「commons」を「third place」として再定義する(前編)
quodの一連の活動で得た知見を活かして、地域の文化資本を研究・分析する「地域文化資本ラボ」。今回のnoteでは、僕の大学院時代の研究領域でもある「third place(サードプレイス)」を取り上げ、その概念や新たな可能性について深掘りしてみたいと思います。
「third place」は新しい価値が生まれる場所
「third place」とは、「first place(家庭)」と「second place(職場・学校)」以外の第3の居場所を指す。1989年に社会学者のレイ・オルデンバーグが著書『ザ・グレート・グッド・プレイス』で提唱したのが始まりで、具体的には本屋やカフェのような場所が該当する。スターバックスがコンセプトとして掲げていることでも知られている。
「first place」と「second place」は家族や仲間内の閉じられた空間であり、安心感・安全性が高い。同時に義務や責任も存在するため、「夫としてこうしなきゃ」「母親としてこう言うべきだ」「部下にはこう接しよう」など、その場所における役割によって言動が縛られることになる。
一方、「third place」はニュートラルかつ開かれた空間で、社会的立場や役割に縛られることなく自由に活動できる。さらに多様な個人が交流するため、新たなアイデアや価値観が生まれやすい環境でもある。
時代とともに「first place」と「second place」のコミュニティが希薄になり、「third place」の重要性が高まってきた。
先進国を中心に、生き残るための経済性や所有よりも、生活の質の向上や精神的・文化的価値が重んじられるようになったことも背景にある。物質的な充足に伴い、サバイバルから自己表現へと価値観がシフトしたのだ。
また、単身世帯の増加、女性の社会進出、専門職や非正規雇用形態の増加、労働時間の二極化など、日本におけるライフスタイルが変化した影響も大きい。
こうした変化に対応する都市のあり方を模索するため、今から15年ほど前の大学院時代に、三軒茶屋地区をケーススタディとしてカフェの研究を行った。なぜカフェに着目したかというと、「third place」の代表格であり、東京を中心に日本独自のカフェ文化が盛んになったタイミングでもあったからだ。
研究目的は「内部空間の物理的・社会的特性」「利用者の傾向とライフスタイル」「都市空間における立地傾向」を分析し、それらの関係性を明らかにすること。ここでのカフェの定義は「食事もアルコールもソフトドリンクも提供しつつ、空間を提供していて、客の言動が自由な場所(チェーン店は除外)」とし、研究方法には「マクロ・ミクロな立地傾向分析」「オーナーへのヒアリング調査」を用いた。
結果、三茶地区のカフェには、オーナーがhostとなり、hostを介してguestである客同士が交流するという社会的空間特性があることがわかった。hostの表現する世界観に共鳴するguestが集まり、みんなで一体となって店の空気感をつくっているのだ。この関係性がサードプレイスにとって重要な要素になると考察した。
hostとguestが「場の所有感」を持つことが重要
ここで押さえておきたいのが「場の所有感」という概念である。
一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生は、組織の中で知識を発展させる方法論「知識創造理論」の大家だ。その仕組みを体系化し、暗黙知(他人には説明しにくいような個人の知識や経験)を形式化して組み合わせ、新たな知を創出するフレームワーク「SECIモデル」を提唱した。
このモデルには、共通の体験を通じて暗黙知を移転させる「共同化」、個人の暗黙知を言語化してメンバーと共有する「表出化」、異なる形式知を組み合わせて新たな知を創出する「連結化」、新たに得た形式知を学習により体得する「内面化」のプロセスがある。
野中先生はそのうちの一つの「共同化」のプロセスにおいて、「場の所有感」が重要だと説いている。
例えば、こんな経験はないだろうか。オフィスで遅くまで仕事をしていて、最後に残ったのは自分と同僚の二人のみ。何となく雑談をしているうちに、「あの企画、本当はこうした方がよくない?」「上司はああいう風に言っていたけど、私はこっちが正しいと思うんだよね」などと、普段言えない本音が出てくる。自分たちがその場を所有しているという意識によって暗黙知が表出し、共有されやすくなるのである。これが仮に渋谷のスクランブル交差点や他社のオフィスであったなら、同じ状況にはなりにくいだろう。
三茶地区のカフェも同様で、例えば一人のguestが「いいアイデアを思いついたんだけど、僕の会社では通らないだろうな」とhostにこぼすと、近くの席にいた別のguestが話に加わり、「だったらうちの会社とコラボしてみる?」と乗ってくる。hostとguestが一体となることで生まれる「場の所有感」が、新たな価値を創出する助けになるのである。
さらに当時の研究結果で特徴的だったのが、三茶地区のカフェの主な客層がクリエイターやメディア関係者、コンサルタントなどの「creative class」だということ。組織に依存しない独立したライフスタイルを選択する人が多く、多様でフランクな交流を求める傾向が見られた。
hostと「creative class」であるguestの交流が深まると、guestが店内に自分の作品を展示したりするようになる。するとguestがplayerへと変わり、その店が文化発信や表現活動の場に発展する。さらに、それを鑑賞するaudienceとしての新たなguestも加わり、3層構造が生まれる。単にオシャレな空間であればいいという話ではなく、「host⇆player⇆audience」の関係が成り立つことが、良質な「third place」の一つの要素だと僕は考えている。
「commons」こそ現代社会に必要な存在
こうした研究を踏まえ、quodではさまざまな活動を行ってきたが、最近は「third place」に対する見方が少し変わってきた。新しいものが生まれる側面だけにフォーカスするのではなく、もっと幅広い解釈で活用法を見出せるのではないかという視点である。そこで着目したのが「commons(コモンズ)」だ。
「commons」とは、共有資源や共同体の資源管理を指す概念。特定の人や団体が所有することなく、誰もが自由に利用できる空間を指すこともある。この「commons」を「third place」化できれば、地域の中の人にとっても外の人にとっても、大きな意味を持つのではないかと感じ始めている。
『ドラえもん』に登場する土管の置かれた空き地がいい例だ。あれはおそらく厳密には企業などの所有物だと思うが、のび太たちは自由に出入りし、自分たちの場所だという意識を強く持っている。あの空き地も一種の「commons」だと僕は捉えている。一昔前にはああいったグレーな場所が結構存在していたが、近年の社会制度によって廃れ、最近ではどんどん数が減っている。
江戸時代以前の日本には、地域ごとに自然と人が一体となったコミュニティがあった。個人と公共がグラデュアルに溶け合いながら、人々は共同体に包まれるようにして生きていたのである。明治維新以降、国家主義・民主主義・資本主義を取り入れたことで個人と公共が分断されたが、のび太たちが集う空き地のようなグレーな共有空間こそ、現代社会にとって必要な場所なのではないだろうか。
(後編は2025年2月上旬公開予定です。続く)