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わたしの視点:高原耕平(人と防災未来センター研究員・博士(文学))
防災と歴史が支え合う街を 広島県・旧被服支廠遺構保存問題
広島のある地区を訪れた。2018年の大水害で土砂崩れがあり、住民が亡くなられた場所だった。瓦礫はすでに解体撤去され土台だけが残る。脆い山肌が間近に迫る地域である。しばし立っていた。どこかのタイミングで避難してくれていたらと思ったが、出来事を取り消すことはできない。部外者が手を合わせるのも少し違うなと感じて、ただ首をかくんと下げるようなお辞儀をして去った。
いま同じ街で、戦争の記憶を刻む建物の存廃をめぐって議論が始まっている。旧被服支廠という。築106年の歴史的建造物で、各地に出征する兵士の軍服を作っていた。そして被爆時には臨時救護所となり、多くの市民がそこで命を落とされた。原爆ドームを超えるサイズの被爆遺構である。4棟の支廠遺構のうち3棟を所有する広島県が、耐震性に問題があるため2棟を解体する方針を発表した。地震で倒壊すれば近隣の住民に被害が及ぶ恐れがある。一方、広島市は全棟の保存を求める。戦争の記憶か、市民の安全か。保存を求めて若者達が集めた署名は2万筆、耐震化は一棟あたり28億円。
ところで土砂崩れと支廠遺構には共通点がある。それは、自然災害の危険のすぐ近くにまで宅地が迫っていることだ。脆い山肌の、歴史的建造物のすぐそばに宅地がある。そこに住むひとや行政の責任だといった話では決してない。どうしても、それと気づかず危険に近づいて住んでしまうところに都市の本質がある。この点をきちんと考えるべき時期が来ているのではなかろうか。保存か解体かの二項対立に論じ詰まるのではなくて。
わたしが考えたいのは(できれば、その地の方々と考えたいことは)、そもそも「街」とは何なのだろうか、ということだ。そこにひとが集まり、文化と歴史が芽吹き、あわい命が保護される。しかしあるときを境に人口と宅地が急拡大し、自然災害に弱くなってしまう。わたしの大切な街も25年前にひどく傷ついた。そこで慌てて災害に強い街を作ろうとすると、今度は歴史を失ってしまう。これが問題の本質であるとおもう。
本来、防災と歴史は二者択一のものではないはずだ。防災の研究機関に勤めている研究者としてあえて主張するのだが、耐震化や防災を理由とすれば歴史的建物も解体してよいという前例を作ることはできる限り避けるべきだとかんがえる。解体が当たり前の街になれば、戦争だけでなく災害の記憶も薄れる。防災と歴史が支え合って初めて都市の文化が根をもつ。
支廠遺構の近隣住民の安全は最優先課題である。たとえば鉄柱を道路に沿って並べるなどして、本格的な耐震化には至らないものの安全を確保しつつ解体を先送りすることはできないだろうか。解体してしまうと、後の世代はそこを前に立ち尽くすことさえできなくなる。街といのちをみんなで考える機会が芽吹き始めていると考えたい。
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高原耕平(たかはらこうへい)
専門は臨床哲学。研究課題は自然災害の記憶と追悼、世代間継承、とくに阪神大震災に関するもの。主要論文に「小さなもの」(『臨床哲学』2016)など。日本災害情報学会・河田賞(2019年)
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