廃れる言葉の言われ 一六銀行
廃(すた)れる言葉の言われ-古い言葉というのは、言葉の元の意味がわからなくなり始めている。
一六銀行(いちろくぎんこう) 質屋を一六銀行といったのは、しちと七、つまり1+6をかけている。質屋も見かけなくなり、一六銀行という表現も日常まず耳にしないが、どこかに言葉の記憶があるのは不思議だ。おそらく質屋に行くことは手元のお金がないことを意味して恥ずかしいことなので銀行といって、しゃれた隠語だろう。それと明治時代に銀行について、第一銀行というように設立された順に数字で名称を付けたことも背景だろう。類似の表現に櫛屋のことを9+4で十三屋というのがある。京都の櫛屋さんでは唐(とう)櫛を加えて10+9+4で二十三屋と名乗るところもある。
一か八(ばち)か 意味としては丁か半かと同じ。直観的に理解されるように、賭場(とば)のことばであり、元来は品のよい表現、ことばではない。為替(かわせ) 現代において為替とは現金を移動することなく、銀行の仕組みを通じて遠隔地との間で支払決済することをいう。為替という言葉は、現代のような預金銀行が登場して普及する以前から存在する言葉で、現金の姿を別の形に<替えることを為す>というのがおそらくはもともとの意味だろう。英語ではexchangeである。銀行の歴史にもかかわるが、銀行というのはこうした為替業務から発展したという考え方がある。為替取引に入るものは、小切手・手形の振出、振込・振替など。関連して、当座預金口座、普通預金口座など決済用口座の開設。小切手帳・手形帳の交付。そして手形の引受保証がある。そして、手形・小切手での入金受入。融資業務に入って手形割引、貸付などがある。室町時代には割符(さいふ わりふ)という手形が登場。その支払人による裏書き裏判による支払い約束のことは<裏づけ>と呼んだ。証拠による裏づけといった言葉に生きている。
栗よりうまい十三里半 サツマイモ(焼き芋)を「栗より旨い十三里半」といって江戸時代に売り歩いたという。この言葉は死語のはずで実際に店頭の口上で聞いたこともないはずだが、頭の中になぜか残っているのは不思議だ。この言葉については九里四里あわせて十三里となることをかけたというお話と大江戸日本橋から川越札辻までの距離をかけたものというお話がある。
九六銭(くろくせん) 銭100文を数えるとき江戸時代には実際には96枚の銭をひもで合わせて100文として通用させた。これを九六銭というが、これは今日からみれば死語だろう。なぜ九六銭を100文として通用させたかその理由は今となっては判然としないが、4文引くのは手数料との説がある。実はこうした事例は中国などにもあり、日本の場合はさらにさかのぼった室町時代にもみられる。このように実際の量や重さが、異なるものをそれ以上のものとして流通させることは、江戸時代の九六銭以外にも、例がある。理由として、秤量貨幣としてみると、当時の鋳造技術では、重量と枚数との間にズレがあった可能性、鋳造貨幣のニーズに比べ鋳造量が不足していた可能性、などさまざまな可能性があるが、研究者の間で一致した結論はないようだ。 なお通貨発行権をもつ政府が、ある通貨、それ自体は価値をもたない通貨に、法貨規定を与えた場合、この貨幣はfiat moneyと呼ばれる。fiat moneyは、日本語にしにくい。価値のあるもので裏付けされていない貨幣の意味であるので、不換通貨あるいは管理通貨と訳しておく。直訳としては強制通用貨幣。なお通貨発行権を持つ政府は、実態(通貨とされたものの実際の価値、あるいは製造コスト)と通貨が実際に流通する価値との差額を通貨発行益seniorageとして得るのではないかという議論がある。通貨発行益の議論やfiat moneyの議論では、政府が法貨規定を与えたり、発行権を独占することで、通貨のそれ自体の価値と流通価値との間に大きな差異がでることが注目される。九六銭の議論は内在価値がある金属貨幣の議論なので、これとは違っている。
五臓六腑(ごぞうろっぷ) 中国医学のおける用語で内臓と心の中を示す。ここでいう内臓は解剖学的内臓とは一致しないとされるが、重なっているところもある。五臓六腑 三十三、六道など いずれも仏教からくる。
七難八苦(しちなんはっく) 四苦八苦も同じだがこれも仏教用語である。
つっけんどん つっけんどんは、「慳貪(けんどん)」に接頭辞「つっ」がついたもの。愛想のない様=慳貪を強調した言葉。その愛想のない様が「どんぶり」飯で、もともと丼の食事は、器を省略する意味があり、高級になりようがないものかもしれない。などというと丼の食事を愛好する人に嫌われそうだ。しかし丼の食事には、そういう意味があることは覚えておく必要があるだろう。つまり大切な客人には丼モノを避ける配慮を。同じようにあらかじめ来客が分かっているときは、日持ちのする茶菓子は失礼だという話を聞いたことがある。貴方のためにこれを新たに用意して待っていましたいうものを何か用意するべきだというのだ。来客を歓迎するというのは、そうしたこと心遣いかもしれないと、この話を時々思い起す。
