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オンラインと対面授業

これまでオンラインイベントについて結構な量の文章を書いてきた。それだけ考えることがあった。最近書いただけでも5つある。以下の通り。

これだけ書いたことに改めて驚かされる。コロナ過の4年間、オンラインに頼らざるを得なかった事情がある。

ただ今年にはいってコロナは終わった。にもかかわらずオンラインで続いているイベントがある。どこかおかしい。そういうものにはほとんど参加しなくなった。得より損の方が多くなったためだ。読者の皆さんには参加しなように提案してきた。

ではこれまでどおり対面はどうなのか。そこで近くの大学講座を受講してみた。4月から4か月間。1コマ90分。全11回。講師はアメリカの大学院を卒業しており、日本での教育経験は40年。一般社会人向けに公開されている授業でだれでも受講できる。使用言語は英語。授業料は2万1千円。前払い制。

受講生は9人。年配のひとたちばかりであった。ほとんどが年金生活者で男女比は男性8女性1。講師は女性。

この講座を受けたこと。オンラインイベントと比較をしてみた。単純比較は少し無理はあることは承知している。

オンライン、対面どちらも完璧とは言えない。講座というものは完璧になることはありえない。またこの一つの対面講座で一般的にこうであると断定はできない。再現性もなければ普遍性もない。

授業内で気づいた形式面での違いを書いておきます。開始前、宿題、学習態度といったものです。悪ふざけや悪質ないたずらがないということです。


開始前


まず開始前に気づいたこと。授業というか集まりは13:10からスタート。この時間はお昼ご飯が終わってコーヒーを飲んでゆっくりできる。眠くなる時間である。授業としてはあまり好ましくない。授業は午前中がよい。

9時にスタートが一番頭がはっきりしている。特に論理を扱うものは朝がよい。

しかしこの授業は午後だった。それでも9人いて遅れてくる受講生は一人もいなかった。一回もなかった。9人すべてがあらかじめ気に入った席に着席していた。講師が来るのを待つ。講師が遅刻してきたことは一度もない。数分前には必ず教室に来て、そこには配布資料が用意されていた。

わたしは5分前には教室にいった。ほとんどの受講生はすでに着席していた。

もう一度書いてみよう。全11回、遅れてくるものはひとりもいなかった。それだけではない。ほんの数回休む人がいた。その時には事務室に理由を添えて連絡を入れていた。講師やクラスメートに余計な憶測をさせないための配慮だった。

わたしは感心をした。講師側、受講生側、また事務側で連携がとれていて配慮ができている。配布資料の過不足を省き連絡ができている。アト・ホームな大学には適したやり方だった。

オンラインでは遅れて入室するひとは必ずいる。中には意図的に遅れて入室する。それだけではない。なにもいわずに去っていく。これがオープンなイベントである。

宿題


次に宿題に対する取り組み方である。第一回目の授業でテーマを皆で出し合う。そこで出たテーマを講師が選ぶ。毎回ひとつづつテーマに沿って各自発表をする準備をしてくる。5分ほどのプレゼンテーションを順番にする。

宿題を必ずしてくる。やってこないものはいない。中には丁寧なリサーチをしてデータを添えて発表するものがいる。あるいはとてもユーモアのあるストーリーをつくって発表し、結論で笑わせるひともいた。

テーマにはこのようなものがあった。スマホ中毒、オーバー・ツーリズム、大統領選挙、アンチエイジング、ハラスメント対策、世界一幸せな国、ギャンブル、オリンピックと万博、漫画文化。

オンラインでは宿題というものはあるようでない。各自のやる気にまかされている。案内には課題図書や記事が掲載されており、読んでくるようにいわれている。しかし読んでこない参加者もいる。無料のイベントには読んでこないひとがいる。課題図書を購入していない。雑誌の定期購読もしていない。

場所


最後に大学という場所のこと。大学というところはキャンパスがあり、そこには研究棟、教室棟、食堂、図書館。こういった施設が整備されている。講座の受講生は図書館を利用できる。書籍や雑誌の閲覧が可能。

食堂もある。メニューは少ないものの500円以下で食事ができる。研究棟にはいけないがその周辺には掲示版があって書籍も展示されている。テーマ選びの参考になろう。

オンラインには図書館はない。バーチャルな教室だけがあり、だれがどんな目的で何に関心があるのかは把握しにくい。対面においても個人の事情はほとんど話されない。話されたとしても表面的なことか、どうでもいいことくらいが話題になる。プライベートなことには立ち入らない。あたかもプライベートなことのように見えることを理由にしてさぼるひとはいる。ほんとうはイベントには参加したくないのだ。あるいは参加しても嫌な人がいるために突然理由を付けて欠席をする。対面ではわざわざ足を運ぶ。料金も2万円かかっている。休むことはない。

事務が準備をしている。司会役が準備をする。オンラインではそういうところに負荷がかかっていることを迷惑とも思わない。身勝手な言動が繰り返される。自分さえよければそれでいいという態度が出てしまう。ならば最初から参加表明などしなければいいのではないか。

こういった違いに気づいた。

ただし対面授業を手放しにほめているのではない。過不足はある。それはシラバスどおりに必ずしも行われていない部分があることだ。わたしはそれを最後の授業で指摘してみた。すると2人の受講生から反対があった。ひとつはもういい年齢だからそこまでやろうとはしていない。そのひとは授業には遅れないが他の受講生と比べて宿題を安易に考えているようだった。発表時間も短く、調査をしているわけではない。

またもう一人の受講生は授業を単に楽しむだけのものとして考えている傾向があった。笑いを誘うところには関心があるようだった。不平不満を発することがあった。何かを究めようというひとではなかった。

まとめ


こういうことがいえる。

対面は時間厳守であること。オンラインは時間のロスが発生する。
対面は皆が課題をやってくる。オンラインは課題を読んでこない。
大学施設を使った対面学習は整備されている。オンラインに設備はない。

確かに授業料2万円はかかる。オンラインは無料である。どうだろうか。中身を考えたのであればオンラインはロスが発生をして学習効果が薄れるのではないか。マイナスですらある。

2万円は安全を買っている。悪ふざけや悪質ないたずらを抑える効果として出費しているともいえよう。