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エビータ:エビータとマドンナの不思議な符合

エビータ
1996年 アメリカ映画
原題:Evita

フー流独断的評価:☆☆☆☆☆

『エビータ』は、僕の宝物の映画だ。この映画は、ハッピーエンドではない。正義の味方が登場する勧善懲悪ものでもない。そして、大多数の人が一様に感動するような映画でもない。

エビータとは、アルゼンチンの大統領フアン・ペロンの妻だったマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロンのことだ。アルゼンチンの片田舎に私生児として生まれ、きちんとした教育を受けることもなく、家出同然にブエノスアイレスに出てきて、様々な職業を転々とし、男性遍歴を重ね、やがて軍人政治家ペロンと出会って、彼を大統領に押し上げ、26歳の若さでファーストレディーに登りつめ、32歳の若さでこの世を去った。死因は子宮頸がんだったと言われている。

『エビータ』は、アンドリュー・ロイド=ウェバーの同名ミュージカルを映画化したものだ。
ミュージカルのほうは、天才アンドリュー・ロイド=ウェバーによって素晴らしい舞台効果を発揮するように構成されている。素晴らしいミュージカル(舞台)ほど映画化は難しいものだが、アラン・パーカーの脚本と演出は、それに見事に成功している。

主演のマドンナがまた素晴らしい、一世一代の演技を見せてくれる。いや、もう演技とは言えないだろう。ミシガンの片田舎で生まれ、大学を中退し、長距離バスに乗ってニューヨークに出てきたマドンナ。彼女もまた、下積みの辛酸を味わい、ポルノ映画にまで出演しながら、スターへの階段を登ってきたのだ。『ライク・ア・バージン』が大ヒットしたのは20代後半。遅咲きのスターだったことがわかる。

恐らく、マドンナは自分をエビータと共通の運命をもつ生まれ変わりと信じたのではないだろうか。そこには、ブエノスアイレス(B.A.)とニューヨーク(ビッグ・アップル=B.A.)のなんとも不思議な符合がある。

エビータは、毀誉褒貶、賛否両論、聖俗相半ばする人だった。確かに彼女のことを偉大な政治家とは呼べない。いや、支離滅裂な政治家と呼んだほうが正しいだろう。ただ、間違いないのは、彼女は魅力に富んだ偉大な女性だったということだ。1940年代の政治状況と経済状況とアルゼンチンという国そのものが産んだ奇跡と呼んだら良いかも知れない。だからこそ、彼女はその死後もアルゼンチンの人びとから聖女のように慕われているのだ。実際、アルゼンチンの人びとは、彼女を聖人の列に加えるようにローマ法王に嘆願までしている。

符合といえば、エビータはマリアとエバの両方の名前を持っている。聖母マリアであり、マグダラのマリアでもあるマリア。そして、人類最初の女性であり、原罪の象徴でもあるエバ。エビータとは、聖、生、性、正、という女性の持っている諸相の象徴なのだ。それゆえの「マドンナ」……ああ何という符合なのだろう。

人間は弱きものである。それゆえに強くなれるものでもある。
人間は醜いものである。それゆえに高貴になれるものでもある。

古希に近づき、ようやくたどり着いた人間観。『エビータ』は、そんな僕に寄り添ってくれるのだ。だからこその、宝物なのだ。

監督:アラン・パーカー
脚本:アラン・パーカー、オリヴァー・ストーン
製作:ロバート・スティグウッド、アラン・パーカー、アンドリュー・G・ヴァイナ
出演:マドンナ、アントニオ・バンデラス
音楽:アンドリュー・ロイド・ウェバー
撮影:ダリウス・コンジ
編集:ジェリー・ハンブリング


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