頭取(とうどり) 民間の会社のトップは社長というのに、銀行のヘッドだけが頭取なのは不思議に思えるが、明治2年に銀行の前身である為替会社を作ったときに、ヘッドを頭取としたことが始まりでそれが慣行になったとされる。頭取は歌舞伎で楽屋のとりまとめをする人を頭取とするところから転用されたとされ、さらにその由来は、雅楽の主席奏者のことを意味するとも言われている。なお銀行も株式会社であるから、法律上、義務付けられているのは代表取締役の設置であって、頭取ばかりでなく社長あるいは会長というのもそれぞれの会社における職名であり、法律上の職名ではない。銀行が頭取という役員名称を使う法律的必要は実はない。
丼飯(どんぶりめし) 牛丼だ、天丼だといって誰もが丼物を食べる時代なので、あえて書き残しておくと、丼飯はそもそも器の数を省略した庶民的な食べ方だということは注意しておきたい。one plateで洗い物も少なくなるから、いいではないか。確かにその通りでスーパーで買った容器のまま電子レンジで温めることを否定するわけではない。しかしいろいろな食器を使うこと、食器に取り分けて食べることは文化だと考えたい。
二束三文(にそくさんもん) 江戸時代に草履が二束で三文にしかならなかったことを指した言葉。売ったりしても、十分な見返りがない、あるいは金銭的価値にならないことを指す言葉。およそ三文は、ほとんど価値がないことのたとえで、安物のハンコを今日でも三文判というところに残る。さらに低い価値の表現が「びた一文」で、ビタは粗悪な悪銭(鐚銭びたせん)を意味している。これも、びた一文にもならないといった表現として残る。
ピンからキリまで 最上から最低までを意味するこの表現はしっかり次世代に残りそうだ。ピンがポルトガル語のpinta(=1)に由来することはわかっている。キリについては、ポルトガル語のクルスcruzに由来して最後を意味するという説と、日本語の切りに由来しており最後を意味するという説とがある。一説には否定文の頭につける「うんともすんとも」という接頭辞もポルトガル語に由来する。ウンはポルトガル語の1をあらわし、スンはポルトガル語の最高をあらわす。しかしこのポルトガル語説には単に返事をしない様子を表すに過ぎないとの異論もある。
ピンセット オランダ語pincetが日常語に入っているもの。英語ではtweezers。同様に日本語化したオランダ語にランドセルがある。これはオランダ語のranselからきている。英語ではsatchel。
ピンはね 一般に下請け業者が上前を抜かれることをさすが、語源的には1割を上前として抜かれること。上前は上米(うわまい)つまり上納米からきていて、年貢米をピンハネする行為をもともとは意味していた。
無駄(むだ) 荷物を積むのに使う馬を駄馬といい、軍用馬に使える馬より低くみた。またわずかばかりの用についての支払いをお駄賃というようにも使った。無駄はおそらく駄にもならないという意味で、転じて無益なこと、役に立たないことを指しているようようだ。
無鉄砲(むてっぽう) 白文に句読点をつけない無点法に由来し、無鉄砲は当て字でその意味は鉄砲を持たないという意味ではないとはよく指摘されるお話。そもそも句読点の習慣は明治以降のものとされる。そこで正式の挨拶状などで、句読点をつけることは相手を見下すことになるとして句読点をつけない文章を良しとする習慣が現在にも一部残る。
八百屋(やおや) 八百(はっぴゃく)というのはたくさんのもの程度の意味。八百物屋(やおものや)が短くなったものであろう。万屋(よろずや)と書いて「なんでも屋」というのも同じ趣向。八百が多い数を示す例として「嘘八百」という言い方もある。大江戸八百八町というのもこの八にかけて、江戸時代の江戸の繁栄を伝える言葉で実際の町数とは関係がない言葉。八百で多いわけだから「千代に八千代(やちよ)に」というときの八千はさらに多く、「八百万(やおろず)の神」というところの八百万(やおろず)はさらに大きい数字になる。なお八百長は、八百屋の長兵衛さん(つまり八百長さん)が碁の勝負でいつも真剣勝負はしなかったところに由来する。人の名前が慣用句になった珍しい例。
六文銭(ろくもんせん) 六文銭とは三途(さんず)の川の渡し賃のことされる。昔は銭そのものを棺桶に入れたが、やがて銭を記した紙を入れるようになったとされる。信州真田氏が、六文銭の家紋の入った旗を掲げて従軍したことは有名だが、そこには死を恐れないという意味があるのではないか。
以上、かなり古い手元本からの書き抜きが主体であるが、肝心の書名の記憶が飛んでいる。
originally appeared in Feb.18, 2014
reposted in Aug.7, 2021
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