「おわ恋」にしたくない『ワンダーウォール劇場版』
終わった恋、略しておわ恋作品に出会ったときに記録するnoteのはずでした。
『ワンダーウォール 劇場版』を見ました。
まったく知らない作品だったんですが、脚本を書かれた渡辺あやさんがトークショーをされるとのことで横川シネマに駆けつけました。
長い間『カーネーション』をマイベスト朝ドラに挙げていました。
舞台になった岸和田を訪れたりもして、心から楽しんだ朝ドラでした。
小原糸子という強い個性の光と影を描き切ったこと。そして、周防と糸子の“たった一度”が刺さって刺さっていまだに抜けません。たった一度はいい。あのたった一度は、特にいい。
渡辺あやさんは山陰にお住まいだし、今までもチャンスはあったんでしょうけど気がつかず……このCOVID-19禍の地元で、直接お話を伺える機会があって嬉しかったです。
渡辺あやさんからの重い相談
『ワンダーウォール劇場版』は、もともとはNHK京都放送局制作による京都発地域ドラマとしてBSで放送されました。主題歌が書き下ろされ、セッションシーンが追加されて劇場版になったとのこと。
STORY(公式サイトより)
古都・京都の片隅に、100年以上の歴史を持つちょっと変わった学生寮がある。一見無秩序のようでいて、“変人たち”による“変人たち”のための磨きぬかれた秩序が存在し、一見めんどくさいようでいて、私たちが忘れかけている言葉にできない“宝”が詰まっている場所。
そんな寮に、老朽化による建て替えの議論が巻き起こる。新しく建て替えたい大学側と、補修しながら現在の建物を残したい寮側。双方の意見は平行線をたどり、ある日、両者の間に壁が立った。そして両者を分かつ壁の前に、ひとりの美しい女性が現れて……。
“ひとりの美しい女性が現れて……”の美しい女性役が成海璃子さん。
冒頭、彼女への恋がはじまった――かと思わせますが、それはちょっとした掴み。このお話は、学生たちと架空の大学「京宮大学」の自治寮「近衛寮」とのラブストーリーなのだと明かされます。
モデルは京都大学の吉田寮。
フィクションでありながら現実へ接続して終わる本作を、渡辺あやさんは「わたしからの重い相談」と仰っていました。
相談、それも重い相談ですから、ラストにすべての問題がすっきり解決するわけではありません。
でも最後まで興味を失わせない脚本、キャスティングと芝居。なにより舞台(=近衛寮)が魅力的で、見てよかったと思える作品でした。
ヒロインとしての近衛寮
本作が近衛寮とのラブストーリーなのは、まったくもって事実です。近衛寮は魅力的なヒロインでした。
築100年以上になる近衛寮は、成海璃子さんのように、誰が見ても美しいわけではありません。でも、ある種の人々の心を掴む強い引力がある。それぞれのキャラクターは、はじめて近衛寮に出会ったときのことをよく覚えているし、ふとした瞬間に魅力を再確認する。惚れ直す。別れに納得できず泣きじゃくる。
カメラは混沌とした姿を舐めるように撮り、ほこりすら魅力的に映します。見た目だけじゃなく、その中身も。
私もまんまと惹かれてしまいました。彼女と似たものの記憶が掘り返されたりもして。
ワンダーウォールを見ながら最初に思い出したのは、15年ほど前に卒業した私立大学の文化系部室棟。当時ひとりでウロウロしていて、学生運動のポスターらしきものを見つけました。ペンキの下に、薄く。
現在30代後半の私にとって、学生運動は歴史上とは言わないまでも、父親世代の出来事。物語の中でしか知りません。そして、母校は地方の地味な大学です。狸が珍しくないような山の上にあって、バスで毎日、峠を越えて通っていました。入るのはそう難しくなく、変わった人もそんなにいない。
だからポスターを見て「そこ」と「ここ」が接続していることに、妙な感動を覚えました。こんなところに、そんな強い意志があったことに。
あの時すでにペンキの下に薄くしか存在しなかった過去と現在の接続点は、今はもうありません。
でも、近衛寮にはそこかしこに溢れていました。
場は、そこにいる人たちに左右されます。起きて寝て、作って食べて排泄する。学ぶ。考える。生々しい生活と、そこに貫く意志がある。
近衛寮は、その住人の性質ゆえ「意志」がひときわ強く作用する場所です。考える力と、労働に攫われない立場がある。意志が100年を超えて積み重なり、秩序ある無秩序として存在する。そんな場はもうほとんど残っていないでしょう。
私は「終わった恋」が好きです。失われたものを後になって思い返すときのなんともいえない切なさを愛しています。でも、このラブストーリーを「終わった恋」として愛でたくはありません。