「地域文化資本ラボ」立ち上げに向けて【前編】
僕が共同代表として立ち上げたquodでは、日本のいくつかの地域でローカルプレイスブランディングに取り組んでいます。僕たちが考える「ローカルプレイスブランディング」とは、地域の方々と共に地域を象徴するプロジェクトを多数生み出し、その地域の認知・イメージを高めていくこと。特に各地域が持っている自然や文化を生かしてプロジェクトをつくることを大切にしています。
そしてここ2〜3年で、「エリアの定義づけ→ビジョン策定→プロジェクトの企画・運用→PR」といったローカルプレイスブランディングのquodらしいスタイルができてきたなと思っています。
そんな中でつくづく感じるのは、日本の自然や文化は、世界に対して価値を提供しうる重要な資本なんだなということ。
そして、そういった資本を、地域に受け入れられ、長く続いていく価値に変えていくためには、自然、風土、歴史、産業、広域における立ち位置など、地域について深くリサーチする必要があるということです。
そこで今回、僕たちがいくつかの地域で取り組んでいる一連の活動で得た知見を体系化していきたい、それが世の中のためになればいいなというのと、何よりも僕たち自身がもっと地域のことやその背景の自然と文化を学んでいきたいという思いから、地域の文化資本を分析・研究する「地域文化資本ラボ」を立ち上げることにしました。
前段として、まずは僕自身が地域の文化や構造に興味を持った経緯を書いてみようと思います。自分でも気づいていなかった潜在的な思いも言語化できるといいなと思っています。
個人的な確認作業になってしまうかもしれないけれど、少しだけお付き合いいただければ幸いです。
日本のローカルに親しんだ幼少期
「小学校までに47都道府県をほぼ回ったことがある」と話すと、結構みなさんに驚かれる。
親が転勤族だったわけではない。宮本常一に影響を受け、民俗学に造詣の深かった父は、幼いうちから本物の日本文化を見せておきたいと、僕を全国各地へ連れ回してくれた。ただ、場所はだいたい神社仏閣と遺跡。正直そんなに面白くなかったのを子ども心に覚えている。
同時に印象に残っているのは、地域ごとに自然や気候、風土が異なり、そこにいる人の特徴も大きく違うということ。東北の人は口数が少なめでいい仕事をする、九州の人は楽観的で意外とつるまない、など。
目には見えない土地のエネルギーみたいなものも感じられるようになった気がする。この場所はひらけているなとか閉じているなとか、そういう感覚。天岩戸の伝説は神話上の話だけど、実際に高千穂の天岩戸神社へ行くと何かがいると肌で感じた。色んな種類の場所を訪れることで、相対的に感じ取れるようになったのかもしれない。
中学生になって、一時期、心のバランスを崩した。そこからカウンセラーになりたいと思い、母に相談したら「弱い人間がカウンセラーになっても引っ張られるだけだからやめた方がいいよ」と言われた。納得。
ここから漠然と、マイナスをゼロにするよりも、プラスをつくる仕事がしたいと思うようになった。
高校を卒業して、東京大学の理科一類に入学した。特に理由はなく、とりあえず理一に行っとこうかなくらいの感じだったので、数学とか物理とかそんなに好きじゃねーなってあとで気付いた。
東大には「進振り」という制度があって、2年の夏に最終の所属学科を決められる。選んだのは都市工学科。もう少し掘り下げて研究しないともったいないなと思い、大学院にも進んだ。
最初に取り組んだ研究テーマは「創造都市論」。大阪市立大学の佐々木雅幸先生、イギリスのチャールズ・ランドリー、アメリカのリチャード・フロリダが提唱する学説を比較研究しながら、クリエイティビティや文化をまちづくりにどう取り入れていくかについて考えた。
中でも特に興味を引かれたのが、人と環境の関係性について。
クリエイティビティを活かして仕事をしている人はどんなまちを好むんだろうとか、色んな人がインフォーマルにミクスチャーして新しいものをつくるにはどうしたらいいんだろうとか。
そこで「Creative Class」と「third place」にフォーカスして、さらに研究を進めた。
今思えば、学科の選択も研究テーマの設定も、きっと無意識に蓄積された幼少期の体験が影響したんだと思う。
今の行動が10年後の組織をつくる
修士論文の題材にしたのは三軒茶屋のカフェ。50〜60軒あるカフェを全部回って、なぜこの場所に開いたのか、内部でどんな人間関係ができているのか、どういう情報交換がされているのかなどを分析した。
学部の頃は部活ばかりしていたということもあり、座学中心にしか取り組めず、あんまり楽しくなかったけど、院でのフィールドワークは自分に向いていた。
カフェって地下にはあんまりないなとか、美容室が入っているビルにあるなとか、暖色の明かりの場所にあるなとか、セオリーがだんだん見えてきて、自分の仮説とフィールドに出た時の感覚が一致していくのが面白かった。
ちなみに、この道は嫌な感じだからこっちにしようと選んだ道にいい感じのカフェがあると、幼少期に培った特技を活かせた気がして嬉しかった。
先述した通り、大学時代はラクロス部の活動にも打ち込んだ。90%以上の時間をラクロスに費やしていたと言っても過言ではない。今死んでもいいやってくらい本気だった。
プレイヤーだけでなく主将や監督も務めたけど、たぶん監督が一番合っていたと思う。
選手が人間的に変化する舞台をつくるのが監督の仕事だ。その結果、チームのパフォーマンスも上がる。都市や地域の構造も似ていて、環境をコーディネートすることで人が変わり、まちが発展していく。
監督業に打ち込む中で、いくらこの1年を頑張ったとしても、結局は10年前に組織がやってきたことが今の結果をつくっているということに気づいた。逆に言えば、今自分たちのやっていることが10年後の組織を決める。
頑張れば頑張るほど、それが浮き彫りになった。
物事を本質的に変えるためには、俯瞰で見て、長期的に取り組み、一つずつ行動を積み重ねていかなければいけない。
(後編に続く)