いまを生きる:詩神が降臨する瞬間
いまを生きる
1989年 アメリカ映画
原題:Dead Poets Society
フー流独断的評価:☆☆☆☆
アメリカ東海岸北部のバーモント州にある格式ある全寮制学校ウェルトン・アカデミーに赴任してきた英語教師ジョン・キーティングの物語。『いまを生きる』は、ジョン・キーティングがウェルトン・アカデミーに在任した短い期間における、生徒たちとの交流を描いた作品だ。
ウェルトン・アカデミーは架空の学校だが、映画の中で描かれるバーモント州郊外のたたずまいが、限りなく美しい。吸い込む空気の温度と湿度、そこに含まれる様々な匂い、芝生の匂い、木々の匂い、小川の匂いを、それらを映画の画面から感じることができる。
バーモント州という舞台設定も、忘れてはならないだろう。米国の東北部にある、人口百万人に満たない小さい州。人種のるつぼと言われる米国にあって、いまだに白人が9割以上を占める。2016年の大統領選挙における民主党の候補者選びで、ヒラリー・クリントンを最後まで追い込んだバーニー・サンダースの地元と言えばわかってもらえるだろうか。アメリカ建国の精神が純粋培養されているような土地だ。
ジョン・キーティングを演じているのは、ロビン・ウィリアムズだ。ロビン・ウィリアムズは、様々な人の霊に憑依するイタコのように、映画の登場人物に憑依する能力を持っていたのだと思う。この作品に限らず、多くの役柄を見事に演じ続けた天才だ。しかし、本作品のジョン・キーティング役だけは、その中でも別格だ。彼は、ジョン・キーティングと完全に同化し、フランシス・ベーコンの唱える「劇場のイドラ」の世界から戻れなくなってしまったのではないだろうか。
若き日のイーサン・ホークが演じていた内気で繊細な生徒を指導して、詩の精神を発露させる瞬間が、この写真だ。鬼気迫るものを感じる。ロビン・ウィリアムズが、完全にジョン・キーティングと同化し融合してしまった瞬間だ。
このような奇跡が起こるとは、脚本を書いたトム・シュルマンも、監督のピーター・ウィアーも、想像できなかったはずだ。出演していた生徒役の若い俳優たちすら、信じられなかったと思う。撮影現場から、1950年代後半の架空のウェルトン・アカデミーに、越境してしまったことを。奇跡の映画は、こうして出来上がるのだと実感する瞬間だ。
ジョン・キーティングが、生徒たちに越境の呪文を教える場面。「カルペ・ディーム(Carpe Diem)」と。直訳すれば、「今日という日をつかみ取れ(Seize the day)」だろう。これが、映画の原題である『いまを生きる』だ。
将来、医学を学ぶのも良い、法律を学ぶのも良い、しかしなぜ人類は、役にも立たない「詩」を大切にしなければならないのか。ジョン・キーティングは、講義の初日に、分厚い韻文学の教科書の序章を破り捨てるように、生徒に命ずる。詩は主題と表現と韻律で構成されている。それぞれに点数をつけて、その合計点で詩を評価するだって? それこそ、詩を愚弄するものだと、ジョン・キーティングは涙ながらに生徒たちに訴えるのだ。
僕は、このシーンで、「ポエム」を力説された化学の恩師を思い出し、滂沱(ぼうだ)の涙を流した。今は亡きその恩師の魂は、ジョン・キーティングの魂と同じだったのだ。
ジョン・キーティングの魂が乗り移ったロビン・ウィリアムズは、その後2014年に自死の道を選んだ。「なぜ」と問うても、答えは返ってこない。ジョン・キーティングの魂が、神の御手に戻され、再び誰かに乗り移ったと信じたい。