自発性を借りてできる『里山』をPoiesisの一例であり、その対象物の中にある力によって形が現れることを示すのであろう。
【自然の人間化】
対象物の意志を表すような考えとして、「自然を人間化」する文化がある。それは「鳥獣戯画 / 河鍋暁景の絵 / 夏目漱石 草枕 / ポケモン/ ゆるキャラ」の例ように古くから現代まで残っている。このような精神はまさしくアニミズムの思想と繋がるのであろう。中沢新一氏は「このあたりを探っていくと、日本人の精神構造の一番深いところに辿り着く。鈴木大拙の言葉を借りれば「日本的霊性」のまさに核心部でもある」という。この辺りはまた別の機会に深掘りしていきたい。
【受動的に建築をつくる】
「受動性」という言葉を受けて、4年前の修士制作で出てきた問いへの答えが出た。計画はフィリピンの沿岸部被災地域の大規模移転地で、小さなコミュニティースペースを設計したものである。建築の平面は敷地周囲と敷地の形状等から決まっており、その平面を現地にある素材や技術を応用して立ち上げた。現地に滞在しながら設計したその計画は、自らの意志というよりもその場の多角的な普遍性で立ち上がったものである。
その場の要素が組み合わされてできた建築に対して、「設計者自身の要素がどこにあるのか、はたまたなくてもいいと考えるのか」という問いが飛んだ。当時は答えが出ず、問いに対して今まで思考をしてきた。民藝から出る「受動性」という言葉を受けて、この設計がPoiesisのつくり方をしていたのだと理解した。
【Poiesisの何がいいのか】
この設計がPoiesisであるかという議題はさておき、修士制作で出された問いは「設計物が作者の意図に寄らない、受動的なもので良いのか、はたまたPoiesisのものの何がいいのか」ということである。この問に答えようとするとPoiesisが野生の思考に繋がってくる。本文中に、各地の先住民・現地人が複雑な知識持っていたり、完璧な循環した資源の利用をしていることに対し、以下のようなことを記述している。
自らの修士制作もそうであったが、受動的にものをつくり上げようとしたときに、その対象物の周辺に広がる膨大な感覚的・知的な情報を知覚し、その情報の中から声を上げたものによって、ものが立ち上がる感覚がある。現代にある、必要な情報を集め、概念的を作成するののつくり方ではそのもの自体が立ち上がることがないのでないかと思う。このような感覚的な能力を総動員しながら、つくるものには土地の膨大な情報が組み込まれていおり、あらゆる資源を包括しながら地に馴染むものができるのではないかと思う。この議題については「野生の思考」読みながらを深掘りしていきたい。