赤い資本主義 2011
元はCarl E.Walter and Fraser J.T.Howie, Red Capitalism The Fragile Financial Foundation of China's Extraordinary Rise, John Wiley & Sons, 2011でその中国語訳は陣儀,林詠心譯《中國金融大揭秘 異常崛起的大銀行真相》臉譜出版2013年(写真は名古屋HAL 2019年11月17日夕刻)
p.21 朱鎔基によって行われた金融改革に関して驚くべきことは、その包括性、転換性、そして持続的に遂行されたことである。持続的であることの欠如は不可避だったはずだ、国の政治制度の分散された構造のもとで、特別の利益集団が、主要な政治組織である中国共産党 と一体になって存在することからすれば。この構造を動かしているのは、市場経済やその需給法則ではなく、注意深く均衡を取られた社会メカニズムであり、それは政治エリートを構成する革命家諸家族の個別particular利益をめぐって形成されている。中国は(革命家)一族運営事業であるChina is a family run business。支配集団が変わると、権益のバランスに不可避的な変化が生じる。しかしこれらの諸家族はほかのものにまさる一つの共通する利害ーすなわちシステムの安定を共通の利害としている。社会の安定はかれらに特別special利益の追求を許すだろう。それがかれらの言う「和諧社会harmonious society」である。
p.22 中国でよく聞かれるjokeは中国はいま、マルクスが「資本の原始的蓄積」と呼んだ過程を通過しているというものだ。時々の衝撃的な「腐敗」スキャンダルは、その重要な内幕、本流たる私有化のプロセスを見せてくれる。経済と政治の利益の増分をめぐる競い合う小集団間の争い。名目上は「すべての人々に所有されている」国有経済は、中国の支配者たち、その家族、関係者、召使いたちによって、食い物にされている。そのビジネスは彼らのものであり彼らだけのものである。1978年の政治的緩和の最初から、経済的力は中国に二つの異なる経済を作り出した。国内志向の国有経済と輸出志向の私有経済である。国有経済について多くの人は誤解しているが、内部システムで操作されている国有経済である。
p.23 国家の完全な支援によって支えられているこの経済は、政治エリートがほどこすことのできることのすべてのいつも最大の受益者である。それは1979年以降の政治構造の基礎であり、党が自身を守りその規則を維持するうえでの後ろ盾である。
p.152 もし中国で(これから話す)二つのことが1992年に起こらなければ、この国家主導型の株式市場といえども永らえることはできなかったかもしれないし、中国は全く異なった方向に発展したかもしれない。まず鄧小平が1992年早く株式市場の価値を肯定した。それは中国に最初の大きな株式ブームをもたらした。修正された資本主義とのこの実験の支援者に鄧が与えた政治的保護は、今日私たちが知る中国に導いた、おそらく重要な政治的決定だった。しかし当時、銀行と金融担当の副首相だった朱鎔基が、国際市場の開放に同意し(海外の)無限の資本を中国の国有企業の開放に同意したとき、朱は鄧と同じく中国の将来の発展に大きな貢献をしたのである。最初の決定は中国最初の本当の国家的資本市場をもたらした。二番目(の決定)は一連の巨大な国家冠軍(チャンピオン企業)を創出するアイデアと金融技術につながった。またこれらの決定は金融権力の北京へのかつてない集中と、古い政府の制度の変更につながった。
p.10 1993年初めに朱(鎔基)は香港証券取引所CEOの、選ばれた国有企業に海外株式市場上場の道を開放するというアドバイスを受けれたとき、彼は大きな一歩を踏み出したのだ。彼は中国の国有企業が、国際的な法律、会計、財務上の要件をその上場で達成させることを通じて、構造改革を経ねばならないというアイデアを受け入れ支持した。彼は海外の規制監督が、国有企業の経営パーフォーマンスにプラスの影響をもたらすことを期待した。彼の期待は多くの点で実現した。数年の実験を経て、中国企業は中国の5000年の歴史で初めて本当の規模の経済と融合を始めたのである。