見出し画像

目で見て口で言へ(演劇篇)20本目「六英花 朽葉」

あやめ十八番「六英花 朽葉」昭和モダンを座・高円寺1で、その後配信で大正ロマンを見ました。

『明治の中葉 わが国に初めて映画が渡来するや これを説明する弁士誕生
 幾多の名人天才相次いで現れ その人気は映画スターを凌ぎ 
わが国文化の発展に光彩を添えたが 昭和初頭トーキー出現のため姿を消すに至った
茲に往年の名弁士の名を連ね これを記念する』
浅草寺境内・弁士塚より

根岸よう子、芸名を郡司葉子と名乗った一人の女優の、九十九年の生涯に今、幕が下りようとしている。女優として数々の栄誉を手にしてきた彼女が死に瀕して思い出すのは、何者でもなかった頃の自分。“芸”に魅せられ、“芸”を追い求めるだけで生きていられた、あの時代。

大正末期から昭和初頭、葉子は活動写真弁士であった。自らを荒川朽葉と名乗り、実兄・荒川木蘭と共に弁士の黄金時代を駆け抜けた。そうして、他の弁士と同じように、トーキーに追い立てられ、磨き続けてきた“芸”を手放した。

あの頃の自分を一つ一つ整理するように、葉子は自らの音無き走馬灯に声をあて、九十九年の生涯を、今、説明せん、と挑む。

無声映画からトーキーに移行する時代の話で、主だった登場人物はいくつかの実在する人をモデルにしていると思われ、これは誰だろうと想像する楽しみがあります。たとえば主人公(朽葉、そして木蘭)と相対する「純映画劇運動」を牽引する老竹という作家は、思想的には帰山教生書くものは永井荷風という感じでしょうか(荷風の「墨東綺譚」は「活動写真」の話から始まります)。弁士たちの造型、特に兄の木蘭には黒澤明の兄・弁士須田貞明の影が窺えるような……。監督として無声映画からトーキーに活動の場を移した灰汁というキャラクターは、さて、誰でしょうか。そういうことをぼんやり考え続けるのも楽しみのひとつになるのは、やはり作品が魅力的だからだと思います。といって、正解が欲しいわけでもないのですね。

それにしてもーー死に臨んで、自らの人生を説明する活動写真弁士、という構成がなんとも秀逸というか、ああこういう魅せ方が出来るのかオレたちは!と鳥肌が立つような心持ちで開幕からぐいと世界に引き込まれて行きました。

トーキー争議のくだり、コメディ的なくすぐりもありましたが、どうで結末は見えているわけで、なかなか笑いながらも胸に迫るものがあります。

一方で、弁士たちの物語が主旋律だとすれば、そこにすっと寄り添いつつ控えめに語られ出す玉ノ井の銘酒屋に売られてきた聾唖の少女苗の物語が、終盤大きくうねって見ている私を言葉にできない感情の渦に引き込んできました。耳も聞こえず発話(口話)も出来ない人間が映画の世界に入って行き好評を博す、というあまりにも皮肉な展開(手話と筆談禁止のくだりも)!そしてその後の展開を思うとやはりやり切れない気持ちになりましたがーー銘酒屋も映画界も自らが望んで選んだ道ではない中で、おそらく初めて自らが選んだのがあの最期の独白(←まさに血を吐くような発声!このシーンはとても演劇的で好きです。甘すぎる、という見方もありましょうが)という切なさ。配信で逆班を視聴してこの苗という少女の存在が、活動写真弁士と合わせ鏡に写った姿そのもので、耳も聞こえずまともに喋れない人間を無声映画の俳優として使う、という灰汁のアイディアは、ちょっと悪魔的なまでのものであった、と見終えてしばらくたった今、舌を巻いています(まあ結果的にそうなったのではありますが)。

また、これまで何度か舞台で拝見して来た田久保柚香さん(その名前を出演者に見かけて、おお、これは題材もそうだが役者としてもぜひ見に行かねば!と思ったのでした)は、やはり今後も注目して行きたい役者さんです。

とにかく皆さん声がよろしくて眼福耳福でありました。俳優が舞台で生演奏もやる、というのは、あやめ十八番さんでは珍しいことではないようですが、活弁の世界を描くのにどんぴしゃでしたね。

さてーー荒川朽葉弁士の説明に没入しながらも……一方でワタクシは、5年前ほんの少しだけ関わらせていただいたある舞台のことを思い浮かべていました。奇しくも同じ「トーキー争議」が物語の中心にあったのでした(そして舞台となった映画館の館主は、どちらの作品でも女性でありました)。劇団キーボード第12回公演「これにて、」は、おそらく活動写真弁士を物語の中心に据えたほぼ初めての舞台ではないか、と思います。

ここ数年で、弁士とその時代を扱う作品が少しずつ増えて来ているのが嬉しくもあり、反面それにちゃんと応えられていない(応えられるだけの力があるのか、つーか応えるって何?という問題はひとまず脇に置いて)ワタクシ自身の不甲斐なさに項垂れるばかりであります。それでも徐々に、徐々に無声映画と活弁、活動写真弁士が知られて行くためにワタクシも奮闘せねばなりません。

これにて、」や「六英花 朽葉」のような(そして舞台だけではなく映画や漫画、小説など)素晴らしい作品がこの世に生み出されているのですから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?