わたしの視点:曽我潤心(俳優・劇作家)
旧陸軍被服支廠について、全四棟保存を主張する立場から思いを書きました。保存に関する具体的な事は後半に書いています。
我々は短命だ。地球上の人間は、百年でほぼ全員入れ替わる。
木は長生きだ。何百年も前からあるような古い大きな木を目の前にすると「自分が生まれるずっと前から世界はあったのだ」と教えられる。人間が木を前にふと立ち止まったり、じいっと見つめてしまうのは、自分の人生では経験しきれない時間と繋がりたいからではなかろうか。古い建物も然り。エレベーターもエスカレーターもつけられない古い建造物をなぜ我々は守ろうとするのか。そこに、もう絶対に会う事の出来ない、無数の過去の人々の存在をほのかに感じ、繋がりたいと感じるからではなかろうか。
旧陸軍被服支廠には、建物としての利用価値を遥かに超えた存在価値がある。全てを破壊され、ほとんど何も残らなかった広島の街を歩いていて、原爆の威力を実際に目撃出来る場所がどれだけあろうか。大きく歪んだ鉄の扉を見ると、映像に描くようにしか捉えられなかった衝撃波を、ズドンと体に受けるようにイメージ出来る。
被服支廠が伝えるのは原爆の威力だけではない。原爆の威力以上に大切なものが刻みこまれている。あの床で、あの壁の中で、傷ついた広島の人達が横たわり、治療という治療を受ける事もなく死んで行った。また、多くの人々が被服支廠を訪ね、顔もわからなくなったような体に向かって、探し求める家族の名を呼んで歩いた。
家族を探し求めて救護所を回ったという手記はたくさん残っている。私たちはそれらの手記を読む時、一所懸命に想像力を働かせながらその光景を思い描こうとする。しかし想像力では埋まらない距離もある。実際の建物を訪ねると、頭の中で見ようとした空間が目の前に現れる。そしてそこで呼吸して、音を聞き、匂いを嗅いで歩き回りながら、過去との接点を求める事ができる。
以下が、私の被服支廠の保存案です。
これは役者である私の専門とはかけ離れた分野なので、ご自分の知識と経験で欠けた部分を補いながら読んでいただければ幸いです。
1。どう再利用するか?
被服支廠の再利用はしない方がいいと思う。耐震補強と必要最小限の修繕を行って中に入れるようにし、なるべくそのまま、全四棟保存する。情報過多な展示もしない。建物の歴史と、建物の受けた被害と、原爆投下後の様子はわかるようにして、あとは人が自由に歩き回れるようにすればいいと思う。
2。どう採算をとるか?
建物の利用による収益で修繕費、管理費、維持費を賄おうと考えるのは不可能であり、不必要である。前述した通り、この建造物群は産業や教育のための施設として以上の存在価値を有しており、その存在価値を利用した保存計画を立てるべきである。
これらの建造物群の中で収支を見るのではなく、都市全体でいかなる経済効果を得られるかを考えなければ保存計画は成立しえない。
3。被服支廠の保存により期待できる経済効果。
被服支廠を観光資源として見た時、今後得られる経済効果は莫大なものになりうる。
それは、平和公園から旧日銀、平和大通り、被服支廠、御幸橋、千田通りを丸一日かけて歩くコースを広島観光の定番として定着させる事で可能になる。
広島観光と言えば平和公園と宮島と考える人が多い。広島では一泊、もしくは泊まらずに次の目的地に移動する観光客が多くいる(宿泊する人は41%)。これは多分、平和公園半日・宮島半日、長くても両方合わせて二日と考えた結果であろうが、広島の街を一日かけて歩く事が定番化すれば広島では最低でも一泊、できれば二、三泊しようという人が増えるであろう。
ニューヨークのタイムズスクエアには年間3920万人の観光客が訪れる。セントラルパークは3750万人。マンハッタンの中心部に位置する二つの観光スポットにおいては、両方を訪れる観光客が圧倒的に多い事が見受けられる。グラウンドゼロの9/11メモリアルはというと、年間230万人。前者と比べ、少し離れている事もあり、8パーセントくらいの人しか訪れない。
平和資料館には年間152万人の入館者があった。内、観光客ではない人も含まれていたり、平和公園を訪れても資料館には入らない人もいたりで人数は前後するであろうが、仮に年間150万人の観光客が平和公園を訪れると仮定する。
もし、その8パーセントに当たる人が被服支廠を歩いて訪ね、そのために1日長く滞在するとしたら、その人数は12万人である。広島に来る観光客は1日で平均17670円を使う。この数字は六割に当たる日帰りの観光客を合わせた平均値であり、一泊するかしないかでは出費に大きな差が生まれるので、宿泊が増える事によりこの平均値自体が高くなると予想されるが、ここでは現在の平均値を使って、12万人が17670円を今までより多くお金を落として行くと計算すると、その額は年間21億2040万円である。
素人の単純計算と笑われてしまうかもしれないが、被服支廠の保存計画を考える時にこのような発想で収支を考えるべきだと、私は思う。
被服支廠の一棟一棟に、等しく、原爆ドームに匹敵するほどの価値があり、この全てが残っている事は奇跡です。一度壊したら二度とかえらないこの建造物群をなんとしてでも残して欲しいです。被服支廠には、どんな建築の大家をもってしても生む事のできない価値があります。なのでその価値がわかる人達で保存委員会を立ち上げ、あくまでも保存する事を前提に議論を重ねて考えて欲しいと思います。
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広島)県出身の俳優曽我さんが朗読会 原爆の悲惨さ訴え
(朝日新聞・1月5日)
広島出身・ロサンゼルス在住の曽我さんは、1月5日急遽広島市内で、原爆で子を失った親の手記集「星は見ている」の朗読会を開催されました。朗読された手記の一編には、「被服支廠」に触れたものもありました。