朝、そんなに急がなくても・・・
千葉県に引っ越してきて早くも40年近く経った。引っ越し前は、愛知県豊田市に住んでいた。そこはいまでは人口40万人以上いてサッカーやラグビーの国際試合を見ることができる豊田スタジアムがある。あることはあるけどそこから30分もすれば、わたしの生まれ故郷がある。40年前は、人口たったの400人だった。
400人ということは、ほとんどのひとが知り合いでだれが何をしているかはだいたいわかる。わかっているので毎日がほとんど同じことをして暮らしている。そうすると変化がない。次第にのんびりとしてくる。ゆっくりと身支度をはじめ、学校にいくにも徒歩か自転車。車は使わない。豊田市という車の町にもかかわらず、車を使わず過ごしていた。それどころか通学中、車をほとんど見かけないところだった。
そして千葉県東葛地区。そこは東京都という都会から1時間ほど北東に走ればだどりつく。電車であれば40分ほどだ。人口約50万人。となりの市は15万人で増加中とある。のんびりと朝、散歩しようにもいろいろな光景にでくわす。中でも朝8時台の家の周りはとかく忙しい。急いでいる人たちをひっきりなしに見かける。それほど急がなくてもいいのに。
ある朝のことだった。8時台。いつものように散歩。その30分間にこのような光景を立て続けに見る。なにか40年前の自分の生活と比較してみたくなった。
まず、家から出かけて、数分歩くと小学校がある。比較的小さい子たちが通う時間にあたる。男の子が葉っぱになにやら面白そうなものをのせている。めずらしそうだ。友達数人が寄ってきた。わたしも3メートルくらい開けて観察していた。なんだろう。
それは、雨が降った翌日。葉っぱにのったかたつむりを男の子がバランスよく手のひらにのせていた。なにやら変わった形の生物で、その動きを手にとっていた。そうか、そういう入り方で、ひょっとしたら生物に興味を示していくのかな、と。わたしは眺めていた。3,4人の子たちも同じように、(何を考えているかは別にして)、集まってきた。いいぞ。
するとそこに母親につられて女の子が近寄ってきた。かたつむりって、寄生虫がいるって聞いたよ。(あまり、そうやってさわらないほうがいいんでは・・・)。登校をいっしょにしている母親は、そうだよね。さっさと学校に向かいましょう。そのようにいっていた。
わたしは、その場を離れて散歩を続けた。ちょっぴり残念な光景だった。というのは、あそこでさっさと、(そんなものはどこかに置いて)、校門に向かいましょう。それよりは、もうちょっとだけかたつむりを観察してみたらどうだろう。集まった子供たちでどこがおもしろいのか。5分でいいから、話し合いをしてみる。そんなところから変わった見方ができるかもしれない。学校の本で学ぶよりいいのではないか。
ひょっとしたら、そこから生物に興味を示し、やがては医師になろうと考えるかもしれない。
わたしは、小さいときは、家の中にカエル、金魚、セミ、そういった近くでいつでも見かけることができる生物を飼っていた。なにも害をおよぼすような生物としてではなく。寄生虫を宿しているとは考えたことがなかった。親は、家の中で生物を飼うことになんの抵抗もせず、反対もなかった。なのでわたしは近くの自然から自由に集めることができた。
生物っておもしろいのではなかろうか。ちょっと立ち止まって話してみたらどうだろう。
その場を離れて逆方向に歩いて行った。そうすると母親と子供の二人連れ。その子供がなにやら関心をもって道路の中央で眺めているものがあった。それは水たまりに落ちている緑の葉っぱだった。
その葉っぱがぐるぐると回っていて止まることがない。しばらく見ているとどうやら一方方向にしか回っていない。ぐるぐる。その子はじっと見ていた。どうして右回りに回るのだろう。左にならないのはなぜ。どうして止まらないのだろう。そんなことに注意してみているようだった。葉っぱはどうしたら水に浮くのだろう。沈まないなんて。わたしは問いかけをしてみたかった。
じっとなにやら不思議な様子で見ていた。
母親は、3メートルくらい先を行き子供に声をかけた。早くしようよ。急いでいるんだから。なにを急いでいるんだろう。これから幼稚園のバスに乗るために数メートル離れた集合場所にいくようだった。そんなに急がなくても。子供にもう少し、じっくり観察させてあげてもいいのでは。
その様子を見ながら、わたしは子供に聞いてみたかった。なにに興味をもったのですか。どんなところに惹かれたのですか。なにやらしゃべってくれたら、家に戻って調べたくなる。
そんなことを考えながら離れていった。こんなきっかけでだれかと話をしてみる。ひょっとしたら、それが引き金になって物理学に興味を示すようになるのかもしれない。やがては、地球科学といった分野をめざす。そこから気候変動について調べてみる。そんなこともありうる。
気候変動というのは、もっとも学問を体系的に学べる。あらゆる分野のひとたちが出たり入ったりして、議論を交わす。ライフワークにもってこい。気候変動というのが話題になる前は、海洋法という学問が最も体系的に学べる科目だった。法律、政治、経済、地理、地球科学、とあらゆることを学べた。
そして家のほうに引き返す。そうすると新しい住宅を建てている。その工事をしている四つ角に出くわした。先日、通知がきていて工事のために通行止めになるということだった。それがわかっているので別に通行止めが不思議ではなかった。
ところがこの一歩、入った裏通りは、8時台は渋滞を回避して結構飛ばしてくる車がいる。事故も起こりうるところ。そんなところにBMWに乗ったご婦人が四つ角に入りかけた。
そこには、ガードマンがいて、ここからは入れません。回り道をしてください、そういうサインをしていた。そのガードマンには、かたつむりの小学生に会ってから、わたしはおはようの挨拶をしたばかりだった。そしてがっしりとしたガードマン。容姿はラテン系の人でヘルメットをかぶっていた。
おそらくそれが理由ではなかろう。婦人ドライバーは、四つ角でエンストを起こしてしまった。いまどきエンストを起こすのはめずらしい。あせったのだろうか。再度、エンジンをかけて、結構なスピードで回り道をして車を走らせていった。なにもそんなに急がなくても。ただ、あの道が通行止めでなければ、2~3分はまちがいなく早く抜けることができる。それほど微妙な裏どおり。
40年で400人の田舎から50万人の街へ。朝、8時台に、ほんの30分間でちょっと見かけない、あるいは、いまでも慣れない光景にでくわす。そんなに急がなくていいのに。ちょっとだけ、生物に関心をよせる。水と葉っぱの関係を見つめる。そして一呼吸して回り道にいく。そうだったら、いいのかもしれない。
ただ、そんないいのかもという光景は、この千葉県東葛地区ではもう見られない。ひとは何かに急いでいる。